人の“仏性を輝かせよう”とする行為には、危険が伴う(文書法話)

<画像はパンドラの箱>

 

僕は世界と人間に対する夢を捨て切れない。

だから長い間、

人の心の利他への変革をサポートする活動を

して来た。

 

 

ところで、人に内在している仏性は、

どうしたら、より輝くのだろうか?

 

意外に思うかも知れないが、

無意識に溜め込んでいる

ネガティヴなものを掘り起こし、

1つ1つ直面して、

乗り越えて行くことによってである。

 

だから僕らの活動は、

「無意識を掘り起こし、

仏性を発現させていく」ことに尽きるのである。

 

 

もっとも無意識を掘り起こすことは、

「パンドラの箱」を開けるようなものである。

 

ありとあらゆるネガティブなものが箱から飛び出す。

 

そんな無意識のネガティビティに

直面できなかった場合、

そのネガティヴなエネルギーは昇華されない。

 

そして行き場を失う。

 

するとどうなるのか?

無意識を掘り起こすことを促した人間(この場合は僕)に対して、

ネガティヴなイメージを投影するようになるのである。

 

するとどうなるか?

 

 

直面を促す人間(指導員)に

ネガティヴな感情を抱くのだ。

 

その結果、それまではこちら(促す側=指導員/まあ僕のことね)が、

あたかも聖人であるかのような目で観ていたのが、一転する。

 

今度は、「稀代の悪人」というイメージで

観るようになるのである。

 

長年、この活動をして来て、

これまで何人の人が、

僕に対するイメージを、

「聖人」から「悪人」へと

一転させただろうか?

 

多分、僕は 「聖人」でも「悪人」でもないので、

どちらもご本人の投影なのだが、

どちらの場合でも、

ご本人はいたって『本気』である。

 

僕としては、

「どちらのイメージで観られる方が居心地が悪いか?」

と聞かれたら

それはもちろん「聖人」の方だ。

 

しかし、どちらの方が被害があるか?と聞かれたら、

それは「悪人」の方である。

 

 

単に「悪人」として観られているだけなら、

かまわない。

 

しかし、他の人にも

僕のことを悪く言い出すなんていうことを始める。

 

もっとも、それも、”まあ、しゃあないか”

ぐらいに思ったりもするが、

そのレベルまで行くと、

僕に対して強い悪念を発していることが多い。

 

そうなると、やがてその悪念が、

独立した1つの霊体になる。

 

そして、「生き霊」として

僕のところにやって来る。

 

その場合、僕は「生き霊」に、

夜中に何度も起こされたり

するようになる。

 

声明修行で、

しっかりと生き霊を消滅させていけば

良いだけの話なのだけど、

そんな時に限って、僕の修行が進まない。

 

まあ、僕の修行が足りない、

と言えば、それまでなんだけど……。

 

生き霊をご本人に返してしまおうか? 

まあ、そうしてしまえばいいかな…….

 

なんて思ったりもする。

 

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