2016年1月の記事

ヨーロッパ・中東の旅から帰国して(4)

2016/01/25 Categories:

バングラデシュ出発の3日前は、東京の書泉グランデという書店で、ワークショップ&LIVEだった。このため京都から自動車で出発した。

アミナダブ(←バンドの名前)は3人しかいないバンド。なのに使用楽器がいろいろとあり、LIVEしようと思ったら、いろいろな機材を運ばなくてはならない。

というわけで15時には、山のような楽器を神保町にある会場「書泉グランデ」の前に下ろした。

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書泉グランデ

イベント会場は7階。えっちらおっちら、重い楽器を運ぶ。ようするに僕は、ワークショップの講師、LIVE演奏者であり、かつ運び屋もやっているのである。

もしかしたら中には、僕のことを“華やかに多方面で活躍している人”なんて、ちょっと僕にとっては嬉しい誤解をしてくれている人もいるかも知れない。

でも何を隠そう、99%がえっちらおっちら重い楽器を運ぶように地味な、まるで地を這うようなワークの連続なのである。

書泉グランデは趣味人のための大型書店ということで、僕の好きな戦史ものからオタク系のものまで、きめ細かい品揃えをしている。

その上、タオ指圧関連書籍コーナーも作ってくれている。だから僕にしてみたら、実に「ありがとうございます!」という感じなのだ。

 「タオ指圧&氣心道」というDVDがある。5年の歳月と大変な予算をかけて創ったものだ。

実は書泉グランデで、自由価格(買う人が価格を決める)で置いてある。なので、東京の方はよろしければ、ぜひどうぞお立寄り下さい、と思う次第である。

 DVD「タオ指圧&氣心道」予告編 (さて、どんなんでしょう? クリックすると動画に飛びます)

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 ワークショップ。時間は1時間半しかない。元来、タオ関連ワークショップは、10数時間やって深部に至る、というディープなもの。

これを1時間半でやるには、電話帳を素手で断ち割るほどの集中力を必要とする。(やったことないけど、一応まあ想像で)しかもユーモアたっぷりでないと、自分もつまんない。

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<書泉グランデ・ワークショップ会場>

しかもワークショップ終了15分後には、LIVE演奏。先ほどの自分とはまったく違う存在にならなくてはならない。

ひぇー! まるで自分を根っこまでひっぺがして、別の自分を身に纏うような感じ。始めるまで、精神的にはヒィヒィだ。

 終了後、来てくれたアースキャラバンの仲間に楽器の収納を手伝ってもらう。(感謝、TT )書泉グランデの渋谷さんに良い店を教えてもらい、みんなで楽しく摂る遅い夕食。 いや実に安くて良い店でした。渋谷さん、ありがとう!

 翌日からは2日間のタオ指圧クラス(10am-5pm)。土曜日の夜は音楽念仏と法話なので、この日は9pmまで続く。

もっとも9pmからは、海外向けの英語の法話をUstreamで放映する。よって、この日のワークが終了するのは、10pm近く。なので、この日もまた居酒屋で遅い夕食を摂る。(←まったく生活なんて、あってないようなもんだな)

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アミナダブ・アースキャラバンツアー映像(写真はベツレヘム)

火曜日に成田から出発。タイ航空なので、僕の大好きなバンコクに寄港できるのは魅力である。

バングラデシュまで行くと、12万円ぐらいはするのだが今回は違う!タイ航空のマイルが貯まっていたので、燃料代の4万ぐらいで行けるのだ。やった! 正直助かりますねー。

バンコクで数日でも休養できるのがありがたいなー。ふふふ、まさに極楽である。






















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ヨーロッパ・中東の旅から帰国して(3)

2016/01/18 Categories:

京都に帰ったら、もうバングラデシュに向かって出発する日が迫っていた。(←まったく忙しい奴だ)

でも、その前に東京の書店「書泉グランデ」での「ワークショップ&音楽LIVE」がある。さらにその翌日から、東京で2日間のタオ指圧クラスもある。(クラスは、一日中である)

リハーサルを再開し、数日後には楽器をすべて車に積み込み、バンドでアコースティック・ギターを弾く高山ほうきと一緒に、東京に向かって出発した。

 出発と言っても、岐阜と浜松に寄っていくので、すぐに東京に着けるわけではないんだな、これが。

寄ると言っても温泉にでも浸かりに寄るのならサイコーだが、そういうわけでもない。

まずは岐阜に寄って、シモンとミーティング。

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 <彼がなぜシモンというかについては後述>

何のミーティングかと言うと、今僕らは新しいSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)を立ち上げようとしている。

既存の文化に属さないカウンターカルチャーなもの。そして、自然農法、平和活動や福祉などを応援するオールタナティブなもの。 

人々が善意を与え合うことを可能とするもの。99%の世界民衆のための世界規模のSNSを目指している。(よって、協力してくれるプログラマーを募集中である)

夢が現実になるまで、もちろん笑う人もいる。これは、僕が今まで繰り返し経験した来たパターンだ。(だから僕は、人が夢を語ったときには絶対に笑わない。そして、夢を笑わない人とだけ、僕は夢を語り合うことにしている)

いずれにしても、現実になったら誰も笑わなくなる。(当たり前だけど)そして、「最初に聞いた時は、まさか本当にそんなことができるのだろうか? と思ったよ」とか言うのだ。

 「みんな大きな夢を持ちたまえ! そして自分の夢を信じたまえ!」(、、、と独り言)

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まあいいや。ところで先ほどのシモンというのは、NPO・アースキャラバンのメンバーだ。僕がつけたニックネームである。(シモンは八画で、字画も良いしね)

聖書に出てくるシモンは、十字架を背負って歩くイエスに水を飲ませた人である。

本名は、「西」が付いている苗字。 なので、「西→西方浄土→さい→さいもん→シモン(SIMONは、サイモンともシモンとも読む)」という訳の分からない流れでついたのだ。

かつて伊藤忠でシステム・エンジニアをやっていたそうだが、ドロップアウトして整体師になり、タオ指圧をやっている。僕のまわりは、なぜかこういう人ばっかりだ。

岐阜ミーティングの後は、浜松に向けて出発。

浜松でアースキャラバンをしたいと言われている、みさとさん、アースキャラバンのパンフレットをデザインされた童規(とうみ)さんと会うためである。

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パンフレットのデザインをした童規(とうみ)さん

浜松ミーティングを終え、ようやく東京に向けて車を走らせた。夜、9時半ごろだったろうか?車の中で、必死にワークショップの内容を考えようとする。

だが、明日は演奏もある。このため、音楽が頭の中を巡りに巡っており、揺れに揺れるので(頭の中が)、ついに途中で諦める、、、。

 深夜に着いた東京。

居酒屋で遅い夕食を摂った。(、、、ような気がするが、忘れてしまった)

 

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ヨーロッパ・中東の旅から帰国して(2)

2016/01/13 Categories:

帰京して5日後には、アースキャラバンのため広島、長崎へと動いた。

かと言って派手なことなど何一つない。

人と会って話を聴く、夢を語る。

 

共有できるもの、相手と共感し合える何かを求めて、

電車に乗り、遠くへ行き、人を待ち、遇い、そしてまた1人になって歩く。

それだけ、だ。

 

中東でやっていることも、日本でやっていることも何一つ変わらない。

日本人だという意識も特にないし、そもそも自分は何か? というアイデンティティが、僕にはあまりない。 

 

正直言って、自分のレッテルを考えただけで、うっとおしいような気がするのだ。

だから本音を言えば、透明にんげんとか、風のような気分でいたいのです。  

 

長崎

広島で2、3日動いた後は長崎に移動。

長崎では、越智さんという、伝説のレインボーコンサートを始めた人に会った。

越智さんとは、原爆の残り火をリヤカーに積んで全国を巡ったという、山田和尚(バウ)さんの「偲ぶ会」で知り合った。

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<山田和尚=バウさん>

 

 越智さんは、浄土真宗の僧侶をしていた時期もあるということで、何だか気が合うように感じて、また会いたいと思っていたのだ。

 僕が長崎に行ったちょうどその日、越智さんはデニスバンクスというアメリカインディアンの活動家の長崎イベントをオルガナイズしていた。

そこに行った僕は、デニスと25年ぶりぐらいで会った。

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 <デニスの長崎イベント>

 

そのときに、ぼんやりと思い出した。

あれは25年ぐらい前のことだったと思う。

 

デニスはアメリカを横断するサークレッドランというイベントを企画していた。

僕はそれにミュージシャンとして参加するという話があって、参加呼びかけの集まりに行ったのだった。

 

それでここからが面白い。(←自分的にはね)

実はアースキャラバンのテーマ曲「SHARE!」は、サークレッド・ランにミュージシャンとして参加した際、テーマ曲にしようと思って創った曲だったからだ。https://www.youtube.com/watch?v=EiXX-bWemRw  

 

理由は忘れたが、結局いろいろあって、サークレッドランへの参加はしなかった。

だから歌詞はできなかったが、曲は残った。

そして、アースキャラバンのテーマ曲として復活したのだった。

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<18カ国のミュージシャンが16言語で歌うCD『SHARE!』>

 

歌詞を書いたのは、2014年の夏だからずいぶんたってからの話だな。

それは、ガザ空爆で足を失ったパレスチナ人の子どもを見舞ったことがきっかけだった。

http://www.earthcaravan.jp/share_lnotes.html

歌詞ができた時、これはアースキャラバンのテーマ曲として復活させようと思いたったのだ。

、、、ふとそんなことを思い出した長崎のデニス・イベントだった。

 

<追記>

上の写真の左側に映っている山田圓尚さんは、デニスと行動を共にしている人で、比叡山で僧侶をやっていたという。

LJという雑誌に僕のインタビューが掲載された時、彼のインタビューも同時掲載されいて、それで知っていた。

アースキャラバンの話をしたら、すでにご存知とのこと。

あらためてまた会うことを約して別れたが、何か一緒にできたら良いな。

 

、、、その翌日、僕は、越智さんの家に厄介になった。

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ヨーロッパ・中東から帰国して(1)

2016/01/10 Categories: 未分類

ヨーロッパ・中東から帰国し、バングラデシュに行くまでは国内でウロウロしていた。

どんな活動をしていたかを一気に書いたみたが、全部一度に掲載するのはやめておくことにした。「なぜ?」と思われるかも知れない。

実はかなり以前、オーストラリア人の女性に言われたことがあったのを思い出したからだ。「あなたの生活って、想像しただけで疲労困憊するわ」って。

要するに、あまりにも忙しく動き回っている、ということを彼女は言いたかったんだろうけど、読者を疲労困憊させるわけのはいかないしなぁ、、、。

よって、数回以上に亘って細切れで投稿することにした。

、、、というのもあるんだけど、バングラデシュ活動記書くのも大変なんで、ちょっと時間かせぎ。なんちゃって。^ ^

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    <東京>

帰国してすぐに東京のタオ指圧クラスが2日間あるので、成田着にした。

中東にいるときなんだけど、会ったことのないFBフレンドの人から、会いたい、というメッセージが入った。それで、土曜日のクラス後の念仏会と法話ライブに来て頂いた。

「友遠方より来たるや、また楽しからずや」(だったかな? こんな感じの有名な詩があったな)だから、夕食もみんなで一緒にどうですか、とお誘いしたら、楽しいときを過ごしていただけたようで、良かった!

僕が帰ったあと、夜、センターに泊まられたそうだから、きっと楽しかったのだろう、と推察した次第。(ノリの良い人で良かったなー)

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[後でにあらためて認識したのだが、知子さんは原爆の残り火を韓国まで運んだ内の1人。いろいろ他にもつながっている人がいることが判明]

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       <京都>

京都に帰り、すぐに音楽のリハーサルを始めた。キリスト教会で平和イベントがあり、その出演予定があったからだ。

帰京した夜には、教会でミーティングと京都新聞の記者さんによる取材で、

記事はこちら→ http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20151126000049

テルアビブの海外テラスでは、地中海の日差しを浴びていた。、、、というのに、気がついたら京都で、温かいお茶が冷えた手にありがたいのが不思議な感じがした。

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 [リハ風景、教会に僧衣では浮いてないかなー]

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[バプテスト教会牧師の今野さんと知り合ったのは左側の絹枝さんの紹介だった。彼女との縁もまたドラマティックな話なので、それについては、いずれまた。右はシリアンハンズというNGOのアザさん(京都大学研究生)アースキャラバン京都以来の付き合いである]

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2日後に僕は京都を出発し、広島・長崎の旅に出た。アースキャラバン2016のためである。そしたら長崎で、25年ぶりぐらいで会った人がいた。アメリカ・インディアンの活動家、デニスバンクス。なんとちょうどその時、長崎でイベントをやっていたのだ。

-続きは、長崎から-

 

 

 

 

 

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