2012年6月の記事

価値ある今日を過ごしたい

2012/06/26 Categories: 日記

3才から11才ぐらいまでの年齢の異なる子供たちが、会ったのが初めてでも楽しく遊べるものは、一体何だろうか? と真剣に考えた。サンガキッズデーが、日曜日にあったからである。

最後に「スイカ割り」を思いついた。目隠した子供が、10メートルぐらい離れたところにあるスイカを、木刀で割りに行く。周囲は、「進め」とか「右!」とか、かけ声をかける。昔懐かしのゲームである。

<どの子も真剣>

これは、大成功だった。(下記のアドレスで、Facebook 上の動画をご覧下さい)

http://www.facebook.com/photo.php?v=405315402854624

水鉄砲で遊ぶ

<自分で割ったスイカは美味しい!>

夕方からは、センターで、ゲームをやったり暴れたり。

大人たちも戦略ボードゲームに熱中。上は、女性棋士のロコさん。(僕は彼女に負けました。ゲーム考案者としては、本望です)

写真が物語る、この日のできごとだが、実は、午前中にチラリと考えたことがある。それは、”今日一日、たまにはゆっくり休むとかできたらなあ、、、”とかであった。

でも、何もせずに過ごした一日と、汗を流してみんなの笑顔を胸にしまうことができた一日とでは、“自分として感じる一日の価値”が違うものなあ。

やはり僕は、価値ある今日を過ごしたい。

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たとえ生きるのが下手でも

2012/06/22 Categories: 未分類

 UNIチャリティフェスティバル(http://npouni.net )に参加してくれた「焼き肉屋いちなん」をやっている孫恵文(そん・けいぶん)さんと、時おり会うようになった。(名刺で名前を見た時に、「何て、かっこいい名前だろうな〜!」と思った。だが、まあそれは、このテーマではないので、ここまでにしておこう)

<孫恵文さん>

 孫さんと会うのは、「サンガキッズクラブ」を始めるに当たって、いろいろ相談するためだ。

 これは、タオサンガやNPOユニに、何らかの関わりのある子供たちが定期的に一緒に遊べる時間を創ろう、というプロジェクトである。孫さんには委員をお願いした。

 僕は、子供が気になる

どの子供を見ても、見るたびに2つの点が気になる。1つは、“ちゃんと愛されているか?”で、もう1つは、“孤独でないか?”である。僕は、20代の頃に幼児教育論を書きかけたぐらいだったから、子供が気になるのは、何も今に始まったことではない。

 子供は、親(または大人)に愛されなければならない。それは、無条件でなければならない。そして、愛情は満たされなければならない。親(または大人)には義務が、子供にはその権利がある。(しかし、心に義務を課すことはできないのが、何ともはがゆいところだ)

 街で子供が視界に入ると、日ごろ愛されているかが気になって、チラホラ見たりする。それで、愛されている顔をしていると(満ち足りた顔をしている)、安心してホッとする。逆だと胸が痛む。(チラチラ見ていたりすると、変質者と誤解されないか、同時に心配でもあるが)

 共通の特徴

 孫さんの店のメニューに「“美味しい!”と言われるより、“安い!”と言われる方が嬉しい変わり者」というような自己紹介が書いてあって、僕は一発で孫さんのファンになってしまった。

 それで実際にお会いしてみたら、“腹に何も持っていず、何とも安心できるお人柄”という印象を受けた。

 ところで、孫さんのことを考えていて、自転車屋さんの安田さん、また印刷の大平さんなど、僕が妙に共有できる部分を持っている人たちにある、共通の特徴は何だろうか? と考えた。

 そしたら、この「腹に何も持っていなくて安心できる」ということではないか、と思った。このような人は、世の中でうまく立ち回ることはできないに違いない。心の中に何かを隠し持ちながら、人とうまくつき合うということは苦手だろうから。

 また、自分がそうじゃないから、心の中に何かを隠し持つ人の気持がわからないのだ。このため、人に騙されたりすることもあるだろう。いや、正確に言うと、もう少し違う。ここで、ちょっと自己分析してみよう。

 騙されながらも信じるのはなぜか?

 誰かが自分を騙していたら、実は無意識のレベルでは見抜いている。しかし、それを認めるのが、どうも「億劫」なのだ。たとえ相手が自分を騙していても、それを認識したり証明したりするには負(ネガティブ)のエネルギーを必要とするからだ。

 信じた方が、たとえ物理的には損でも、霊的レベルでは楽だ。それに、信じていれば、いつかは相手も、改心して変わるかも知れない。そんな淡い希望を抱きつつ、無意識ではわかっていながらも、騙され続けるということになる。

 これは良心的な少年院の教官もそうだろう。また、100年以上前に書かれた“宗教的心理の諸相”(ウイリアム・ジェームス著)にも、「何度だまされても信じ続ける」宗教者についての記述があったから、お人好しは古今東西変わらないのだろう。

<Photo world collection より>

そんなことでは、世間でうまく立ち回ることはできないのかも知れないが、“放っておいてくれ”と言いたい。僕は安心できる人とだけつき合いたい。生きるのが下手なのだ。

 

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和田寺の法要ツアーに行く

2012/06/12 Categories:

僕が住職を勤めているのは、島根県の匹見というところにある。自然が豊かな所だ。十畳ほどのお寺には、電気、水道などのインフラは何もなく(実はトイレもない)、よって当然、檀家もない。

それでも村の人々は、このお寺を大切にして来てくれた。昭和38年の豪雪で、一度お寺が潰れたのだが、村のみんなで寄付して今のお堂を建てたという。

ずっと以前(お年寄りの話で、どうも戦前の話みたいだ)、ちゃんと庫裏(お寺の人が住む家)もあった頃、子供が4人いる酒飲みの住職がいた。しかし、借金取りに負われて夜逃げしたという。聞いたときは、つい笑ってしまった。

村の人たちは、今でも、草取りなどの手入れをしてくれている。僕が法要を始めたのは、昨年からだ。村の人たちは、”こういう日が来るのを待っていた”と言ってくれた。今年は、日頃お寺をお世話して下さっているお礼も兼ねて、昼食の接待もした。皆さん、とても喜んで下さった。

<法要のあと。チーズ!でなく、モンキー!と言ったら、みんな笑った>

<昼食の接待/実はお酒も出した>

<サンガの笑顔で、満州にいた時の話を聴く。考えてみたら貴重な話だ>

夜は、タオサンガのみんなでパーティ。昭和歌謡ショーから、コメディ劇「ネオ白雪姫」の出し物まであり、この日の夜は、爆笑につぐ爆笑だった。

<劇のフィナーレ/脚本も演技も、素晴らしかった! 来年のタイ大会で披露して欲しい!>

<二人の”美魔女”に囲まれて、ご満悦の「麻呂」、こと永田氏>

<帰る日の朝は、サンガ式HAPPY BIRTHDAY の儀式をやった。うーん、嬉しそうだな>

さて、ここ匹見の特徴は、「時間が止まったまま」な感じであることだ。こんな感覚は、なかなか味わうことができない。強いて言えば、東エルサレムが、ここの時間感覚に少し近いかも知れない。

 

 

 

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