ナビサレ村には、イスラエル軍に道路封鎖されることなく、無事、約束の正午に着くことができた。タミミ家には、北米から17人ぐらいの人が訪問に来ていた。彼らをガイドしていた人が話しかけて来た。
ナンと懐かしのオマール(東エルサレムにあるキリスト教系のNGO団体)ではないか! オマールとは3日後にミーティングする約束をしていたのだ。
<タミミ家。右がヨーロッパ・メンバーのアリス。左がオマールである>
ビラル(ジャナの叔父さん)が、その17人に村の状況を説明した後、お昼を一緒にご馳走になった。そして、ちょっとゆっくりしている内に、”パーン!”という小銃音のようなものが聞こえ始めた。
やがてそれが断続的になった。何人かで広いベランダに様子を見に行った。すると、付近にはイスラエル兵一個小隊(推定)が展開していた。ナンと彼らは、村のティーンエイジャーたちに向かって催涙弾を打っていたのだ。
これに対するティーンエイジャーたちは、家々の影に隠れて石を投げていた。だが、その石はアスファルトに虚しく落ちるだけ。イスラエル兵ははるかに遠く、石が届くことすらなかった。(それでも夜中に兵士が家に押し入り、逮捕される。このため、顔を隠して石を投げる人たちもいるし、逮捕覚悟なのか、顔を隠さない人も多い)
<僕は、現場の写真や映像をたくさん撮影していた。だが、アリスがテルアビブの空港で別室に連れていかれ、取り調べを受けたとの情報が入った。このため急遽、相当数を削除するハメになった。残念だ、、、。>
催涙弾を浴びれば呼吸困難になるし、直撃されて死ぬこともある。見ているとゴム弾らしききものを撃っている兵もいた。ゴム弾と言ったって、中には鉄が仕込んであるから当たれば大怪我をする。恐ろしい武器を丸腰のティーンエイジャーに向かって撃っているのを間近に見て、僕は”「暴力」とはこういうのを言うのか、、、”と思った。
やがてイスラエル兵は、見ている僕らがいるベランダに向かって催涙弾を撃ち込み始めた。“兵士がすぐ隣まで来ている!”。北米から訪問していたグループの一人が叫ぶ。
部屋に飛び込み窓を閉めるが、とても追い付かない。やがて家の中に催涙弾をが充満し始めた。人々は咳き込み、喘ぐ。アメリカ人のおばちゃんが涙を流しながら、”ここか出なきゃ!”、と。だが別の人は、”でも逃げ場がない、、、”と返し、もはや家の中はまさにカオスである。
やがて催涙ガスによって、僕も目が痛くて立っていられなくなり、ついに座り込んでしまった。痛くて、もうどうにもならない。最初は普通の顔で撮影していた人も、やがてガスを吸い込み、座り込んだようだった。
僕の撮影も止まった。何しろ、もう目を開けていられないし、声も出ない。ただ苦痛に耐えるだけの数分が続いた。その後、みんなでバスに逃げ込む。バスの中では泣きだす人や発作を起こす年輩の人もいて、状況はまるでパニック映画であった。
バスの中に逃げ込んだのは良いが、家にアリスとまゆさんを残したままだった。それで、運転手に頼んで戻ってもらい、外は催涙ガスの煙が周っているので、家の中に飛び込んだ。
、、、催涙弾の涙はパレスチナ人の苦しみの象徴だと思う。
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