2016年12月の記事

道元、イエス、そして親鸞。それぞれの弟子観について

2016/12/26 Categories: 未分類

本題に入るまでがえらく長くなってしまい、

ほとんど「いわゆる”精神文化”における師弟とは、一体どのようなものか?」についての論になってしまった。

 

それに、内容が内容だけに、少々堅苦しい話にもなった。

なので、興味のある方のみご覧ください。

 

 

 

1) 人はどのようにしてお客様(神様)化するか?

 

曹洞宗の開祖である道元禅師に、「弟子は師匠以上になってから、はじめて弟子と言える」という言葉がある。

これはどういう意味なのだろう?

 

一般的に師匠とは教えを授ける者であり、弟子はそれを受ける者だ。

ここで僕が言っているのは、カルチャーカルチャーセンターの講師と生徒では無い。

 

また大学や専門学校のそれでもない。

 精神文化を伝え、伝えられる者同士の話だ。

 

お互いの身過ぎ世過ぎのために行っている教育では無い。

もし身過ぎ世過ぎのために教える行為が教育だと言うなら、それはもはや精神文化ではない。

経済活動=ビジネスである。

 

ビジネスなら、指導する側は自分の技術(あるいは心技)を買ってもらう側=商売人だ。

商売人にお客様を選ぶ権利はない。

 

選ぶ権利があるのは、常にお客様だ。

 お客様は、「私に対する扱いが悪い=サービスが悪い」とか、

「私はここが不満だ=教えるあなたは、私の不満を満たすべきである」

などと、文句を言うことができる。

 

あるいは指導する側に対して、

「そんな難しいことを要求しないでくれ。私ができる範囲のことだけ教えてくれ」

と言うこともできる。

 

何せビジネスである以上は、教わる側はサービスを売り、買う側は神様なのだ。

お客様としては、嫌になれば、「そんなら、こんなところ辞めてやる」とすれば済むのである。

 

実は、この消費者感覚ともいうべきお客様感覚は、人々の行動のあらゆるところに顔を出しているような気がしてならない。

だから学ぶ側は、「この学びを後世に伝えよう」などと考えることは、まずない。

 

自分の都合が良い範囲だけで関わろうとする。

 

だから、他に伝えることは、自分が引き受けるべき責任だ、などと思うこともない。

そしてこの精神態度が、仏教を含む様々な精神文化にまで入り込んで来ているのである。

 

実はこれ、スピリットにとっては致命的なことである。

霊的生命はこの精神態度いかんによっては、死滅するからだ。

 

意外に思うかも知れないが、学びを教えることがビジネス行為なのか、それとも精神文化を伝える行為なのかは、教える内容によるのではない。

指導する者と教わる者との相互の精神態度によるのである。

 

 これは、仏教であろうとタオ指圧であろうと、まったく同じことだ。

伝える者にも教わる者にも、後世に引き継いでいく者としての矜持や責任がなければ成立しない。

 

 後世に引き継ぐ矜持と覚悟とは、今まさに以心伝心に伝えられている場(道場=道の場=人々)に対する責任を

どこまで引き受けているかによるが、もしそれがなければ、学ぶ者はお客様(神様)化する危険をはらんでいる。

 

 2) ほとんどの人は、「学び」の何たるかを完全に誤解している

 

引き継がれない生命(いのち)は死滅する。

教えの根幹である霊的生命も同じだ。次代へ渡す責任を実践的に負う者がいなければ死ぬのだ。

 

そもそも、他に分かち合われない教えとは、スピリットが抜けて形骸化された文字が、個人個人の頭の中にあるだけに過ぎない。

 これは、一見学んだようでいて、実は何一つその学びは実を結んでいない、ということだ。

 

実は、「教えを受ける」とは、単に「教えてもらう」ことでも、知識や技術を記憶することでもない。

 

他にバトンを渡すこと。

 後世に想いを託して、同時代の他の人々に分かち合うために心を砕くこと。

学びとは、これの実践に他ならないのである。

 

そして行動の中に未来の原因を含まない現在は、やがて、ただの過去の記憶に過ぎなくなる。

 

仏教で「受持」というのは、教えを受け、それを自らの霊(たましい)に保つ(持つ)ことを言う。

 

教えを受ける、と言っても、単に文字の羅列を記憶の中に留めるだけでは、それは「教えを受ける」とは言わない。

教えとはスピリットのことだから、個人にとどまることはないからである。

 

「教え」とは霊的生命だから、そもそも、自分の中にとどまることなどできやしないのだ。

 真の学びとは「教えに生きること」であって、言葉を記憶し、動作を記憶通りにやることとは何の関係もない。

 

それにしても、とため息をつきたくなる。ほとんどの人は、「学び」の何たるかを完全に誤解している。

 

もし法然上人の「教え」を知りたければ、法然上人が、どのように教えを分かち合ったか、その行動を知ることである。

 

しかし、「知った」ことは知識を得たに過ぎないのだ。

それでは法然上人の教えを学んだとは言えないのである。

 

なぜなら、「教え」を学ぶとは、例えば、法然上人が修行したのと同じ気持ちで自分も修行し、法然上人が教えを他と分かち合ったように、自分も他と教えを分かち合うことだ。

 

それらの実践によって味わう、様々な労苦や喜びを体験することをこそ、「学び」と言うからだ。

そもそも、身をもって示された教えを実践せずして、何をもって「教えを学ぶ」と言うのであろうか?

 

教えは、他へに分かち合うための大河の一部となる者がいれば、、、すなわち、真に学んでいる者がいれば、その霊的本流は、生命を保つことができる。繰り返すが、仏教はこれを「受持」と呼ぶ。

 

自らが他に渡すパイプとなってこそ、常に新たな霊がたましいに入り、その命脈は保たれるからだ。

 

 3)宇宙大霊は、必ず霊的本流を受けるたましいを探し出す

 

道元禅師は、「たとえ七歳の女の子でも、自分の救いよりも、一切の幸福を優先させて修行すれば、世界の導師である」と述べた。

 

そして懐奘という素晴らしい弟子がその後を受け継いだ。

 

さて、ここでやっと本タイトルのブログの本題に入ることができる。

道元、親鸞、イエス、それぞれの言葉を見てみよう。

 

「弟子は師匠以上になってから、はじめて弟子と言える」(道元禅師)

 

「親鸞は弟子を一人も持たず」(親鸞上人)

 

「弟子が先生以上になる必要はない。先生と同じようになれば、それで十分である」

(イエス)



この3つは違うようでいて、実は同じことを言っている。

 

まず道元の言葉だが、彼の弟子の懐奘は、道元が自身の師匠である如浄の教えや他の人々を受持したように、道元の教えを受持した(学んだ)。

 

それは道元にとって無上の喜びだったろう。

 

だから道元にとって懐奘は、心の中で賛嘆の対象だったと思う。

 

そして道元はその想いを、「師匠以上」と表現したのである。

同時に、”懐奘こそは、本物の弟子だ”とも思ったのだ。

 

次に親鸞の言葉だが、これも本音は同じだ。

同じ受持をしたならば、それはもはや師弟という関係性を超えている。阿弥陀仏の本願が共に分かち合われたからだ。

 

「あなたは受持したんだから、もはや他の人にとっては師匠。僕と同じだよね」という想いを表現したのが上記の言葉だ。

 

もっとも親鸞の場合は、受持していない者に対する、もう1つの意味もあったと思う。

 

「受持していない人のことは、阿弥陀様に全面お任せしてるんだよね」、と。

いわば、突き放しとも、おおらかさとも取れる言葉なのである。

 

ではイエスの言葉はどうか?

人類のカルマを我が一身に受持した(責任を持って引き受けた)イエス。

他の苦しみを全て引き受け、無償の愛を与え続けたイエス。

 

まあ、これ以上はないほど、人々の存在に対する責任としての「受持」の見本を見せたんだから、

”私と同じになりなさい。それで十分だ”というイエスの気持ちもわかる。

 

この言葉には、厳しさと慈しみが満ち溢れている、と思う。

「私と同じになれよ。それができたら、心から賛嘆するよ」というイエスの声が聞こえてくるようだ。

 

イエスの弟子たちは誰も、イエスの生前には、その教えを受持しなかった。

皆、逃げた。そしてイエスは一人、苦しみの内に死んだ。

 

しかし宇宙大霊は、その霊的本流を受ける存在を求めてやまなかった。

だからイエスの死後、その本流を弟子たちのたましいに流した。

 

弟子 たちは、イエスと同じ磔刑を受けるなど、壮絶な受持を体現した。

この時、やっと彼らは弟子となったのだ。

、、、そしてイエスの教えは、2000年たった今も、人の心に残ることになった。

 

このように宇宙大霊は、必ず霊的本流を受けるたましいを探し出す。

どれほど時間がかかっても、だ。

 

例えば善導大師の教えが伝わったのは、500年後の法然上人に、だ。

ここで自分のことを言うのは手前味噌みたいで恐縮なんだが、僕が「経絡の証診断」に開眼したのも、増永静人先生が亡くなったのと、ほぼ同時だった。

 

ところで、僕としては、「弁栄上人の弟子です」だなんて、とてもおこがましくて言えないけれども、弁栄上人の遺言、「如来は在しますけど衆生は知らない。それを知らせに来たのが弁栄である」は、ずっと僕の人生を動かして来た。

 

それにしても凄いと思うのは、一遍上人である。

たしか、「一代の聖教尽き果てて、南無阿弥陀となりにける」というような言葉を残して、

自分が書いた物を全部燃やしてしまった。

 

弟子たちに絶望したんだろうか? 後世のことを考えなかったのだろうか? など色々と考えさせられるエピソードだ。

 

だが、仏教の終末観というものがある。

やがてこの世は、水、火、風などで滅びることになっているのだ。(生滅を繰り返すんだけど)

 だから今風に言えば、「どうせ地球だっていつかは消滅するんだからね」ということだろうか?

 

でもやはり最後は、「南無阿弥陀となりにけり」という言葉で結んでいるから、”南無阿弥陀さえ残れば、宇宙大霊がいつか必ず霊的本流を受持する人を見つけ出すに違いない”と思っていたのだろう。

 

まさに、「捨て果ててこそ」と説いた一遍上人ならではの言葉である。

 

最初から「弟子なんか一人もいない」と言ってのける親鸞も凄いが、

親鸞だって、さすがに「教行信証」はちゃんと残している。

 

最後に、こんなに長々と書いてしまったけど、簡単に言えば、”たとえ精神的なものにせよ、「もらう」のが弟子ではなく、師匠と同じように他に「与える」行為をするのが学びなんだから、それが弟子というものなんだろうな。”ということである。







 



 

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いつでもすべてを捨てられる生き方は、僕の矜持であり安らぎである

2016/12/12 Categories: 未分類

果たして自分がやって来たことには、どれほどの意味があったのだろうか?

そんなことを思うことが、最近ある。

、、、なのでこれは、オフィシャルなものではなく、問わず語りの独り言のようなもの。

あくまでも個人的な日記だと思って頂きたい。

 

渡されてしまった精神的文化遺産のバトン

 

昔の話で申し訳ないが、ある日を境に経絡の診断ができるようになって、指圧治療を始めるようになった。

それは、僕がまだ二十代半ば過ぎの頃だった。

 

思いがけず、増永靜人師が遺して下さった精神的文化遺産のバトンを、たった一人渡されてしまったのだ。

 

そのことに対する重責を感じないわけはなかった。

これを他に渡せるなら死んでも悔いはない、とまで思いつめていた時期もあった。

 

そのために人数の多少に関わらず、そっと呼吸するように、ずっと指圧を教え続けて来た。

 

他に選択肢はなかった

 

やがて経絡の診断治療には、どうしても心の転換が必要であることに気づいた。

それで「利他の実践」を、「道への献身」を説くようになった。

 

 こうして、単に教室で教えているだけでは済まなくなった。

 

このため僕がそれまで一人でやっていた、スリランカの井戸建設事業の寄付や、募金活動をすることを提案した。また、道を伝えるためのワークの実践を呼びかけた。

 

それは当初、人によっては大きな反発を持って迎えられた。

「金集めか?」と疑われ、影で「卑怯!」と言われた。「人集めをただで手伝わせるのか?」とまで思われたこともあった。

 

もちろん、それによって辞めていく人は少なからずいた。

しかし、僕は引かなかった。それは経絡を診断し治療ができるようになるには、利他や献身なくしてはあり得ないことが、自明だったからだ。

 

あくまでも僕は、増永先生の文化遺産の引き継ぎ人として教えていた。

だから、それ以外に伝える方法がないのであれば、他に選択肢はなかった。

 

いつでも問題はエゴにある

 

タオ指圧を教える一方で、僕は念仏の修行を一人で続けていた。

二十代前半、阿弥陀如来の大愛に心身のすべてが摂め取られ、救われるという体験をした。

このため僕は、”いつかこれを他の人と分かち合いたい”という願いを持ち続けていた。

 

ただし、指圧と念仏を同居させるという気はなかった。

しかし、それもやがては不可能になった。

 

なぜなら、経絡診断には「自他相対を超えた心の地平に立つ」必要があった。そのためには、念仏修行を説くしかなかったのだ。

もちろんこれに対しても、「そんなことしたくない」とか、「他の修行法でも良いではないか?」と反発する人がいた。

 

僕はこう答えるしかなかった。

「修行しなくても、あるいは他の修行法で、”自他相対の意識を超えることはできるかも知れません”。

しかし僕には、修行せずして、あるいは他の修行法で自他相対を超えた体験はありません。

自分が確証できないことは、お勧めすることはできません。」

 

しかし何よりも問題は、他の修行法を真剣に修行しているというわけでもないのに、それを理由に反発する、というエゴにあった。

そのエゴを指摘すると、その人は去って行った。

エゴが常にネックであった。

そして僕は、ここ十数年は、利他を勧め念仏を勧進し、ただ闇雲にそれに専念していた。

”それさえやっていれば、必ず経絡治療ができるようになるはずだ。”

そう願い、そう信じ、そう自分に言い聞かせつつ、ひたすら進めていたのだ。

 

みんなが他の人々に対して責任を持つこと

 

しかし何かが違った。

僕は何か大事なことを見落としていたのだ。

自分が願っていたことは、そこではなかったのだ。

それだけで真の経絡治療ができるようになる、というわけではなかった。

 

繰り返しになるが、僕が本当の意味でタオ指圧を学ぶ人に実践してもらいたかったのは、単にワークをし、念仏修行するだけではなかった。

それなのに、「それで十分なはずだ」と思い込んでいたのは、完全な誤解だった。

 

僕がセンターに来る人に願っていたのは、「他の人々に対して責任を持つこと」だったのだ。

一体、他の人々の何に責任を持つことなのか? 

幸せに、喜びに、明るい未来に、だ。

そうなれば、責任を持った本人にも幸せが、喜びが、明るい未来が来るのだ。

 

表現がややこしくて恐縮だが、さらに言うならば、僕は道場の修行者には

「”道場の みんなが、他の人の喜びに責任を持つ”ようになることに対する責任」を持ってもらいたかったのだ。

これは先ほどのとは、精神的にはさらに一段上ハードルが上がることだろう。

でも、そうなれば幸せ、喜び、明るい未来の「無限連鎖」が生まれるのだ。

そこには、誰が上でも下でもない世界が開かれるんだ。

 

僕が本当に願っていたのはそこだった。

そのため僕は、そのモデルとなるべく行動をして来た、、、つもりだった。

 

モデルとなるべく行動で出していたメッセージ

 

だから、みんなが楽しくあるように、喜んでいるように、と願って実践して来たのは、それを与えること自体が目的ではなかった。

 

それを与える人になってもらいたい、がためだった。

もっと言えば、「それらを与える人を育てる人」になってもらうことが目的だったのだ。

 

僕はモデルとしての行動をすることで、無意識に、ずっとそのメッセージを出し続けて来たつもりだった。

 

ほら、こんな風に人には接してくださいね。

こんな風に人を大事にしてくださいね。

こんな風に人を気遣ってくださいね。

こんな風に人の幸せに責任を持ってくださいね。

 

一人一人に、そう無意識に話しかけながら接して来た、つもりだった。

しかし果たして、それがちゃんと伝わっているのかが、甚だ心もとなくなって来た。

 

僕のメッセージが伝らなかった人(行動が変わらない人)に、

これから僕はどう接して行ったらいいのだろう、、、。

 

 

心の中で言い続けていた

 

繰り返しになって申し訳ないが、僕は、サンガの場が楽しく有意義になることに責任を持ってきたつもりだった。

それは、みんなも同じような気持ちになり、同じような行動をするように、責任を持って人を大事にしてもらうことが目的だった。

 

しかし、自分が大事にされることの楽さに慣れてしまう人がいる。

そして、自分は無責任でも良いとしてしまう。

 

再び繰り返しになるのだが、僕は単に、サンガの場に責任を持て、と言っているのではなかった。

これよりもさらに、一段ハードルが上のことだった。

 

「みんなが責任を持って、サンガの場を楽しく有意義にすること」、

このことに対しての責任を持って欲しい、とそう心の中で言い続けていたのだ。

 

道や法には、献身か利用か? そのどちらかしかない

 

これまで幾多の精神運動は、一人とその周囲のわずか人たちだけが人々に責任を持ち、

その他、大勢の人たちは、そのエネルギーを利用することで成り立たせて来た。

 

そして精神的なムーブメントは、例外なく、精神的支柱の人たちがなくなったら汚れた。

それは当たり前だ。

 

純粋で献身的に受持する数名に、みんながエネルギーをタカっていたに過ぎないからである。

 

これはタオサンガも例外ではない。

だから受持し、献身する人がいなくなれば、たちどころに砂漠となる。

それは想像するだけで、吐き気のするような気の状態であろう。

 

それはそうだ。

道や法には、献身か利用か? そのどちらかしかないのだ。

 

だから責任を持って受持すれば、宇宙大霊の光が宿り、

責任を持たず、受持しなければカルマ(邪気)が宿る。

 

受持する人がいなければ、タオサンガには邪気が宿ることは間違いない。

というよりは、タオサンガは如来の光は、受持する人の中にしか存在しない。

 

そんなことを考えると、一体自分は何をピエロみたいなことをやって来たんだろう?

こんなこといつまでも続けていても、果たして意味があるんだろうか? 

受持している些少な人にも、大変な役割を負わせてしまって申し訳ない、、。

などと、一瞬思ったりもする。

 

一体、何人の人が場を受持するようになったんだろう

 

「<気と経絡>癒しの指圧法」で僕は、共感的想像について説いた。

これは指圧というより、日常の心のあり方だ。何よりも、コミュニケーションの場においてのことだ。

 

だからタオ指圧を学ぶ人は、コミュニケーションの場では、いつも共感的想像の心境になってお互いを思いやるものだ、と思っていた。

 

”みんながそうなることに責任を持つものだよね。だって普通そうでしょ?”と思っていた。

しかしよくよく見回してみたら、一体、何人の人が、コミュニケーションの場を受持するようになったんだろう、、、。

 

PS.

 いつでもすべてを捨てられるように生きていることは、常に僕の矜持であり、また安らぎでもある。

 

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これで僕もブラックリストの仲間入り。平和活動も楽じゃない。

2016/12/01 Categories: 未分類

 エルサレムで自宅軟禁されているバヌヌから、フェイスブックの友達リクエストが来た。

彼はイスラエルの元核兵器開発エンジニアで、イスラエルの核兵器開発の詳細を、イギリスの新聞に内部告発した人間である。(←勇気あるよなー)

390-21

バヌヌ

その後、バヌヌはイギリスのホテルのバーで美人に誘われてついていったところ、気がついたらローマからイスラエルに向かう船の中で拘束されていたそうだ。

ようするにその美人は、モサド(イスラエルの秘密警察)の諜報員。

彼は色仕掛けに引っかかったのである。(←ああ、男ってバカ!)

 そしてイスラエルで、国家反逆罪か何かの罪状で、18年の獄中生活を強いられる。(←人間の良心に従った結果がこれだ)

 独房での重禁固は11年以上にも及び、これはギネスに認定されているそうである、、、。

 ヴァヌヌは今も尚、エルサレムで自宅軟禁中の身である。アメリカに弟がいるそうで、イスラエルから脱出したがっている。しかし、海外に出ることはできない。

現在も、モサドの監視下にあり、ジャーナリストと会うことは禁止されていおり、実際、ジャーナリストと会った罪で何度か逮捕されている。

(モサドの恐ろしさは、ナチスの秘密警察ゲシュタポに匹敵する。拉致、監禁、暗殺、拷問、なんでもござれである)

 バヌヌは。アムネスティー・インターナショナルより「良心の囚人」として認定された。

ノーベル平和賞の候補にも推薦されていた。ライト・ライブリフッド賞を初め、様々な市民団体や個人からの平和賞も受けている。

 興味深いのは、バヌヌがアル・ハヤト紙で、ケネディ大統領暗殺事件にイスラエルが深く関与していたことを告発したことだ。

ケネディ暗殺は、バヌヌが核開発していたディモナ原子力発電所の視察を恐れたベン=グリオン政権の指示によるものだった、そうだ。

 実はバヌヌとは、以前、密かにメールで2、3度やり取りしたことがあった。しかし会いに行ったことはなかった。

会えば僕もブラックリストに乗り、イスラエル入国が面倒になる可能性を考えたからだ。

 

果たして僕は、バヌヌからのリクエストに応じるべきだろうか?

 どーせ僕は、2、3日経ったら、”保身に走るのはかっこ悪いじゃん”とか一人ごちて、リクエストに応じるだろう。人間としての良心に従った彼の勇気ある行動に敬意を表して、、、。

だけど、2、3日は普通の人の顔みたいに、知らん顔もしてみたい、、、。

 まあ、そんなもんだ。

これで僕も晴れてブラックリスト入りというわけである。なので、これで安心して(←何がだ!)バヌヌに会いに行くことができる。世界の裏の話も色々聞けるに違いない。

(東エルサレムの地下には、近辺にあるすべてのPCにハッキングして、オンラインデータを読み込むことができるセンターがあるそうだ。フェイスブックの友人など、いくら非公開にしても、簡単に見ることができる、とのこと)

 

安倍政権は、イスラエルと軍事協定か何かを結んだようだから、僕は安倍政権にも睨まれるかも知れない。

なので、良い子のみなさんは、僕に近づかないように注意しましょう。

お母さんに「あんな子と遊んじゃいけません」って叱られるかも知れませんよ。

 

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