ウィーンへ

アースキャラバン東京が終わったら休もうかと思っていたけど、もうウィーンに向けて出発する日が近づいていた。”そう言えば、行くことになっていたのを思い出したぁ〜”という感じである。

ここまで来るともう、休もう、などと考えるのはやめた方が良い。そこで、”今やっていることをさらに面白く進めることにしよう”、と頭を切り替えた。

という訳で、僕は再び音楽の練習に専念することになった。何せこれまで、どうしたら最高のライブ空間を創ることができるのかが、まるでわからなかったのだ。

一人で孤独に多重レコーディングして、ソロCDを何枚か出したりしていたが、ライブでどのように演奏したら良いかは、未だに手探りの状態である。そして、結果にうなだれることが良い。ライブ演奏しても、まるで納得できないでいるのだ。

このため、苦しいことこの上ない。人と共有している空間に最高のものを与えられないのは、僕にはひたすら苦痛なのだ。それで最近、少し研究しようと思いたち、トーキングヘッズなど、他の欧米ミュージシャンのyou-tube観るようになった。

観た途端、自分の今までのステージのやり方がいかに足りなかったかを、深ーく反省した次第、、、。という訳で、ウィーンに行くにも、練習用の小さなギターを持って行き、ホテルで毎晩一人、踊りながら練習していた。

はたから見たらさぞバカみたいだろうと思う。、、、けれども、本人はいたって真剣である。何せ、これでも”最高のライブ演奏をするにはいかに?”を考えているつもりである。

僕が18歳の頃に、どんなやり方で音楽の練習をしていたかを聞いたら驚かれるかも知ればない。(アホみたいなので)例えば、自分が1音、ギターを弾いたら、空間に振動がなくなるまで、その音に責任を持つ訓練などをしていた。

というのは、ギターを弾くと空間に振動が生じる。(やがて耳には聴こえなくなるけど)そして、その空間の振動がどうなるかに対して責任を持つと、響きが澄んだものに変わることに気づいたからだ。(これは後で、念仏修行の際の木魚の音をどう出すかなどの役に立った)

また、ギターの音を自分の心の痛みの部分の奥底にまで引き受ける。それは自分のトラウマに向き合うような行為なのだけど、それをしていると、やがて音色が全身に響くようになる。(心の痛みの奥底にまで音が入らないと、全身に響は広がらない)この訓練は、あとでタオ指圧の成立に役立った。

そんなのを一日中やっていた。僕は何でもそうなんだけど、まず自分なりの訓練方法を模索する。そして方法が決まったあとは、ただひたすら、愚直にそれを繰り返す。

20歳でバイオリンの練習を始めた時などは、天井からゴムバンドを吊るし、それに引っ掛けてボウイングをしたりした。自家製の「バイオリンの大リーグボール養成ギブス」である。(知らない人は、”巨人の星 大リーグボール養成ギブス”で検索してみてね。多分、出てくるから)

その結果がどうだったのかはわからないけれど、昔からまずは訓練方法を時間をかけて研究し、編み出し、あとはひたすらそれでトレーニングする、という方法で何でもやって来たのだ。(指圧や武道も)

問題は、僕みたいな考えを理解し、そんな練習を愚直にしてくれるミュージシャンがいるかどうか、だ。

当然いなかった(いたら奇跡である)。なので諦めて20歳になってから、”一人で演奏できる楽器をやろう!”と思いたって、バイオリンを練習していたのである。

その後、多重録音の機械があれば一人で音楽が創れることを知り、やがてソロCDを出すようになった。(まあ端折って言うと)

しかし、ライブはできないことによる多大な苦しみは、長年僕の全身を覆っていた。しかしお釈迦様曰く「人生は苦である」。なので、まあ仕方がない、と言えばそれまでなのだが、僕は未来を諦めることだけはイヤなので、再びバンドを始めた。

それで今回、最高のライブ演奏をする法則の研究&トレーニングのため、小さなギターを持って、ウィーン行きの飛行機に乗り込んだのだ。

実は、向こうでやることになっているワークショップのことよりも、音楽の練習の方がよほど僕の頭を占めていた。実はそのことで、多少気が咎めない訳でもなかった。

しかし研究の末、音楽の演奏方法、タオ指圧の技法、念仏行法、武道訓練、すべてが最終的には合致したのである。”なあ〜んだ。まるで同じことを、別の手段でやっていただけなのね。”(←と、なぜか、ここで女ことばになるワタし)

※次回は、ウィーン指圧国際会議のレポートです。

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