断捨離が、人類が次のステップに向かうための儀式であることは、
前ブログで述べた。
物を捨てたがらない旧世代人精神と、断捨離したい人との相克。
前者は、家の中の物は置いておけるなら大丈夫と考え、
後者は、物で埋まっていない自由な空間こそ価値がある、と考える。
物質に価値を置くか、非物質に価値を置くかの違いである。
両者の認識には、テレビ・新聞の報道を信じるか、
それとも、自分が丹念に拾ったネット情報を信じるか、
ぐらいの違いがある。
ただし、時代の変化は待ってくれない。
デジタル世代なら、もちろん非物質に価値を置いているからだ。
<所有は人類を不幸にした>
前ブログで僕は、人の所有に対するものの考え方が変わり始めた、と述べた。
実は、所有って、人類史の中では比較的、最近の概念だ。
人類の経済は、物々交換から始まった。
その時は、もらうより多くを与えることが習慣だった。
貯蔵できない頃の話だから、物を所有するという概念もなかった。
貨幣経済が進むにつれ、人類は、貯蔵できる「お金」を所有し始めた。
それはやがて、物や土地にまで及んだ。
銀行ができて利子が始まり、お金がお金を増やすようになった。
同時に人々は、
お金=物を所有しているのは、ステータスが高く、豊かで、幸せ、
という概念を持つようになった。
しかし、人類の無意識は、次の段階を志向するようになった。
それはそうだ。
所有欲の権化である「強奪資本主義」が、
人々を不幸にして、苦しめているのだから。
自由な旅の暮らし。家に物を置かないミニマリスト。
また、所有に興味を持たない悟り世代。
いずれも、そんな不幸な旧時代に対するアンチテーゼだ。
<所有から共有(シェア)へと向かう人類>
近年起きたIT革命は、デジタル作品を生んだ。
デジタルは、安価に大量生産できるどころか、
無料で無限に生産できる。
膨大な音楽がシェアされ、映像がシェアされるようになった。
デジタル革命は、人類の無意識に、
共有(シェア)という概念をインプットした。
無意識に植えられた種は、現象化を求める。
それは、カーシェアリングや、
その他、諸々のシェア・マーケットとして現れている。
人々がデジタル作品だけでなく、
様々な物を共有(シェア)するようになれば、
地球は、大量生産、大量消費、大量破棄による環境汚染から解放される。
だからこそ人類は、今、無意識的に、
所有から共有(シェア)の世界へと向かっているのだ。
ひるがえって、断捨離では、使っている物とそうでない物を分ける。
それによって、普段は使っていない物が、
山ほどあるのを家の中に発見する。
それらは、他の人に共有(シェア)されることで生かされる。
断捨離が、人類が、個人所有から共有(シェア)に向かうための儀式なのは、このためだ。
共有(シェア)の精神は、人類が新たな経済システムを生むためには必須である。
そして、共有(シェア)経済の社会は、所有社会よリも、人々をはるかに幸福にする。
その象徴として、やがてはフリーエネルギーが、共有(シェア)されるようになる。
そんな幸福な社会が、より速く実現するためにも、
僕は人々に、この通過儀礼を奨励したい。
アースキャラバンの合言葉は、SHARE! !なのだ。
新しい時代に飛び立つ用意はいい?
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