<写真は、朝鮮独立に命を捧げた柳寛順(ユ・グァンスン)。澄んだ目をしている>
前回の続き、、、。
居間には催涙ガスがまだ漂っていた。アリスとまゆさんは、娘さんの部屋に、ジャナちゃんと一緒に避難していたので部屋に入れてもらい一息ついた。
しばらく経つと、イスラエル兵の催涙弾攻撃は一段落した。だが、まだ兵隊たちが周囲に展開している。そんな中で、奥さんのマナルとミーティングの続きをした。
<女性レジスタンスのマナル。銃を持つ兵士たち相手にこんなことができるのは、なまじの精神力ではないと思う>
ナビサレでは毎週金曜日、村人たちでデモをしていた。それで僕は夏に、アースキャラバン有志(あくまでも希望者のみ)で参加すると言う計画をたてていた。
しかし現在、600人の村人の内、ナンと35人もが逮捕され、軍事刑務所に拘留されているそうだ。このため、公式のデモは中止していると言う。タミミ一族の子供たち8人も、未だに刑務所に拘束されているのだ。
このため僕らは、ナビサレ村でのデモ参加を断念した。逆に、ナビサレ村の子供たちが毎週このような危険に晒されていることを思い知り、不憫に思った。
それで、子供たち100人ぐらいをナブルスのアースキャラバンに招待して上げたい、と提案し、具体的なプランについて話し合った。
<バセム氏(アヘド・タミミのお父さん)>
さて、僕にはもう一つ仕事があった。それはアヘドのお父さんバセム氏に会って、僕が作曲したアヘドをテーマにした作品と詩について、相談することであった。しかしバセム家の周囲には、未だにイスラエル兵が展開していた。
うーん、どうしよう。銃を向けられるのも恐いが、写真を撮られ、後に空港で尋問されたあげく、入国拒否のスタンプをパスポートに押される事態になるのが怖かった。
が、いつまで待っていても仕方がない。とにかく行くことにした。アリスの”どうせそこら中にカメラがあって、撮られているに決まってる”と言う言葉が、僕を後押しした。
それに、“音楽のためだ”と思うと、なぜか勝手に立ち上がり、勝手に足が進むから全く不思議である。”私も一緒に行く”と言うアリスにはちょっと驚いたけど、連れ立ってバセム家に向かった。
バセム家の付近ではまだイスラエル兵たちがいて、こちらを睨むように見ている。(推定)身に感じる彼らの視線に耐えながらも、見返すことなく無視して通り過ぎる。その内、イスラエル兵はどこかに向かって発砲し始めた。
バセム家入り口には何人か少年達がいた。ベランダにいた知的障害の少年が、小銃の発砲音を怖がって叫ぶ。僕は少年に近づいてニッコリと微笑み、”大丈夫だよ”と手ぶりと目で話しかけた。そして兵士には構わず、家のベルを押した。
バセム氏が迎えてくれた。催涙弾の音を耳にしながら家に入る。(後で聞くと、この日も2人のティーンエイジャーたちが、撃たれて怪我をしていた)
バセム氏と様々な話をした。話が曲のことになり、僕が”ヨナタンの詩なんだけど、、、”と言うとバセム氏の顔色が変わった。
聞くと新聞に詩が掲載された時にヨナタンに電話したと言う。その結果、ヨナタンはバセム家に来て一泊して行ったそうだ。”しかし、あいつはナンだ! マスコミに謝罪しやがって!”と怒るバセム氏。あんな奴にアヘドの詩を書く資格はない!と。
だから僕も、”それは僕だってがっかりしたさ。でも未だにSNSで原詩のまま投稿を続けているそうだよ。だからいっそ、アンネ・フランクが入った曲を使わせることで、彼がマスコミにした謝罪を、意味ないものにさせてやろうじゃないか”と持ちかけた。
バセム氏、”いやあいつは、イスラエルのマスコミに怖気付いたんだ。だから詩を曲を使わせることはないだろうよ” 、と。僕は、”そんなことはないはずだ”と応酬した。真のアーチストなら、マスコミに叩かれたって、魂だけは死守するはずだ。
では”賭けるか!” 的な話になった。バセム氏はその場でヨナタンに電話し、僕は”よーし!”と、かけ合う覚悟を決めた。
、、、、が、留守番電話であった。さて、この決着は数日後についたのだが、果たしてどうなったか?
結果は僕の負けであった。ヨナタンは入院中だったのだが、彼の知り合いであるイスラエル人女性活動家に連絡を取ってもらったところ、イヤだ、という返事だったのだ。
ナーンだ、やっぱり怖気付いたんだ。翌朝僕は、歌詞を全面的に書き換えた。もちろん、アンネ・フランク付き。だが、誰も否定できないような表現にした。
さらにアヘドを、独立運動を闘った3人の女性と同列にして讃えた。それはジャンヌダルクの他に、カストゥーヴァ・ガンジー(ガンジーと共にインド独立を闘った妻)、そして柳寛順(朝鮮独立を闘った少女)だ。
ジャンヌ・ダルクは19才で火焙りになったが、柳寛順(ユ・グァンスン)は、たしか17才ぐらいで獄死している。刑務所で17才を迎えたアヘドとはほぼ同い年で、特に共通性を感じさせる。
この曲を通して、僕はアヘドと共に、この3人の女性たちを讃えたい。特に、ナチス親衛隊やモサド(イスラエル諜報部)と同じように恐ろしかったであろう旧日本帝国・特高警察に屈することなく志を貫き、痛ましくも若干17歳で獄中死した柳寛順(ユ・グァンスン)を。
<朝鮮独立に命を捧げた柳寛順(ユ・グァンスン)。澄んだ目をしている>
ここで、現在の話に戻るが、バセム家の前では、1メートル前にいる銃を持った兵士たち何人にも囲まれながら、世界最年少のジャーナリスト・ジャナちゃんがカメラの前でアナウンスして、インターネット放送をしていた。
何を英語で言っているかというと、”この人たちはテロリストです。パレスチナ人を殺し、パレスチナ人の子供たちに怪我を負わせています! -中略- パレスチナは自由になります! ” (被占領下のパレスチナからジャナ・ジハッドがお送りしました) ”である。キャスターとして立派なもんだ。
この映像の最後のところに出てくるのは、僕らが北米人たちといた居間付近に催涙弾が放たれて、みんなが苦しんでいる様子である。(なので、先に僕が上げた映像とかぶるけど)
つい最近、アヘドの兄さんまでが逮捕された。(父親であるバセムの心痛は察して余りある、、、) こうして子どもたちが次々に逮捕されている中、兵士たちの目前で放送を行なっているジャナちゃんは、ジャーナリストとしてもレジスタンスとしても、とても強靭な精神の持ち主である。
と同時に、普段の生活では全く別の顔。とてもキュートで愛らしい女の子である。下は、子猫を可愛がるジャナとまゆさんの映像。
ところで続きは、下の NEXT から。
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