2013/01/24 Categories:

 帰国するまゆさんのタクシーを、ホテルの入り口から見送った。さらばまゆさん、また会う日まで(尾崎紀代彦)♬ 海ゆかば〜(海軍歌)♩。 うぅ、古い!

 

 午後、バンコクナイト(タイ大会の前夜祭)のホテルに移動。やっぱり実際に自分が泊ってみないとなー。

すると、チャオプラヤー河沿いに建つこのホテル。骨休めするには実にうってつけの所だということがわかった。前夜祭をこのホテルにしたのは、本当に正解だったと思った。

ここで2、3日ぼーっとした。することと言えば、せいぜい1日数時間のメールやFBとブログ原稿の作業。

 あとは、プールで泳いだり本を読んだり、参加者のために付近をリサーチしたりして過ごした。

 時には、自分で考案した「練気二」という太極拳みたいな体操を20分ほどやった。

 そうしたら、その後何だか突然歩きたくなり、超スピードで40〜50分ほど歩いた。いや〜我ながら驚くような気の効果だった〜。これはお勧めですよ、皆さん!

下記は、大会前夜祭バンコクナイトのホテルの写真。

 

 

 

 

タイのHIV患者

なぜタイのHIV患者のことが気になったのか? これには理由がある。

 タイにはHIV患者が多い。それはバンコクが世界三大、性風俗都市の一つと言われていることと無縁ではない。

その他、タトゥーの習慣とタイ国境のゴールデン・トライアングルと言われる三角地帯(ミャンマー、ラオス、タイ)が、有名なアヘンの産地であることも原因として上げられる。

すなわちタトゥーを入れる器具と、ヘロインの注射針からの感染である。そこから夫婦感染が起き、さらにその子どもが感染した状態で生まれるという負の連鎖を生む。

子どものことを想うと、思わずため息をつきたくなるような話である。

さらに加えて、最近はまだ減ったようだが、かつてはHIVというだけで病院が診療拒否するなど、タイではHIV は差別の対象だった。

 だからHIV患者を出した家は、大変なことになる。まるで中世のヨーロッパで流行ったペストのようなものである。

そしてその支援は、極めて限られているというのが現状で、親がHIVに感染した子供(といっても成人だが)を放り出さざるを得ないことも普通にあったらしい。

しかし、かつてどこの国でもハンセン氏病(ライ病)患者が差別されたように、HIV 患者への差別もまた、どこの国でもあり得ることだと僕は思う。

旅の第三ラウンドの始まり

 旅の第三ラウンドは、タイのHIV患者サポート関連施設をネットでチェックしていることで突如始まった。

 HIV 孤児や親に虐待された子どもたちを100人ほど世話している、タイ人が民間で始めた施設があるというのである。

 場所は、ヤソトーンという。調べてみると、タイ東北部のイサーン地方。さっそくガイドブックで地図を見る。

 カンボジア国境に近い「ウドンラチャタニ」という所まで電車か飛行機で行けば、そこからバスで2時間ぐらいで行けそうだ。

 住所はわからない。英語が通じるのかもわからない。それでも僕は迷わず行くことにした。

 夜行列車で行くと、出発する夜までバンコクで時間をつぶし、さらに一晩かかって朝到着することになる。飛行機の値段を調べに行ったら五千円ぐらいだったので、その場で、翌日の飛行機の予約を入れた。

 住所もわからないのに、よく行くことにしたなあ、と思われるかも知れない。

 ところが僕は思わないのである。なぜかというと、これまでの人生の経験上、自分が決めたことは必ず起こるからである。

 というわけで、まずはウドンチャラタニへ出発!

 続く