<ナブルス・フッドフェスティバルの出品料理>
ナブルスで数日間に亘って行ったライブ演奏のあとは、いよいよ夏に行われるアースキャラバン中東巡礼の準備である。日本、オーストリア、カナダから総勢25〜30名が参加する巡礼なので、準備はそう簡単ではない。
<昨年のアースキャラバン中東 at ベツレヘム大学マジン教授の植物園で>
<昨年のアースキャラバン中東の土方仕事>
今年、嬉しいのは日本から14才の女の子、オーストリアからも13才の女の子が参加することだ。特に日本の女の子はアースキャラバンのドキュメンタリー映画、「BE FREE ー広島原爆の残り火をパレスチナへー」を観て、”わたし、パレスチナに行く!”と決めたそうだ。何という志であろうか!
まずはベツレヘムに向かう。主催者のサミーやフェスティバルのステージ担当のサイードともミーティングする必要があったからだ。
午後遅めの出発を準備していたら、ナブルス・フェスティバルの主催者である「プロジェクト・ホープ」のリーダー、ハキムから電話があった。午前中から昼にかけてフッド・フェスティバルがあるから来ないか?と。
これもナブルス・フェスの一環で、アラブの料理の味自慢のスペシャリストたちが作る料理の品評会だと言う。わけが分からないまま、出かけることにした。
道中、ハキムから、明日、アラブ圏の諸国で見せるテレビにバンドで出演しないか? と言われた。残念ながら、ベツレヘムでミーティングの予定が詰まっているので割愛した。まあしゃあないべ、、、。
フッドフェスでは、様々な料理が出品されていた。行ったら、なぜかデザート審査員にまゆさんが任命され、審査員席へ。
<審査員に任命されてご満悦のまゆ氏>
<フッド・コンテストの出品料理>
さて午後遅く、ナブルスを後にした。そしてベツレヘムで、昨夜オーストリアから着いたアリスと合流。その夜からサミーに会った。(いるんじゃないか、と直感的に思ったところに行ったら、やはりいたのだ!)
翌日からは様々な人たちとミーティングした。ベツレヘム・フェスの主催者であるホリーランドの面々だけでなく、難民キャンプとのパイプ役であるスライマ女史、ベツレヘム大学のマジン教授、etc である。
またエルサレムでは、イスラエル活動家のガイ、パレスチナ支援のイスラエル人弁護士、その他、昨年、日本に来て講演したジャーナリストのアミラ女史などなど。
NGOの人やゆうこさんなど、日本の人にも会おうと思ってはいたのだが、まるで時間がなかった。(特にゆうこさんには、前もって連絡していただけに、誠に申し訳ないことをした。ごめんなさい!) なにせ、時には一日5つものミーティングが入っていたのです、、、。
もはやこの時点からミュージシャンはお休み(残念だけど)。その後は、パレスチナの現状を人々に実地に知らせるプロジェクトの実現に奔走する活動家に徹した(ナンちゃって)のであった。
<続く>
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