2016年5月の記事

世間に対しては分が悪い僕の想い   地球巡礼・ピースサイクリングの考察

2016/05/10 Categories: 未分類

地球巡礼って何だ? なんていうことはない。アースキャラバンを翻訳したものである。^ ^

 ところで前回のブログで述べたように、アースキャラバンには、「平和の火」や「被爆樹」の苗を持って日本を自転車で横断する、ピースサイクリングというプロジェクトがある。

1.

 このプロジェクトは後でいろいろと大変なことが起こって来るのだが(←と聞くとわくわくするでしょ)、、、。

その一番の原因は、僕が「ピースサイクリング」とは何か?を、十分に言語化して人に伝えられなかったことにあった(と思う)。

 いや、自分としては、最初は一生懸命伝えようとした。しかしまるで、ゴジラを知らない大人に子どもがゴジラの説明するみたいなことになってしまい(←なんのこっちゃ?)、僕の考えはまったく浸透しなかったのである。

 僕にとっては自明のことが、他の人にはまったく別物として捉えられているというのは、実はよくある。

 その他、ピースサイクリングに「サイクリング」という言葉が入っているのも原因だった。このため、既製概念に囚われた人もいるようだ。僕も、それを壊すまでには至らなかった(←と、後で気づいた次第)。

2.

 そもそもアースキャラバンでは、面白そうなことは何でもやることにしていた。それで昨年、ピースサイクリングもやることにしたのだ。

で、誰が走ったら良いか? ということを考えた結果、ひらめいたのがイギリス人のスーだった。

 スーは空手五段だし、何と言ったって念仏者だ。(ひらめいてスーに電話をかけたのは広島からだった。その頃は、アースキャラバン広島ができるなんていう見通しは、まったく立っていなかった)

 実はスーに声をかけたのは、スーが修行者であることが、その最大の理由だった。

なぜだかおわかり頂けるだろうか?

 このブログを読んで下さっているあなた。まず、これはあくまでも僕の個人的見解である、ということを明記しておきたい。

 それを前提に述べるのだが、最初に、キャラバン=巡礼である、と翻訳を書いた。CARAVANと英語になったからと言って、意味が変わるわけではない。

で、巡礼というからにはご理解頂きたいのだ。巡礼とは、四国遍路のように、宗教文化的な行為なのである。

それは、フェスティバル=祭りが、本来は五穀豊穣を祈る行為から始まったように、神さま抜きではあり得ない、というのと同じだ。繰り返しになって申し訳ないが、英語になったからといって、突然その意味が変わるわけではない。

ピースサイクリングでは、平和の火を持って各地で祈りながら、自転車で日本を横断し、巡礼する。

これを宗教的文化と言わずして何と言おう? 修業と言わずして、何と言おう? 僕的には、これが巡礼(キャラバン)のイメージだった。それは当初、スーの無意識も同じ想いだったように思う。

 3.

ところで僕が尊敬してやまない、明治大正時代に活躍した、山崎弁栄上人という僧侶がいいる。

その弁栄上人が、熊野好月というお弟子の女性に、行乞しながらの遍路を命じた。

 好月さんは熱心な念仏修行者だったが、別に尼僧さんというわけではなかった。

高貴な家のご令嬢で、しかも極端に人見知りであった。

 その好月さんに弁栄上人は、、なんと物乞いしながら巡礼することを厳命したのである。

 それを聞いたとき、好月さんは顔面蒼白。卒倒しそうになったという。

が、尊敬する弁栄上人に、実行しないと弟子としては認めない、とまで言われ、最初は泣く泣く敢行された。

 一ヶ月とかだったかな? ともかく行乞の巡礼修行を見事をやり抜いた。そして教師になり、やがて僧侶と結婚して、ついには女性念仏修行者のための道場を建立するに至るのである。

そして後の述懐では、行乞巡礼の体験によって、自分は本当の人生を歩むことができるようになった、と。

 僕がスーにピースサイクリングをやらないか、と持ちかけたとき、実はこんなイメージがおぼろげにあった。(誤解のないように述べておくが、別に僕は、弁栄上人のような立派な人間ではない)

 だから、スーが平和の火のカイロを持ち、必要なものは自転車にくくりつけて、1人で行く、というのがその構想だったのだ。

 巡礼だから1夜の宿を誰かに提供してもらいながらだし、それが得られないときは野宿でもしながら行くんだぞ、と思っていた。だから、伴走車がつくなんていう発想は、まるで僕にはなかった。

 でもスーが、自分は日本の道がわからないから、迷子にならないか不安だ。誰か他の人で一緒に走ってくれる人がいたら助かる、という。

まあ僕も、方向音痴だけは飛び抜けて才能がある方なので(よく道に迷う)、その気持はわからないでもない。

 お遍路では、同行2人(弘法大師と2人という意味)だが、誰かと連れ立って行くこともある。それで、まあ、それもありかな? と思って広島在住の人に、「ピースサイクリングでスーと一緒に京都に向かって走りませんか?」と持ちかけた。

4.

 ところが、である。彼は伴走車ならやってもいい、と言う。僕は、驚いた。(だってお遍路に伴走車が付くなんて、いくらなんでもあり得ないでしょ?←と思ったのである)

 「そんなものいらないじゃないですか?」と言ったら、「でもスーに荷物だってあるでしょうし、平和の火を運ぶなら、いろいろ道具もいるんじゃないですか? そういうのって、伴走車が付くもんでしょ?」と返され、一瞬僕は、あわわわ、となってしまった。

 これは「ピースサイクリングは修行である」というイメージしかない僕と、ピースサイクリング=サイクリングという一般常識とが向かい合った瞬間であった。

 お互いに、”こいつが言っていること、全然意味わかんないよ~”状態だが、 この闘いは、“あわわわ〜”となってしまった僕には、どうも”分”が悪かった。

何せ相手は社会一般常識者様だから、世間全体が味方である。対するこっちは1人。

 なぜ僕が、“あわわわ〜”、となったか?

自分の中の常識では、巡礼修行=ピースサイクリング。でも自分の常識は相手にまったく通じていない。その事実に一瞬、頭がフリーズしたためである。

 自分が常識だと信じていることがまるで通じないことに気づいたとき、人って一瞬、あわわ、ってなるでしょ。

 インドなんか旅すると、そんなことってよくある。例えば日本では、ものの値段というのは決まっている。でもその常識が通じないとき、最初はどうして良いかわからない。

 その他、問題が起きているのに、”ノープロブレム!”って返されたときなんかも、頭が「?」になる。

 そんなわけで僕は一瞬、まるで落とし穴に落ちたときのような、“肩すかしくった感覚”になってしまった。

 これでは、相手の認識との違いを説明することなどできやしない。そもそも僕が、世間の常識を理解していなかったことが、最大の原因かも知れないけど(笑)。

 そこで譲歩することにした。じゃあ、自動車で伴走車やって下さいよ、と。

お遍路の巡礼者を自動車で助けることだって、功徳を積むことになるんだから、それもいいか、と自分的に思ったのである。

 ところが、次にかえって来た返事を聞いて、僕は絶句した。

「自動車はレンタカーを借りた方が良いですよ。何かあって、平和の火が会場に着かなかったら困るでしょうから」

 とんでもない。平和の火が予定通り会場に着かなくたって、僕的には別に、何の問題もないのである。(「だって巡礼修行であって、ツアーバスじゃないんですよ。巡礼の遍路にレンタカーなんて借りますか?」←とは、言えなかったけど)

何かあったら、そのことに対処すること自体が修業なんだから、そんな「何かあったときに困らないようにする」なんて、修業の機会を失わせるようなものじゃないですか? というのが僕の見解だった。しかし僕の考えは、どうも理解を得られそうになかった。

5.

 ところで、、、。

千日回峰行というのがある。これは1000日間、五穀断ちをしながら、毎日山を40km走り抜けるように歩くという、比叡山の修行である。

 しかも最後の9日間は、飲まず食わず眠らずに行をする。当然、中には死ぬ人もいただろうし、これまで、数えるほどしかやった人がいないという厳しいものだ。

 「千日回峰行に臨む行者が、しっかり保険をかけて入山しました。これで何があっても安心です!」なんて生命保険のCMに出て来たらどうしよう?

ネタとしては面白いけど、それって、実際にあったら、ちょっとマヌケっぽいかなー、なんて、ちょっと思ったりしてしまった。

 だってさ。千日回峰行の行者は、短刀と1万円を懐に忍ばせて修行に入るんですよ。(もしかしたらこれ、10年間の1人籠山修行の方だったかも知れないけど)

短刀は、修行を続けられなくなった時に自害するためのもので、1万円は葬式代というわけ。

 「保険」とは、何か大変なことがあったときのための備えだが、行を続けられなくなったときこそが、修行者にとって「何かあったとき」。というわけで、その2つこそが、回峰行者にとっての「保険」なのである。

 だから、今にして思えば、どうりで両者の話が噛み合ないはずだった、、、。

6.

そもそも巡礼ピースサイクリングは、「平和の火」(原爆の残り火)を持って祈り巡ることであって、サイクリング自体が目的ではない。

だから、自転車が壊れたら電車に乗って運んだって良い。

それに修行とはそもそも、自分がする、と決めたことを実践することだ。

だから、“たとえみんなに見捨てられたって、誰にも顧みられなくたって、1人になったって、歩いてだって、這ってだって、オレは「平和の火」を運んで行くのさ”という気概があれば、立派に修行として成立するのである。

7.

 さて、今年は僕自身、ピースサイクリングも担当することにもなり、自分でも自転車で走った。

 それは、誰かがやらなきゃならないことだったし、人を当てにしていては、ものごとは成就しないからね。

 ブッダが「サイの角のようにただ1人歩め」って説いたように、修行は1人だってやるもんだ。

 たとえ自分1人でもアースキャラバンをやる、という人が集まってこその地球巡礼、アースキャラバンなのである。

、、、以上、個人的見解の独り言でした。

 

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ピースサイクルで自転車漕いだ   尾道ー赤穂ー加古川ー神戸

2016/05/09 Categories: 未分類

アースキャラバンでは、ピースサイクリングというプロジェクトを平行して行っている。

これは原爆の残り火である「平和の火」と、長崎で被爆しても尚生き残った「被爆樹の苗」を持って、自転車で日本を横断する、というものである。

今回のブログでは、これの体験の一部を書いてみようって思ったけど、その前に写真で説明。

※ただし写真はいろんなところのが混じっているので、時系列はテキトーなのをお許し頂きたい。

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実は僕は尾道から自転車で走り始めたのだが、5kmほどでなんと新品の自転車がパンク!

みんなで呆然とする中、自転車屋に運ぶための作業が始まる。(今回は、2台の自転車が合計3回もパンクした)

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こちらは迷子になったスーを発見した後の写真。「困難を克服するのが人生!」と、スーも含めてみんなで笑った後、パンク車の運搬にはちょっと真剣になる。

 

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<アースキャラバン加古川>

さて、加古川ピースキャンドルLIVEの会場だったのは酒蔵。

その岡田本家さんのご主人に神戸に向かう道をお聞きして、元気よく自転車を走らせた。

途中、自転車屋によってスーの自転車の空気を入れていくことになっていた。

 

元気よくスタートを切ったのは良いが、僕もスーも超方向音痴。

さっそく迷ってしまった。

音響機材一式を満載した自動車に乗っている高山ほうきと連絡を取った。

しかし場所は、チンプンカンプンである。たはは、、、。

 結局、時間と距離をずいぶん回り道をした結果、ようやく自転車屋に到着。

 

まあ、こんなこともあるさ、と陽気に再出発。そもそも、ハプニングや困難そのものがピースサイクリング。何も順調に行く必要などまるでない。

あとは、バイパスに引っかかったり、スーと自転車を担いで階段をおりたりして、そのときは自転車かつぎ屋にでもなった気分。時には、亀のようにノロノロ進んだりもした。

 

サイクリストと言われる人たちが一緒だったら叱られそうなことばかりである。

でも、自転車をこいでいるのは僕らだけなので、まったく気楽なものである。

 

まるで高校の屋上で授業をさぼって、日向ぼっこしながらのんびりタバコを吸って、空を眺めているような気分である。(←おおこれぞピースフル!)

というわけで、僕的にはこれぞまさしく、ピースなサイクリングであった。

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20kmほど進んだところでランチタイム。もちろんファミレスなど行かず、地元の良心的な洋食レストランで、安くてとびきり美味しいランチを頂き、ランチ後は、高山ほうきと選手交代。自転車をゆずった。

 

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アースキャラバン広島実行委員長、われらが伊藤憲正(けんしょう)さん

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<順番変わったら、山越えになってしまった高山ほうき。ふふふ>

 

その後、20kmぐらい離れたところまで自動車を走らせ、ファミレスの駐車場に停めて、お茶をのみに1人で入る。山ほどたまっている作業をするためである。

 被爆樹の種か苗を、トロント(カナダ)とベツレヘム(パレスチナ)に運ぶための算段についてはかなり山場を迎えていた。本来なら、ピースサイクリングをしている時間などはなかった。

しかし尾道から、僕自身がやらなければならない状況になってしまった。それでまあ、楽しくやらせてもらっている次第で、他の作業は夜に持ち込んだ。

 

ファミレスでは、ずいぶんと作業に時間を費やした、、、。ふと手を休めると、スーと高山ほうきの到着が、あまりにも遅いことに気づいた。

そこで電話を入れてみる。すると、何と彼らはこのファミレスの駐車場まで来たけど、車が見つからないのでさらに進んで行ったとのこと。

オーマイガッ! 慌てて自動車に乗ったが、連休の渋滞で自転車の方が早い!

とうとう彼らに追いつかず、自転車の方が先に神戸のホームステイ先に着いてしまった。うぅ、面目ない。

 

今日のホームステイ先は、サラシャンティという健康道場を運営している清水さんである。

清水さん宅には、茨城からミクさんも到着していた。彼は、「神戸から京都までの自転車を」走り、スーのゴールを見届けるために来てくれたのである。

 

ミクさんは、ピースサイクリングの司令官としてリーダー的役割を担ってくださった人である。

それは僕がピースサイクリングのことまでやらなければならないことになり、あまりに大変な状況になって四苦八苦しているのを見かねたためだった。

捨てる神ありゃ拾う神あり、だ。僕としては、何だか戦友に遇ったような気分だった。

 

前日に突然、彼から「神戸でスーを見送り、京都でゴールをお迎えしようと想います」というメールをもらった。

その時、その献身的な無私の心に僕は感動して涙が出そうになった。

この言葉を聞いただけでも、アースキャラバン2016をやったかいがあった、と思ったほどである。

僕が求めているのは、そんな、人の温かい心だったんだ。

 

ところで、ピースサイクリングを実際にやってみて、わかったことが沢山あった。

その内の1つ、、、。

自転車はこいでいれば進むし、それ以上でも以下でもない、ということだ。(←当たり前過ぎて申し訳ないけど。^ ^)/

 

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<雨の中を50km走りとおした後藤わかさん。僕は彼を「お坊ちゃま!」と呼んでからかっていたのだが、、、、>

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<僕は最後まで「制服」を着るのを抵抗していたが、2人とも着るのに抵抗はないらしい。僕は幼稚園のときから制服がキライだったので、不思議である。>

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<誰かが自転車で走っているときは、車の中で和気あいあいと楽しむのがサンガ流のピースサイクリングである。だって、オレたちはオレたちらしくやればいいじゃん、というのが結論。 ^ ^)>

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