<イスラエル人活動家、パレスチナ人の村人、アメリカ人、日本人、オーストリア人、みんなでパレスチナの村の道路工事に汗を流す>
特に”宣伝したい!”というわけではないのだけれど、アースキャラバン中東は、通常の旅行では決して行けないようなコアなところに人々を案内する。さらに普通では体験できない様々な人と交流ができるのが特徴である。
何せ現地のNGOで働いている人ですら知らない場所を訪れたり、出会わないような人たちと交流するのだ。これほどの濃い体験をできる旅はない、とそれだけは、断言できる。
実は一度、現地NGOの人をアースキャラバンが関わっている所の一つにお連れしたことがあった。すると、”こんな所があったんですか!? アースキャラバンって、こんな人とも繋がりがあるんですか? ” という、驚きの反応があり、むしろ相手が知らないことに対して、こちらが驚いたぐらいである。
アースキャラバン中東の目的は、パレスチナの人々との交流を体験してもらうことにある。何せ案内人(←僕らのこと)まで参加費を払っているのだから、ビジネス目的がないことぐらい、誰にだって理解してもらえると思う。
余剰金が出たら、ガザなどの支援に回す。なので、本当はもっと余剰金を出したいところだ。特に今年、赤字を心配するほど極安にしてしまった。まっ、それは、”とにかく人に行ってもらいたい”が、つい先行してしまったからである。
さて、前置きが長くなってしまった。ナブルスの街があまりにも居心地が良かったし、またプロジェクト・ホープとの繋がりも深まったので、今年の8月9日はナブルスで「アースキャラバン長崎デイ at ナブルス」をやることにした。
とても居心地のホテルが取れそうだし、ナビサレ村の子どもたちを含めて、日本、カナダ、オーストリアからの参加者全員に楽しんでもらえたら、嬉しく思う。
その後、ナブルスの音楽学校に行って、難民キャンプの子供たちに楽器を贈るプロジェクトについて話し合った。上級の生徒さんたちに指導員になってもらえそうだ。
このプロジェクト「Music For Hope」は、元々ヨーロッパのアースキャラバンの企画だった。(”そういえば、、、”と日本でホームページを至急立ち上げなくてはならないことを今、思い出した)
パレスチナで広島・長崎の原爆被害についての関心が高いことは何度かお伝えした。今度ナブルス市では、広島・長崎の巡回写真展をやりたいそうだ。市役所の人から、写真データや映像の入手を依頼された。
<右がイスラエル・メンバーのマガリ。左はパレスチナ人のアリク。アリクの住むこの村は、今、イスラエル軍によって取り壊され、村人が追い出されようとしている>
時に、”一体、自分はなぜこんなことをやっているんだろう”と思う瞬間だって、ないわけではない。何せ今の社会、基本は「今だけ、金だけ、自分だけ」が”無意識の”スローガンみたいなものだ。(注:「今だけ、金だけ、自分だけ」は、堤未果さんの本からの引用です)
僕の無意識の生き方である、「今でなく未来に、金じゃなく人に、自分の快不快じゃなく、人が楽しいことに」というのは、世の中のトレンドからはズレている。
だから最初の内は、僕の行動に、何か別の意図があってやっているんじゃないか、と思われることがままある。世の中の無意識のスローガンと合わないからかも知れない。単に僕が不器用なだけかも知れないのだけれど、、、。
<難民キャンプで子どもたちと遊んだり、指圧してあげたり>
僕自身が一番願っているのは、”人が楽しくなる「場」”が創られることだ。けれど、そんな場を、人が創ってくれないのを観たりすると、”人に期待しても無理なのかな? ズレている自分がもしかしたら間違っているのかな、、、?”と、感じる瞬間がある。(そうです。僕にだってあるのです)
そして時に、”こんなことやめてさぁ、もっと楽して生きたら? ”と自分の無意識に囁くのだ。、、、
さて、それはさておき、”一体自分は、なぜ、こうもパレスチナにこだわるのだろう?”と思う。以前は、”旧日本帝国の朝鮮半島支配の状況と似ているから、日本人としての贖罪意識からなのではないか?”とも思った。だけど、理由はもっとシンプルなのかも知れない。
例えば今、日本の街で(あるいは欧米でもいいんだけど)、知らない人に”ちょっと携帯電話貸してもらえませんか?”と聞いたら貸してくれるだろうか? 恐らく、聞いてみようとすら思わないだろう。(僕もそうです)
でも僕は、パレスチナの街でなら、平気で人に携帯を借りることがある。あまり、躊躇うこともない。それぐらい、空気がゆるい。相手が普通に貸してくれることがわかっているのだ。
それから、街の個人商店に行って、”トイレ貸してくれませんか?”などを、日本の街で頼むことも考えない。(コンビニは勝手に入れるけど)
日本の個人商店では、断られるのがわかっている。今にも漏れそうな高校生が必死で頼んでいるのを、非情に、にべもなく断っている書店の店主を見たこともある。(←僕はこの店に行くのをやめたし、後に潰れた)
でも、パレスチナの個人商店でトイレを借りたことが一、二回ある。向こうも別にイヤな顔をせずに貸してくれた。その他、日本や欧米の街で見ていて一番心が痛むのはホームレスだ。でもパレスチナにホームレスはいない。誰かが必ず世話するからだ。
もちろんパレスチナにだって、欧米諸国や日本と同じような問題があることは、ベツレヘムで臨床心理士をやっているパレスチナ人から聞いて知っている。
しかし先に例として述べたことは、何かを象徴している。僕は自分の住む街が、こんな気楽な関わりができるような場所だったら、と思わずにはいられない。
日本や欧米の人々に、「世の中には、このような関わり持つことができるところがある」ということを体験してもらいたい。そんな気持ちがあることも、パレスチナに惹かれる原因ではないか、と思う。
またそんな人々が、圧政的な占領者(イスラエル軍)によって日々痛めつけられ、恥辱を負わされている。その上、「パレスチナは、テロリストたちがいる危険なところ」という、真逆の風評被害にまであっている。大手メディアによって。
少しでも義侠心がある人間なら、「何とかしよう!」とか、 「まずは現地に行こう!」と思うではないか!? (まあ何せ行ったら楽しいしね)
<太陽光発電のアカヴァ村で壁に絵を描いた。日本人が多かったので、富士山が! >
アースキャラバンが関わっているアカバ村のリーダー、ハジサミーは、イスラエル軍に脚を撃たれて下半身が不随になり、車椅子の身だ。だが、非暴力平和を貫き、リーダーとして素晴らしい働きをして村を発展させている。
今も尚、銃を構えるイスラエル兵に向かってニコニコしながら車椅子で向かって行くその姿勢に、アースキャラバン・イスラエル代表のマガリは『すごい勇気!』と讃嘆を惜しまない。
<アカバ村のリーダー・ハジサミー>
ハジサミーは昨年、わざわざ僕らに会いにベツレヘムまで車椅子でやって来た。そして、イスラエル占領政府が電気を引かせないことで、べドゥインたちがイスラエル軍の演習の誤射の危険にさらされている、と訴えた。
聞けば、いろんな団体がソーラーパネルの取り付けを約束したが、実際に果たしてくれたところはなかった、という。それを聞いて、アースキャラバン・ヨーロッパから、ソーラーパネルを寄贈することになったのだから、やはり「行動力」こそが世界を動かすのである。
今年のアースキャラバン中東では、アカバ村に泊まり、付近で活動したり、寄贈したソーラーパネルも観に行ったりする予定である。
勇気と行動力をもって、非暴力平和主義を貫く、ハジサミーに乾杯(完敗 ^ ^)!
今年のアースキャラバン中東も、濃いことになりそうだ。
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