わけが分からないまま、ナブルスに到着

ナブルス・フェスティバルに出演するため、僕らアミナダブ(バンドの名前です)一行は、大量の音楽機材と共にテルアビブの空港に朝着いた。

※ナブルスというのはパレスチナ自治区内にある街。聖書に出て来る「良きサマリア人」の子孫がナブルスの山の方に750人ほど在住している。

空港にはイスラエル・タオサンガのマガリが出迎えてくれた。マガリはアースキャラバン中東に関わるようになった結果、人生が変わってしまった一人である。(その他にも何人かいるが、、)

“わたし、パレスチナ独立を支援するアンチ政府の活動家になっちゃったわよ〜”(アースキャラバンの影響で)と本人は笑って言うが、実はそう簡単な話ではない。

70年前のドイツではユダヤ人を匿ったら逮捕された。旧日本帝国では朝鮮独立を支援したら特高警察に捕まった。今のイスラエルでもパレスチナ独立の支援者は、政府から脅されたり、逮捕されたり、また右翼(イスラエルは約7割が右翼)から裏切り者扱いされるのである。

※皆さん、Magali Brosh さんに励ましのお便りを出そう。 (Facebookへどうぞ)関係ないけど、マガリはタオ指圧指導員で、熱心な念佛修行者でもある。

テルアビブからパレスチナのナブルスまで行けるという特別な車を、マガリが手配してくれていた(普通には相互に通行できない)ので僕らは、分けのわからないままでもナブルスに向うことができた。

まずはフェスティバルの主催者であるNGO団体、プロジェクト・ホープのリーダー、ハキム氏が用意してくれた宿に向かう。そこは難民キャンプの世話人でもあるアムジャットさんがオーナー。アムジャットさんは、いわゆる”人が良く”て楽しい人である。

迎えてくれたアムジャットさんと昨年の8月以来の再会を喜びあったが、何だかしょっちゅうパレスチナに行ってるみたいだな、と思った。(実際、年に2回なんだけど)

その後、事務所で車に乗せてもらい、今日の会場の一つに向かう。海外から来ているバンドは、スエーデン、イギリス、アメリカから来ているチリ音楽のバンド、そして日本から来た僕らアミナダブであった。

ナブルス・フェスティバルの実態は、実際に来るまではまるで分からなかった。(僕が行き当たりばったりに生きているせいもあるが)ようするに、ナブルスの街の数カ所で、同時に何らかのイベントが10日間に亘って行われているのが、ナブルスフェスティバルであった。

ま、とにかくその後、街を多少ぶらぶらして夕食を食べに行った。ナブルスは実に居心地が良い。街の人は人懐っこいが侵入的でなく、ほどよい距離感で仲良くしてくれるのだ。

プロジェクト・ホープには、海外から常時10数名以上のボランテイアが難民キャンプなどで活動している。  何人かと話したが、ナブルスの居心地の良さにハマり「ヤミつきになってしまった」アメリカ人が2人もいた。その気持ちよくはわかるなあ、、、。

そもそも、僕とナブルスを繋げてくれたのは、岐阜に住む心優しきマルキスト(多分)の田中さんである。彼も毎年1か月、ナブルスに滞在していた。というより、僕自身がナブルスでのんびり過ごしたいぐらいである。

<ナブルスは古く、落ち着いた街>

<ナブルスのJKたち(推定)>

<続く>

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