イエスの物語が示すメッセージとは?

イエスは後世の者のために、

自らの人生を象徴的な物語として残した。

 

壮絶な十字架上の死は、

徹底して自我を滅することの象徴だし、

その前の愛溢れる行為は利他。

 

そして死後の復活は、

利他→無我によって、人が霊的に生まれ変わる(復活)

という人間の霊的目覚めを表現したのである。

 

イエスが逮捕された時、弟子たち全員が逃げた。

イエスは孤独の内に死ななければならなかった。

 

それは、真の道を歩む者は、

衆を頼むことなく、誰に頼ることなく、

孤独に耐えなければならない、

というメッセージを我々に残したものである。

 

だから僕は、以前、こんな詩を書いたことがある。

(詩篇タオの詩。今年は出版する予定)

 

あなたが唯一人歩む道

 

仏陀は言われた、

サイの角のように、ただ一人歩めと。

 

キリストもまた、

すべての弟子に見捨てられた後、

孤独の中に死に給うた。

 

ならばあなたもまた、

まことの修行者ならば、

この道を歩むことによって得る

孤独を甘受し得るであろう。

 

人に理解されない悲しみにも耐え、

法華経の常不軽菩薩のように、人を敬い、

石を持って追われる事すら、忍ぶであろう。

 

まこのとに道を歩む人は、

いつも、衆を頼む事なく、

ただ一人道を歩む。』

 

真の修行者なら、いつもこんな覚悟で

生きていなくてはならない。

 

だが、それでも自分が誠心誠意世話した人から、

かえって、理不尽な非難を受けたり、

 

また、そんな言われない非難の影響を受けて志を落とし、

心が揺れたり、修行をやめていく人を見れば、

心が辛くなるときがある……。

 

つい、自分を責めるし、

”自分が間違っているのではないか?”と

徹底して、自分自身を疑う。

 

”自分のやっていることに価値なんかあるのか?”と

自分を追い詰めたりすることだってある。

 

それでも自分の行為が、

天に対しても、

自分に対しても、

誰に対しても、

恥じないものであるならば、

 

宮沢賢治の「雨にも負けず」に出て来る人のように、

”一人静かに笑っている”しかないのだ。

 

イエスだって、悩み苦しみ、

”滝のような汗”を流すほど、葛藤された。

 

だったら自分だって、

人から理不尽な非難を受けるという、

「忍辱」の修行に耐えよう。

 

イエスが示して下さったように、

黙って道を全うして行くしかないな、と思う。

 

そんなことを考えていたら、

ある方から突然、メールを頂いた。

それはこんなものだった。

 

タオ指圧を、何年か前に学ばせて頂きました。

そして、仏法を先生から学びました。

 

今でもです。

 

大愛 融合 利他 ….そこにしか光はないと学び、

いつも自分がブレる時 孤独でたまらなくなる時、  

いつもいつも、先生のメッセージを何度も読み、

聞き、そして、エネルギーを満たしています。

 

感謝という言葉では足りません。

また、学びたいと希望を、強く持っています。

 

どうぞ、よろしくお願い致します。

本当に本当に本当に、ありがとうございます。」

 

実は、涙が出るほど嬉しかった。

でも、根が素直でない僕が返信したのは、翌日だった。

 

心ある人なら、何が真実なのかは、わかってくれるはず。

 

追伸

ところで今、レバノン人のキリスト教徒で、

レイラという女性ボーカリストが、

希望の火声明のアラビア語/キリスト教バージョンの

レコーディングを進めてくれている。

 

Shukuran ! (シュクラン。アラビア語でありがとう)、

という言葉でしか表現できない。

 

下さったメールといい、レイラといい、ありがたいことである。

以下はレイラの歌声である。ぜひ、彼女の美しい歌声を聴いて頂きたい。

 

 

 

 

 

関連記事一覧

PAGE TOP