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脳天気に列島を激しく動き回った2週間!(国内すごろく) 

2014/08/14 Categories: 未分類

いよいよイスラエル、パレスチナ向けて出発する。向こうに行ってしまったら、ものを書く時間は全く取れない。だから今のうちに書いておこう、と思った。

実はここに至るまでが大変だった。

広島からヨーロッパ経由でエルサレムに往く、地球のためのワールド・ツアー・キャラバンなどという、夢物語としか思えないようなプロジェクト、、、。

これは、普通に考えたら、ものの1秒で「あっ、ムリ!」と結論を出しそうな話である。それどころか、考えもしないに違いない。

それなのに、常識的な思考回路のない僕たちタオサンガは、何も考えずに、まるで闇のなかを手探りで家を建てるようにプロジェクトを始めた。後で考えると、つくづく能天気な僕らであった。

 まずは、ここにまで至ったことは、奇跡みたいだと思った。が、それすらまだ序の口であった。

、、、まあ、その辺については後で書くことにして、まずは、どんな「すごろく」(僕は自分が動き回っての活動を“すごろく”と呼んでいる)だったか、と言うと…、。

まずは、五年前にパレスチナのナブルス難民キャンプで出会った、田中さんに会いに岐阜に日帰りした。

パレスチナでキャラバンのイベントを行う場所としてどこが良いかについての意見を聞くためである。

 

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<パレスチナの旗と、イスラエルの核兵器製造に携わった後で、それを世界に告発したバヌヌ氏の写真をかかげてデモをしている田中博さん。

僕も2、3度メールでやり取りしたことがあるが、バヌヌ氏は25年後の今も、イスラエル当局によって、未だ半軟禁状態に置かれている。>

 

翌日は、沖縄に行った。(←忙しい話だなー) 沖縄に行ったのは、うる文化協会の依頼である。戦時写真の返還式を行い、慰霊祭で導師を務めた。

30年ぐらい前に住んでいた名護にも行ったりしたので、沖縄には2泊3日した。このプロジェクトが始まったときの記事は、http://npouni.net/category/aid-activity/japan/httpnpouni-netpage_id10783previewtrue/

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<返還式>


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京都に帰らず、そのまま九州に飛んだ。浄土宗平和協会の川副春海さんに、このキャラバンの企画について相談するためである。

いろいろとポジティブに相談に乗ってくれ、実にありがたいと感謝した。(さとしさんが創ってくれた初期のチラシができていたのも、説明し易くて良かった)

 

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 <川副春海さん・浄土宗平和協会で活動する専称寺の住職>

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<早くウエブサイトを立ち上げないとな、、、>

京都に帰り、カナダから来たアレックスを迎え、島根県の和田寺に行った。

これは毎年恒例の村の人たちとの法要と、カナダに念仏道場を建てたアレックスの得度式のためである。

二泊三日。この間も様々なワークあり。

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<和田寺のご本尊>

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<10畳しかないのに、総勢30人もよく入ったもんだ〜。フランス在住のちとせさんも子どもたちを連れて参加>

 

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<台風という予報だったが、見事晴れてくれた>

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<さて、これは何をやっている写真でしょうか? 大人も子どもも入り乱れての「ゴム飛ばし戦争ごっこ」である>

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<ホフク前進で進み、顔に当たったら、ぎゃーと声を出して、撤退する。相手の旗をゴムで倒したら側が勝ち!>

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<お寺の集まりでこんなことをやっているなんて、、、。常識的な人をお誘いする勇気は、とても僕にはありません、はい。

子どもたちも4人ぐらいいたので、花火大会やすいか割りもやったけど>

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<アレックス太音(たいおん)。うん、なかなか、かっこいいな>

 

島根の帰りは、そのまま広島。プロジェクトを実現するため、いろいろな人に会いに行ったのである。

まずは、憲法九条のプラカードを持って、ねずみ男の格好で、九州から広島まで歩いたという福崎さん。

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<福崎・ねずみ男氏http://kyujyou.blog.shinobi.jp/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E3%81%AD%E3%81%9A%E3%81%BF%E7%94%B7_610

 

福崎さんの紹介で被曝二世で活動家の牧師さん、大月純子さんとも会った。

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<牧師であり活動家である大月純子さん>

そして、原爆ドームの対岸で、地球ハーモニーという音楽祭を17年間開催されて来た梶川さん。

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<梶川さんは、フルートプレイヤーでもある>http://blog.goo.ne.jp/kazeno-ie/e/e958c96e06a4cf9d84649546eaf3e99b 梶川さんにも貴重なアドバイスを頂き、また他の方も紹介して下さった。

広島では様々な出会いがあり、とてもありがたい気持ちになった。

次の日は、広島でのステージ実現のため県庁まで出向き、元自衛官のヒデさんという広島在住のメンバーと打ち合わせをしてから京都に帰った。

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<ヒデさん。元自衛官なので、戦争ごっこ遊びではサマになっていて、実にかっこ良い。

しかし彼の撃つ輪ゴムは全然当たらないので、今では僕に戦力外プレイヤーと見なされている。ははは。

それにしても国と国が戦争で決着つけるなら、輪ゴムにしたら良いのにな、と思うよ。>

 

翌日からは、いよいよ中東に向けての出発準備だった。これがまた、、、まあ簡単な話というわけでもないのだ。

 

ー続くー

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久しぶりのブログで申し訳ないけれど、、、

2014/05/13 Categories: 未分類

弁解じみていて申し訳ないんだけど、長い間、ブログを書かなかったのは人生をさぼっていたからではないんだ。

 逆にいろんなことがあり過ぎて、、、ということもある。別の原稿に時間とエネルギーを注いでいたということもある。「自分のやっていることを書くことに、果たして意味なんかあるのかな?」という疑問に少しばかり襲われていたこともある。

 しかし、まあお許し頂きたい。

 さて、バングラディシュの続き、、、、。その後、コックスバザールでさらに活動を続け、ダッカへ移動して一泊。市内をうろついてからバンコクへ飛び、パタヤで数日過ごして帰国した。

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 〈仏舎利塔の横で、チョコロンギー村の学校開設地を再検討〉

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〈校長先生(写真右)は課外授業として、チャリTXを取り入れると話す〉

ラジョーさんお別れ

〈コックスバザール空港で。悲しそうに見送るラジョーさん〉

ダッカ市内

〈そして、ダッカへ〉

だが!、、、暑かった東南アジアからいきなり大雪の東京!

(東京でタオ指圧のクラスを4日間やることになっていたのだ)

 

僕はアジアの旅の軽装。

雪のぬかるみに足首までつかりながら、朝、道場へ向かったのだった。

 

その後、京都へ戻り、”ああ、やっと休める!”と思ったら、なんと土日の念仏会。

けっこうハードなワークのリーディングをやってしまった。

いやワーク•リーディングだけやって、あとは帰って休めば問題なかったのだ。

 

しかし僕は、遊びにも手を抜かない主義という、この辺に関しては妙なこだわりがある。

それで、夜はみんなと居酒屋へ行って、チャリティックス•ゲームなんてやって遊んでしまったからもういけない。とうとう何年かぶりで風邪を引いてしまった。これではまるでバカ丸出しである。週末からは、博多でワークショップとライブまであるというのに、、、。タハハ。

 

金曜日に、風邪を押して博多に向かう。そして土曜日は、りーぶろという書店で、ブッダと気の幸福力のワークショップ。その後のライブまで、何とか無事勤めることができた。もう、感謝、感謝である。

 

博多では、懐かしい顔ぶれとも久しぶりに会うことができたが、ライブ後の打ち上げはさすがに大事を取って休むことにして、翌日、帰京。

 

さて今回の旅のすごろく。

博多→バングラディシュ→タイ→東京→京都経由→博多→京都(上がり)

 

京都に帰って、「やっと休めるぞー」、とは思ったものの、その後は、東京を行き来したり、僕のライフワークであるチャリティックス•ゲームに関する原稿に没頭していた。

 

そして気づいたら、いつの間にか、ヨーロッパ講習ツアーの日が近づいていた。

何と! あさってからである。

 

今は東京で土日のクラスを講習中。明日の夜、京都に帰り、明後日はもう関空からウィーンへのフライト。

 

というわけで、ブログの続きを書くのは、今しかなかった。

ヨーロッパから帰って来てから、バングラディシュの話なんか書けるわけないしね。

 

今回は弁解に終始してしまったブログでしたが、読者の皆さん、ごめんなさい。

では続きは、ヨーロッパで!

 

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菩薩さまとの出会い

2013/12/25 Categories: 未分類

生涯のほとんどをハンセン病のサナトリウムで過ごされて来た、中村幸枝さんという方がいる。僕はその方に会いに、群馬県の草津に行った。

幸枝さんのことを知ったのは、僕の音楽と本の大ファンになってくれていることを、飯塚さんという旧生徒さんから聞いたからだ。

飯塚さんによれば、6枚のCDを毎日聴いてくれており、本などは何ページに何が書いてあるのかまで憶えていて、飯塚さんに教えてくれるという。

さらに僕の本を、医療従事者に配ることまでして下さっているそうだ。そして、僕の音楽を聴くことによる身体の変化を、論文にまで書いているので、もうびっくり。

ただ残念ながら、最近は目が不自由になってしまった上、脳梗塞を起こして半身が不自由になってしまい、さらに、腎臓病まで併発してしまったと聞いた。

僕は、「これは行かなければならない。」と思った。

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<サナトリウムの前で>

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<飯塚さんと>

その他に聞いたことは、幸枝さんが、浄土真宗の念仏信者さんで、仏教にも造詣が深いということ。僕は、仏教に造詣が深く、なおかつ目が不自由になってしまったのなら、自分が毎週やっている法話ライヴをCDにして、聴いてもらおうと思った。

というのは、法話ライヴは、ユーストリームでネット配信されていて、過去に放映された法話も視聴できるようになっているからだ。

こうして過去の法話ライヴを、CDやDVDに落とすプロジェクトが始まった。幸い、このプロジェクトに賛同するタオサンガの有志が12人も集まってくれ、過去のものも含めて、法話ライヴのCDをサナトリウムに定期的に郵送していけることになった。大感謝! ありがたいことである。

飯塚さんには、「幸枝さんが病室を出られ、春になってからでも来て下さい」と言われていた。でも、東京の4日間のクラスを終えた僕は、1日おいてから群馬県草津市に向かった。ちょっとしたサプライズのつもりで。

サナトリウムの近くのバスターミナルから、飯塚さんに電話した。飯塚さんは、もちろんぶったまげていたが、自宅に向かっていたのをわざわざ引き返してくれ、僕をサナトリウムまで案内してくれた。(その上、患者さんの予約が入っていたのに、キャンセルまでしてくれた。うぅ、申し訳ない、、、)

長い間、僕は幸枝さんという人を、なんとなく中年の女性ぐらいに考えていたのだが、82才と聞いて、またびっくり!

僕の音楽を毎日にように聴き、また、全著作を飽くことなく読んで下さっている上、論文というかエッセイまで書かいていらっしゃる方と聞いて、82才をイメージすることは難しかったのだ。

さて病室に入って紹介してもらうと、幸枝さんは僕が訪ねて来たことに対して、何だか現実感が湧かないようだった。まっ、目も不自由だしね。

少しばかり話をしたあと、僕はさっそくベッドの上で治療を始めた。ところが、、、ものの10分ぐらいで、リハビリの時間になってしまい、聞くと、その他病院スケジュールが2時間以上も続くとかで、あえなく中断。うぅ、、、。僕は、来年の再訪を約して引き上がらざるを得なかった、、、。

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<病室を出たあと>

病室をやむなく辞した僕たちは、このサナトリウムで知り合って結婚されたという、ご主人の中村さんに会いに部屋まで行ってみた。

僕の来訪を驚いて喜んでくれている中村さん。ふと見ると、テーブルには、僕が書いた「タオ指圧入門」(講談社α文庫)と、その隣にはナンと将棋の本があった。

僕は中村さんに、「将棋お好きなんですか?」と聞いたら、「はい」というお返事。聞けば、県の障害者の将棋大会で優勝しているとのこと。そこで僕はすかさず、「中村さん、将棋やりましょう!」と誘い、中村さんは喜んで盤と駒を持って来てくれた。

対戦してみると、ほぼ互角という雰囲気だったのだが、うぅ、負けてしまった。2回目は、僕が勝つ寸前だったのに、どんでん返しの逆転負け!

次回のリベンジ・マッチを約して、僕は部屋を辞した。くそー。次は負けんぞ、中村さん。

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<中村さん、けっこううれしそうに盤と駒を持ってきてくれた>

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<最後に、見事逆転されてしまった〜!>

僕はこのブログのタイトルを、「菩薩さまとの出会い」とした。それは「自分が直接原因でないのに不幸を背負ったり、またハンセン病のような重い病気になったりして苦しむのは、世界のカルマを背負ってくれている、菩薩さまだからである」という認識が、僕にはあるからだ。

仏教には「代受苦」という言葉があるが、それは他の人の代わりに苦しみを受ける菩薩の行為のことである。

もちろん本人は、そうは思っていないに違いない。自分が苦しむのは、自分のカルマが原因だと思っているだろう。こんな病気になって、家族にも迷惑をかけた。こんな自分が悪いんだと思って、自分を責めて来たかも知れない。

でも違うんだ。絶対違うんだ。「あなたは、世界のカルマを背負って病気になって下さった、尊い菩薩さまなんだ。」僕は、そう言ってあげたい。だから僕は、そういう方には、拝むような気持で会う。

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<サナトリウムは、山の上にあった>

、、、その後、僕は大宮、東京経由で、東北に向かった。タオサンガのメンバーが気仙沼にボランテア指圧に行っているので、そのお手伝いをするためである。

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目に見えない因縁のアレンジメント

2013/09/12 Categories: 未分類

僕の母親の名前は、春枝さんと言うのだが、息子(つまり孫)も含めてみんな春枝さんと呼んでいる。実は本人、最初はそのことを、どーたらこーたら言っていた。

だが今は、僕に送ったメールの最後に「春枝」と自分で署名しているから、きっと納得しているのだろう。ところで、春枝さんの年齢を僕はよく知らない。(忘れた)

春枝さんは戦時中、女子学徒動員で落下傘を作っていたそうだ。それで毎晩、空襲警報のサイレンを聞いては、防空壕に逃げ込んでいたらしい。(まあ当たり前だが)

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<こんな格好をしていたのだろう(推定)>

春枝さんは、“あの「ウー」っていうサイレンの音と、B29(米軍が使っていた戦略爆撃機)が「どーん、どーん」って爆弾を落とす音が、イヤなのよね〜”と言っていたことがある。(ただし春枝さんが言うと、あまり深刻には聞こえない)

春枝さんはお嬢様育ちなので、自宅に防空壕があった。僕は子どもの頃に行ったことがあるが、あの時代に、サンルームはあるし庭には池があったり、また老子っぽい石像まであるので驚いたことがある、というか子どもの頃はあの石像は不気味であった(残念ながら、おイエの事情があり、今はもうない)

春枝さんが、ある日、別の防空壕に隠れたら、そこに直撃弾が当たったことがあるそうだ。爆発していたら死んでいたけど、運良く不発弾だったから助かった、ということであった。まあその結果、自分も生まれることになったわけである。

 一方、僕の父親は海軍で駆逐艦に乗っていたそうだ。しかし米軍の魚雷攻撃で沈没し、漂流して助かったと聞いたことがある。

また末期の日本海軍は、人間魚雷(海の神風特攻隊)の志願者を、半ば強制的に募っていた。しかし部隊の中で、僕の父親ともう一人だけが志願しなかった、と春枝さんに聞いた。

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<人間魚雷『回天』。こういうのに一人で乗って敵艦に突っ込んで行くのって、自分だったら、このときどんな気持になるだろう?>

実は、僕は、まだ幼かった息子の結万(当時、小学生)と、「一体、勇気がなかったから志願しなかったのか、それとも勇気があったから志願しなかったのか?」と、父親が亡くなった後にディスカッションしていたことがある。

結万の意見は、“あの時代に志願しないのは、相当に風当たりが強いはずだから、よほど勇気がないと、志願拒否なんてできないよ”というものであった。

一方、自分の父親への反発心が強い僕は、“いや〜、そうは言ってもね〜”と、小学生の息子の前で、個人的感情むき出しの意見を出していた。(ようするに、僕自身が、しょーもねー、ダメ親父なのである)

しかし、もしかしたら、その僕の意見は、最初の仏教の先生(法蔵寺住職)が、元ゼロ戦のパイロットで神風特攻隊の生き残りだったことと、関係があるのかも知れない。

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<特攻隊の出撃を見送る女学生>

富永上人は、いざ出撃の日に「おまえは寺の息子だから、これから共に出撃する仲間のために、お経を読み上げてくれ」と言われ、お経を書いて読み上げていた。

ところが、しばらくしたら、終戦を告げる天皇の玉音放送があった。それで、出撃命令が解除になり、出撃しなかったのである。

そして戦後は、自分だけ生き残った、というやり場のない想いを持て余し、山に入って念仏修行に打ち込んだ、と人づてに聞いた。

さて、僕はどうしてまた、長々とこんな話を書いたのだろう? 昔話なんて、自分が一番キライなはずなのに。

実を言うと、アメリカ在住の日本人女性、すみこ・バイニンさんからの依頼で、沖縄戦時写真の返還プロジェクトに関わることになったからである。

そして僕は、すみこさんが(そして僕が)、今回このような役割を取ることになった因縁は、一体何なのだろうか?”と考えていた。

<祖父母や両親が生き残ったから今の僕たちがいる

春枝さんが隠れた防空壕を直撃した爆弾が、通常通り爆発していれば、僕はこの世に生まれなかった。

乗っていた駆逐艦が沈没し、漂流していた父親が運良く拾われなかったら、僕はこの世に生まれなかった。

終戦があと1日遅かったら、僕の最初の念仏の先生は特攻で死んでいたから、僕が今のように法話などしていることはなかった。(その人の法話が、今の僕の法話の下地なので)

先の大戦では、300万人の日本人が死んだのだ。僕の両親のように、運良く生き残った人たちがいるから、今生きている僕たちがいる。言うなれば、亡くなった人たちのお陰で、今僕たちが生きている、と思うのだ。

因縁とは、目には見えない背後の働きのことだから、このプロジェクトは、目には見えない、先の大戦で亡くなった人たちのたましいが平和を訴えている声を聴くことだ、と僕は理解している。

人生で起こるすべてのできごとは、因縁によってアレンジメントされている。だから、このプロジェクトの元になった、すみこさんの果たす役割もまたそうだと思う。

 そもそも、すみこさんのご祖父は戦死されている。ご祖母は、1日で都民10万人が焼け死んだ、3月10日の東京大空襲に遭った。

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<10万人の東京都民が、一日で焼け死んだ“東京大空襲”>

その結果、ご祖母は、命からがら残された家族7人を連れて田舎に疎開した。(その内の一人が、すみこさんのご両親のどちらかである)そして7人という大家族を養うため、やむなく栃木市の任侠の親分の庇護を受けて、芸者さんまでされた。

上野に稽古場を持ち、三味線と日舞の師匠までされるほど才能豊かな女性が、そういうことまでしなければ、生きていけなかった時代である。

しかしご祖母の言葉が素晴らしい。ご主人が戦死し、家も破壊されたのに、その口癖は「戦争のことは誰もうらんじゃ駄目よ。ほとんどのアメリカ人も日本人も悪くないのよ。政府同士が戦った犠牲者なのよ。」だったというのだから。(facebookやtwitter で流したいぐらいである)

 僕は、「沖縄戦時写真返還プロジェクト」に、“聴こえますか? 平和の礎となった、彼ら兵士たちの声が”という副題をつけた。

NPOユニのホームページに、すみこさんとのやり取りなどの詳細や、写真等を掲載した。ぜひ、ご覧いただきたい。そして、写真のご遺族が見つかる何らかの情報を頂けたら、心底、うれしく思います、、、。

 

 

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ああ! タオ指圧体験講習

2013/07/16 Categories: 未分類

恐る恐る再開した、日本での体験講習だった。
                                   
実は、1昨年(だったと思うけど)の夏に、オランダでやったワークショップで、
初めて仏教修行(念仏三昧)によって生まれる、気の体験を土台として講習を行った。
                                   
多くは初めてのタオ指圧体験だった人たちだ。意外なことに、それは思いのほか
受け入れられた。その時僕は、ああこれは新しい時代が来たのだな、と思った。
 
このため、タオ指圧のすべてのカリキュラムを、仏教を土台として組み直すこと
にしたのだ。そしてそれは、今までとはまったく違う指導方法だった。
                                    
それには理由がある。これは僕の長年の悲願だったのだ。
ことばにすれば簡単なことだけど、桜の花が咲くには、”幹”も”根っこ”も必要だ。

そしてタオ指圧という、手技で症状を取ることができる「花」は、根っこである
大乗仏教の修行、そして幹である利他実践のワークがあってこそ、咲く。
                                   
オランダでの体験から僕は、ようやく人々が根っこから学び実践する時代が
始まったと思ったのだ。
                                   
それでも日本での体験講習は恐る恐るだった。果たして人々の心が、仏教的な
内容を土台とした東洋医学の実践など、本当に受け入れられるのかどうか、
わからなかったのだ。
                                   
しかし京都、東京、名古屋、博多とやっている内に、たしかな手応えを感じる
ことができた。まだそれは数少ない莟のようなものかも知れない。しかし、
それは僕を、まるで輝くばかりの心の宝に出会ったような、うれしい気持に
させてくれたのである。
                                   
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<参加していない人には想像もつかないと思うが、念佛による気の作用で勝手に
身体が動き出してゴロゴロと転がりそれでいて深く癒されるという体験のワーク>
                                   
                                   
下記は、メルマガ和田寺ピープルに掲載された記事です。
メルマガ和田寺ピープル:http://www.mag2.com/m/0001601112.html

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タオ指圧体験講習の感想
                                  
『目からウロコの二日間』
                                  
                       金森 祐樹
                                  
名古屋で行われた、タオ指圧体験講習に二日間参加しました。
                                  
遠藤りょうきゅう師が、直接ご指導されるということで、地元
だけでなく、富山県や長野県など遠方から参加者された方も
いらっしゃっいました。
                                  
私は現在、京都センターのタオ指圧初伝クラスに通っています。
                                  
体験講習は、より多くの方にタオ指圧に触れていただききたい
ので、未体験の方が優先なのですが、今回は地元の名古屋での開催
という事で参加をさせていただきました。
                                  
講習が始まり、皆さん初めは緊張してぎこちない感じでしたが、
実際にワークを行って気の変化を体験すると、子供のように大興奮!
                                   
あっという間に打ち解けて、先生を中心とした笑点の大喜利みたいな
感じで、和気あいあいと講習が進んで行きました。
                                  
体験講習の内容は、まさにタオ指圧の根本というか、土台、核の部分。
                                 
タオ指圧の入門準備コースに入るための体験講習ということなので、
実は初めは、これまで習ったことのおさらいというか、うんうん、と
いう感じで聞いていたんですが、すぐに
                                 
「あれ、これはもしかして、こういうことだったのか!?」
                                 
「自分は今までこういう風に思ってたけど、全然違う!」
                                 
「そうか、この言葉の意味は、こんなにも深いものだったのか・・・」
など、目からウロコの連続でした!
                                 
遠藤りょうきゅう師の本に出てくる様々な言葉が、初めて聞く言葉
のように、まったく違った意味を持って入ってくる。とても貴重な
二日間の講習でした。
                                 
二日目が終わるころには、参加された皆さんと、なぜか随分前から
の知り合いのような気さえしてきました。
                                 
何名かの方が、10月から始まる京都での入門コースに進んで、タオ
指圧をもっと学びたいと仰っていました。
今後、タオサンガ名古屋のお念佛会にも参加したいと仰られた方も
何名かいらっしゃいました。
                                 
今回の体験講習を通じて、これから長く一緒に学んでいくであろう
仲間との良きご縁をいただき、そして、それぞれに学びと気づきと
出会いがあり、決意がありました。
                                 
タオサンガ名古屋が、ちょうど4月に発足したばかりのタイミング
に、新しい始まりを感じさせる、本当に素晴らしい二日間でした。」
                                 
                                 
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                                 
                                 
今、タイ大会の準備のためにバンコクに来ている。
走り回っていて、面白いことが次々に起きているので、「このままだと
体験講習のことは書けずに終わるな」と思った。このため、朝6時から
起き出してブログを書いた次第です。

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支援のためのフェスティバルがあってもいい 

2013/07/03 Categories: 未分類

そもそもフェスト(祝祭)というのは、ギリシア時代から宗教的な祭事だったはずだ。日本だって、祭りと言えば神事で、古来から今に至るまでコミュニティの絆を深めるために行われて来た。

もちろん、一見コンセプトがあるようで実はビジネス、というフェスがあってもいいんだけど、その空気、正直言って僕にはしんどい。ウッドストックだって元々の目的は、LOVE & PEACEだったんだけどなー、とか思ってしまう。

あの伝説のフェスティバルWOODSTOCKは、ちょうど僕が、ニューヨークで新聞配達をやっていた中学1年の時にやったのだ。街中に貼られているポスターを見ながら、行けずにくやしい想いをしていた僕だった。1時間半もあれば行ける距離だったのに、、、。

そんな想いが無意識にあったためか、震災のあった年に、このフェスを最初に立ち上げた。まあ、ごたくはこれぐらいにして写真でもごらん下さい。

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今年は2〜3万人の来場者があったようだ。 木の右側にいるのが、事務局長のあぼじさん。

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ウワサのカップル。名古屋サンガのゆうきさんとひとみさん。 このハッピーな空気。僕にはごちそうです。

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新生AMILITAとして復活した僕らのバンド。「音楽を聴いて、背筋がぞくっとするほど感動したのは久しぶりでした」との感想を、車椅子で被災地支援に行っている浜田さんに 言われて、嬉しかったあ!

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 エヘン! ここは僕が考案した戦略ゲーム CHARI-TX(チャリティックス)のブース。一日中、たくさんの子どもたちで大にぎわい。お母さんには、「ウチの子がこんなに集中しているのを見たのはじめてです」と言われるし、実に平和でハッピーな場所でした。知人が、「フェスに遊びに行きましたが、あまりにも楽しそうに子どもたちとゲームをしているので、声をかけずに帰りました」と後でメールをくれた。

そうそう! 2日間で200万円以上の寄付が集まり、各地の人々を支援することができることになった。

皆さんに感謝、感謝!!

 GIVEを楽しむ人たちが集まると大きな力になるんだなー。僕はそんなコミュニティを創るという夢を捨て切れない。

みんな、子どもたちの笑顔を見たいはずだと思う。彼らこそ、僕たちの未来なんだから。ユニフェスについて詳しくはこちらをご覧下さい。

 

 

 

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春からの展開はフェス、そして、、、。

2013/06/25 Categories: 未分類

昨日、博多でのタオ指圧体験講習を終えて、今はまだ博多のホテル。

博多在住のメンバーよっくんと、タイで行うタオサンガ世界大会ではダンスバンドをやる予定なので、その練習をするためだ。

、、、さて、前回のブログの続き。春からの展開をちょっと追ってみよう、、、。

5月の連休には、一大イベント「UNIチャリティ フェスティバル」を開催した。

これは、NPOユニで震災の年から始めた、“こんなのって世界初だよねー”と勝手に自負する、ユニークなイベントである。

どのようなフェスかというと、「出店者の皆さんに、売り上げの50%〜100%を寄付してもらい、みんなで世界の各地に支援する」というものである。

何か、もし実現したら、わくわくすると思いませんか? っていうか、実現しているんですよ〜!

ナンと、今や出店数も100に迫る勢い。開催までは、準備におおわらわだった。

でも、ビジネス目的でやってないためか、大変でも、いつも温かいほんわかムードが漂っている。僕には、この雰囲気だけでも、十分癒しになるぐらいだ。

きっとこれは、企画する側だけでなく、出店参加される方々もそうではないか、と思うんだ。

写真

<ほんわかムードのユニフェス・ミーティング>

そういえば、イタリア語のタオ指圧の本が出版されたんだっけ。イタリア語のは、これで2冊目。イタリアで頑張ってくれているメンバーのためにも、売れて欲しいな、とは思う。

写真 (2)

 

近々出版される「タオ指圧、究極の経絡メソッド」(ヒューマン・ワールド)も進行中。下記はその写真撮影である。

実は、僕はこの本を、タオ指圧関連最後の書籍として執筆した。(というのは、僕はこれからは、仏教や念仏の、不思議な秘密世界をテーマにしたものしか書くつもりはないので)

写真 (3)

<撮影は雨森慶為さん>

写真 (1)

<ピーターもモデルになった>

いよいよ2日間に亘って開催される「UNIチャリティ フェスティバル2013」の当日からのことである。これは次回に、写真でご覧になって頂くことにしよう、っと。




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全力疾走中のためサボっていたブログ

2013/06/07 Categories: 未分類

全力疾走中のため、長らくサボっているブログです。じきに春からのできごとを書きたいと思っております。

なにせ、締め切りのある原稿があります。まず、「タオサンガ」 という無料月刊マガジンでのインタビュー記事や、何でも質問箱の回答(身の程知らずにも!)などです。

締め切りはないけど、「和田寺ピープル」という、ほぼ週刊メルマガ(まぐまぐ)の一口法話もあります。

新刊「究極の経絡メソッド」(ヒューマン・ワールド)の出版に向けた作業もあります。(これは、かなりまさとさんやまひろさん等、周囲のメンバーおんぶししてもらっていますが)

だから、フェイスブックなんかは見ずに、このブログだけをご覧頂いている方からは、“あいつは、どこかに逃亡したのでは?”などと思われていたかもですねー。ふふふ。

サボってばかりで申し訳ないので、メルマガに掲載される一口法話をここに載せちゃいます。メルマガ「和田寺ピープル」の編集者麻呂さん、申し訳のうござんす。

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一口法話

仏教では我を捨てることを説きます。

しかしそれは、形ある何かに対してではありません。

形あるもののために我を捨てるのは、完全な間違いだし、それは、とても
危険なことです。

形あるものとは何でしょう? それは国家だとか、団体だとか、
教祖などです。

そもそも、形ある対象に我を捨てるのは、たましいにおける自殺行為です。

なぜならそれは、崇拝する何らかの対象に、自分の我を投影しているに過ぎないからです。

これでは、人は本当の意味では幸せになれません。

仏教で無我を説くのは、あくまでも形なき法や、宇宙大霊に対してです。

形なき大霊に対して我を捨てることで、幸福の源泉である、大霊が自らに宿るのです。

グルにはまるのは恋愛みたいなものだから、とやかくいう気はあり
ません。

でも僕は、グル的な崇拝対象に従う人を見るたびに、”本当の意味で幸せになる道を選んで欲しいなあ”、ついそう思ってしまいます、、、。

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解説は、またあらためて書きたいと思います。下記は、5月の連休に主催したチャリティ フェスのフォトギャラリー

 

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ひとくち法話 5月17日

2013/05/17 Categories: 未分類

やることが多過ぎて、とてもブログに手が回らないので、取り急ぎ「ひとくち法話」でもお読み下さい。

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本当の自分探し

そういえば一時、「自分探し」が流行りましたね。

あなたは、本当の自分をどのようなものだ、とイメージしているでしょうか?

 仏教では、 ”すべての人に仏性がある”といいます。

また、”本当の自分は仏である”ともいいます。

 「本当の自分」に対するイメージによって、人の生き方はずいぶん違ったものになると思います。逆に、生き方によって自分に対するイメージも人生も変わります。

 今日申し上げたいのは、あなたが、もし幸せになりたいのならば、、、

決して、本当の自分を価値の低い存在のように思ってはならない、ということです。

潜在意識にも、そう思わせてはならないのです。

 たとえば、よくある“どうせ私なんか、、、”というのは、無意識からのネガティブ・メッセージです。

 その声の言うことに従ってする行動は、後の人生で、”どうせ私なんか、、、”と思うような結果を生んでしまいます。

 では一体どのように、そのような「人生の負のスパイラル」を断ち切ったら良いのでしょうか?

 まずは意識的に、「本当の自分は”仏さまである”」というぐらいに、自分を気高い存在であると思うことです。それがスタート。

 もちろん、それだけでは、人生の負のスパイラルを生む潜在意識のネガティブ・メッセージを黙らせることはできませんよね。連中はうるさいからね。

 自分が気高い存在であることを、自分の潜在意識に刷り込む必要があります。

それには、極力、自分が気高い行動をすることこそが、秘訣なのです。

 ” 気高い行動って、どんなこと?”

逆を考えればわかるでしょ。

「自分の利得にならないことはしない人」は気高い人でしょうか?

「自分の利得になることしかやらない人」は気高い人でしょうか?

 だから気高いと言っても、そんなにおおごとではないのです。

たとえば、電車でお年寄りに席を譲るとか、玄関でみんなの靴を揃えるとか、、、。

 誰に知られることもなく、人々のためになることをする人。

 他の人の喜びを、自分は陰に隠れて楽しめる人。

 自分には何の利得にならないことを黙ってできる人は、気高い人なんです。

 そして、そういう行動を取っていると、あなたの潜在意識はあなたをどう思うか?

あなたを誇りに思うのです。

 潜在意識が、あなたを気高いと認めるのです。

そしてあなたを、気高く幸福な人生へと導くのです。

 さて念仏とは、文字通り「仏さまを念じる」ことです。

 仏さまを念じることによって、”どうせ私なんか、、、”とあなたに思わせて来た、あなたの潜在意識が浄化されます。

 そして、気高い真実のあなた、仏性が顕われます。

 仏さまが顕われるのです。

 仏教は学問でも知識でもありません。

苦しい修行するものでもありません。

 あなたの潜在意識を変えるものです。

あなたの幸福で気高い人生を創造するためのものです。

 

 

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修行の拙い自分に懺悔、懺悔、、、。

2013/04/09 Categories: 未分類

朝から果てなくメールのやり取り。

昨夜、カナダのローレンスに、イスラエルの兵役拒否ネットワークグループのURLとリーダーのアドレスを送った。すると朝メールが来ていて、ぜひユニで彼らをサポートしようと興奮している。

ローレンスは、ユダヤ人のサンガメンバーでで、僕と一緒にパレスチナをまわった人だ。

 僕はあからさまに父性を発揮するということが、まず滅多にない人間なのだが、なぜかローレンスにだけは違う。

 「おい、ローレンス。このプロジェクトは、絶対に誰にも頼らずに、自分でやるんだぞ。

今こそ自分の足でたつ時だ。

責任を持って、イスラエル人のためにタオサンガのドアをお前が開くんだ。いいな。今こそ男になれ!」

などと、芝居がかった口調のメールを送る。

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ローレンス(僕は彼を、なぜかDOG犬と呼んでいる。ゲーム好きなので気が合っている)

 なぜだか、わからないんだけど、何かこう芝居がかった父性で彼に申し渡すのは面白いのだ。(向こうは大マジメというところがさらに)何やら自分が、大岡越前になったみたいな気分。

 その一方、兵役拒否してイスラエルの刑務所に入っていたオフェルというリーダーにメッセージを送る。

「あなたの行為は人間として立派だと思う。あなた方のことを少しでも世界に知らせるお手伝いができたらと思っている」と。

イスラエルで兵役拒否するのは、相当大変なことだと思う。戦時中の日本で兵役拒否することに、多少は近いところがあるかも知れない。刑務所に入れられるし、まともな就職もできなくなる。それでも、パレスチナに行って非人間的な行為に手を染めたくない、と兵役拒否するのは見上げた根性だと思う。

こちらは、アムネスティの記事)

 ところで昨年、NPOユニで交通費の1部をサポートした「壊れた5つのカメラ」の映画監督ガイ・ダビデ氏。彼とは今でもやり取りしている。

 映画がオスカー賞にノミネートされたことあって、今やイスラエルでは(あるいは世界では、かも知れない。TIMEか何かの、表紙になっていたから)すっかり有名人のようだ。

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<左がガイ氏>

が、その後も態度は変わらず、特にブイブイ言わせることもない。僕の“「タオ指圧を学びたい」というイスラエル人に会って、イスラエル政府のやっている人権や土地の収奪の問題を、理解させて欲しい” という依頼には、快く応えてくれる。

 その後、カナダのゆたかさん茂木さんとスカイプで、ゲームChari-TXのオンライン化についての話し合い。カナダのRobも入る予定だったが、、、。

 さらに、UNIチャリティ・フェスティバルに出店するかも知れないという、オマーンからの留学生アザとのやり取り。彼は、ガザからの留学生イヤス氏からの紹介。他にもボスアニアからの留学生も、チャリティ・フェスの参加に興味を持っているとのことだ。

 大学生といえば、バンコクで知り合った大学生アイスが日本に来る。「羽田に夜遅く着くけど、どうしたらいいいの〜?」その前も、日本の写真送って来て「ここに行けるか?」、「どこに行ったらいい?」、「日本に行くなんて、私はもうエキサイトしてるぅ!!!」とか、細かいメールが来る。

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(右がアイス。左がフランスから来たボリス)

僕はこれまで、そのたびに作業をとめて、調べたり返事をしたりしていたのだが、最後にはとうとう「ガイドブックを見ろ」とだけ返事した。

しかし小学校の頃の成績表に「世話好きである」などと書かれた性格は、まだ直っていなかった。羽田に電話して問い合わせたりしているから、、、やれやれ。最後には、羽田で寝る方法を書いた面白いブログを発見して送った。

そうこうする内に、 オランダからタオサンガ・タイ世界大会に参加する人のことで、またまたメールのやり取り。ふぅー。アメリカからもタイ大会の質問が来る。懇切丁寧に説明する。最近は、こんなことばっかりである。

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(中央がアメリカのデボラ)

 でも、これらは事務的な話ではない。各地でタイ世界大会参加受付をやっている彼らが今ぶつかっているのは、人間としての根本問題なのだ。(タイ大会がビジネスだったら、こんなややこしいことは起こらない)

 ややこしい話で申し訳ないのだけど人に何かを与えようとする人間は、必ずそれを受け取る人間のエゴとの直面が避けられない。与える人間は、与えられる人間から、いくつかの反応を受け取る。

 1)感謝し、これに応えようとする。(他に与えるという形で)

2)無意識に、もっともらえないか? と思う

2)“与えられた”という、自分の心の負担を感じないように、“それは当然だ”と思える理由を探す。

 これらが、いろいろなバリエーションになった態度で現れる。

1)ならなんと素晴らしいことだろう。でも、それはたましいが育ってからの話で、通常は、長い忍耐の期間が続くことになる。

 その忍耐中に、相手のエゴに飲まれそうになったり、思わぬ自分のエゴが出てきたりして、それが質問となって、こちらに来るというわけである。

 さて、今書いたのは、メールのやり取りの一部に過ぎず、こうして午前中はつぶれてしまうことが多い。

朝、ゆっくり念仏したり運動したりとかできたら本当は理想なんだけどなあ、、、今のところはまだ夢である。(たまにできることもあるが)

こうしてブログまで書いて、時間はさらになくなってしまった。

 でもなあ。だからといって、それが修行が拙いことの言い訳にはならないしなー。

ああ懺悔、懺悔、、、。

そう思っていたら、バングラデッシュからメール。先生たちの給料がまだ届いていない。来週はラカイン人の正月だから、その前に払いたいんだけど、どうしよう〜?、と。

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<バングラデッシュのラジョーさん>

慌てて、給料の送金がどうなっているのか、ヨーロッパのNPOユニにメールする。じきに届くだろう、との返信。NPOユニで、ラカイン人の村の小学校の先生たちの給料を払っているのだが、今年はヨーロッパが担当している。

ああ、こうして時間がどんどん過ぎていく。1時半になったので、ランチにしようかぁ、、、。

 

 

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