ちょっと半病人のまま、旅は続いた……

雑魚寝だったので、朝早く目が覚めた。

 

今日、台北に戻るまでにも、

2、3の場所を巡り、

また、人と会うことにもなっていた。

 

起きて少ししたら、

古い寺院巡りに連れて行ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”ミッション的にはあまり意味がない”とか、

”しんどい”とか言っている場合ではない。

 

好意には応じるのが、

泊めてもらった者としての仁義なのだ。

 

朦朧としながら、向かった先は、

元日本の航空隊の基地だったところだ。

 

この跡地は、様々なところが建築しようとした。

 

しかし、なぜかことごとく上手くいかなかったそうだ。

 

様々な企業や行政が全て諦めた後、

現在、仏教寺院の建設を進めている、そうだ。

 

……..ということでご紹介頂き、

住職の尼僧さんにお目にかかりに行ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初に、用意されていた、

この寺院ができるに至る、ビデオを拝見した。

 

すると突然、僕は形容し難い尋常でない眠気に襲われた。

 

 

必死に起きて話しているのだが、

 

気がついたら、何度か気絶していた。

 

(後で考えたら、こんな場合は、

大抵、救われない霊がたくさん来ていることが多い)

 

ビデオを見た後は、尼僧さんの人生物語を拝聴した。

 

結婚していたけど、離婚して尼僧になった。

 

息子も娘も僧侶になった。

 

霊的なものをたくさん見る。

 

ここは、霊的なものが多いので、

定期的に、供養をするようにしている。

(戦争中の幻影や霊をよく見るそうだ)

 

そんな諸々である。

 

とにかく僕は、気絶しないように必死に聴いていた。

 

そして何か質問はないか、と聞かれた。

 

そこで、「元日本兵として亡くなった台湾籍の方々のために、

台湾の人々の祈りを集めるために巡礼しますが、

このプロジェクトについてどう思いますか?」

 みたいなことを聞いた。

 

僕の質問が、ご自分の話でないので、

ちょっとがっかりされたように見えた。

 

ただ僕は、「こちらの話をする機会は、

今をおいてはない!」と思った。

 

それで、元気よく(必死に)お話しした。こんな風に ⇩

 

 

でも、あまり興味はもたれなかったようだった。

 

その理由の1つを挙げてみよう。

 

日本兵として闘った台湾人は、

蒋介石軍にとっては、かつての敵である。

 

(実際には、台湾出身の兵士募集が始まったのは、

かなり後。彼らは中国大陸ではなく、南方に行った)

 

そもそも蒋介石は、元々台湾にいた人間ではない。

 

日本の敗戦後、大陸から台湾に来たのである。

 

そして蒋介石は、長年、戒厳令を引き、

台湾人を、1万5千人虐殺した。

 

元々台湾に住んでいた人を内省人と言う。

 

人口の約85%がそうだ。

 

蒋介石と共に、大陸からやって来た人が外省人。

 

人口の15%いる。

 

内省人は、自分たちを弾圧した蒋介石に対して

良い思いは持っていないようだ。

 

逆に日本が、良い統治をしたので、

(これは学んでみて、本当に驚いた)

日本語世代は、日本が良かった、と懐かしみ、

むしろ自分を、日本人だと思っている。

 

だけど、「日本兵として闘った台湾人」

というのは、内省人と外省人がいる台湾にとっては、

微妙な政治案件となってしまうのかも知れない。

 

さらに、今の国際情勢である。

 

台湾は難しい「立ち位置にある。

 

親中派の人間だっていることだろう。

 

…….というわけで、「台湾籍の日本兵を慰霊するため、

台湾の人々の祈りを集めて巡礼する」というのは、

センシティブな面があった。

 

(僕は全くわかっていなかったのだ)

 

その上、僕は、「台湾の仏教は檀家も世襲もない。

だから日本の寺院より、全然いいはず」と思っていた。

 

もしかしたら、それもまた幻想だったのかも知れないな。

 

きっと霊的な影響もあったのだろう。

 

旅の後半になり、そんなことも思ったりした。

 

 

時おり、”オレ、なんでこんなことやっているんだろう”.

”大きなお世話なんだろうか”なんて想いまで、何度かかすめたのだ。

 

法体を使って、風のように動作できるから、

まだ持っているようなものだ。

 

さて、気を取り直して、次に行ったのは、

台湾籍 日本兵のための慰霊碑がある、

台中の宝覚寺。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

慰霊碑は、

李登輝さんが書かれた書が刻まれていた。

 

アポイントを取っていなかったので、

いきなり訪ねた。

 

残念ながらわかる人がいない、

ということで後日、また改めて、ということになった。

 

この時点で、すでに3時ぐらい。

 

途中、ミーティングするなどもあり、

結局、台北のホテルに帰りついたら、夜9時を回っていた。

 

ホテルに窓はなく、メンタル的にちょっとキツかった。

 

珍しく頭がガンガン痛んだ。

(霊的なものだろう……..)

 

ちょっとだけ休もう、と服を来たまま、布団を頭からかぶった。

 

自分のバンドの音楽をかけていたら、

いつの間にか気絶して(眠って)しまった。

 

明日も、ライブがあるんだけどな。

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