2012年12月の記事

利他の悲しみ

2012/12/27 Categories: 日記

悲しみと悟り

「悲しみを懐に抱き続け、遂に悟りに目覚める」ということばが、法華経に出て来る。

“悲しみ”と“悟り”とは、一見、全く別の心のように思われるかも知れない。しかし、宮沢賢治が愛してやまなかった法華経の、この言葉は、「利他」の本質をするどくついている。

利他とは、シンプルにいって、他に幸せを与えることだ。他に喜びを与えると、同時に自分の無意識にも幸せを与えている。

自分も他人も、深いレベルでは無意識を共有しているから、利他とは、自他共に幸福になる道なのである。

ところが、だ。利他の道を歩む人間は、悲しみを体験することは避けられない。

法華経でいう「悲感」だ。利他は幸せの道だと言っておきながら、“悲しみを体験する”ってどういうことだ? と思われることだろう。

 与える者と受ける者

そこでまず述べておくが、利他においては、“与えるもの”と“受ける”ものが生じる。

それはそうだろう。与えるものは幸せになる。これは間違いない。

しかし受けるものは一体どうなるのだろう。利他というからには、「与えない人」の心配までしなくては片手落ちである。

でないと、金持ちが道楽で慈善事業を行い、何か自分が良いことでもしたような満足感に浸っているのと変わらないものな。

 無意識へのメッセージが未来を創る

例えば、天台宗の開祖などは、“与えるものは天に生まれ、受けるものは獄(地獄)にいく”とまで言っている。えーっ!? 与える側に回らす、受けてばかりいれば、地獄行きかよ〜。

それじゃあ、与える側は、地獄行きの切符をせっせと渡しているだけじゃないか〜!? と思う。

もっとも、自分は与えずに、他からもらっているだけの人は、“ラッキー! 得しちゃった〜”と思っていて、まさか自分が地獄行きの切符を手にしているとは思わないだろうけど。

ただし、もらうだけで与えなければ、“自分は、他に幸せを与えるほど幸せではない”というメッセージを自分の無意識に送ることになる。

自分の未来は自分の無意識が創るのだから、そのメッセージを受け取った無意識がどんな未来を創るかは、ちょっと考えてみればわかるだろう。

本当の利他、その行き着くところは?

さらに考えてみよう。先に述べたように、利他とは他に喜びを与えること。しかし、自分が喜びを与えた相手が、ただそれを享受するだけで、与える人にならなかったらどうなるだろう? 繰り返しで申し訳ないけど。

地獄行きの人を創ることは、本当の利他でもなんでもない。だから真の利他の道の行き着くところはどこか? と言えば、それは利他をする人を育てることにならざるを得ない。

繰り返しになるが、人間、利他をすることでしか幸せになれない。

だとしたら、本当に人間を幸せにしようと思ったら、利他する人になってもらうしかないのである。

ここに先の命題である、“利他の道を歩むものは、悲しみを体験せざるを得ない”が、密接に関わってくる。

 利他とは誤解されて傷つく道

例えば誰かに、利他をすることで幸せになってもらおうとする。これは頼んでも無理だし、命令しても無理である。相手に良かれと思うことをひたすら行い、祈り続けるしかないのである。

ところが、だ。

相手にとって良かれと思うことをやり、“こんな一銭の得にもならないようなことをするのは、何か別の魂胆があるに違いない”と思われたり、相手の幸せを祈りながら、その当の相手からネガティブな目を向けられたりする。

そして人間は、そんな簡単に利他するようにはならない。利他を勧めても、“何かをさせようとしているんじゃないか”となどと勘ぐられてしまったり、義務を負わせられたように感じる人もいる。

時に僕が、本人が自分の内面に向き合わざるを得ないようなことを言えば、その人が反発したり、言い訳したりすることもある。

その結果生まれた、自分自身との向き合いや葛藤から逃げるため、エゴを正当化して利他の道を歩くのをやめる人もいる。

また中には、やめる前後に、陰であるいは面と向かって、僕を非難する人もいる。にわかには信じられないだろうけど、僕にはまるで身に覚えがない言動を、あたかも僕がしたかのように陰で言われことすらある。

それは、自分のエゴと向き合わせた人(僕)に、その葛藤の苦しさをぶつけたり、その原因を責任転嫁したためだ、と思う。僕もそれは頭では理解している。

しかし僕は傷つく。これで悲しくないわけがない、と思う。それに時には、僕に対する非難を聞いた他の人が、それを真に受け、妙によそよそしくなることだってある。

こんな時は、まるで冤罪で警察に連れていかれ、それまで親しいと思っていた人から、白い目で見られたかのような、寄る辺のない想いにかられてしまう。

まるで、親を気づかった幼い子供が、余計なことするな、と家族みんなに舌打ちされた時のような、傷のつきかたである。

 利他とは悲しみを受け入れる道

古には、愛をかなしと読んだし、イエスを悲しみの人と呼んだ。

そのイエスは、「狭き門より入れ。滅びに至る道は広く、生命に至る道は狭い」と説いた。

滅びとは、エゴを優先させ、自分の快適さを追求する道だし、生命とは利他に生きる幸福な道である。

しかし利他に生きる人を育てる、真の利他の道とは、幸福ではあっても、狭き門である。

それは、エゴにとっては受け入れ難い厳しい道だからである。

そしてそれが故に、他者と道を分かち合おうとする人は、時に人から言われなき非難を受ける。その悲しみを体験することは、避けられないのである。

マザーテレサのハウスでも、エゴと向き合い乗り越える利他の道について行けず、去って行く人は多かったと聞く。

利他の道を歩むスタッフは、ケアーを受ける側ではない。ケアーを実践する立場だ。だからマザーも、彼らスタッフに対しては、厳しくならざるを得ないだろう。なぜなら、自らに対するその内的な厳しさこそが、真の幸福をもたらすことを知っているから。

しかし中には、そのことが理解できず、かえって反発して去って行くスタッフも出てくるだろう。でもマザーだって人間だ。本人の幸せを願うその気持が理解されず、スタッフが利他の道を捨て去って行くたびに、深く傷ついただろう、とは思う。

マザーのハウスで、途中からスタッフを簡単には受け入れなくなったのは、エゴを捨てた利他のワークを、長時間行うことに耐えられなくて逃げる人がたくさんいたためだ、と聞いた。

イエスも最後は、弟子たちがみな逃げた。そして罪人として死んだ。さぞ切なく、悲しかっただろう。その直前には、弟子たちの足まで洗ってあげていたのに、、、。

たった一人になっても、人間への夢を捨てられない人。利他にしか生きられない人。そんな人だっているんだ。

「悲しみを懐に抱かずして悟る人はいない」という法華経の言葉が、優しくたしかな重みをもって、心に響いてくる。

 ※ところで、今タイのバンコクに来ている。明日からバングラデッシュに向けて出発。

 続きは、バングラデシュ篇

 

 

 

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幸せな心と孤独でないこと

2012/12/22 Categories: 日記

ため息ついてふと思ってしまった。

“いったい自分は、何のために生きているんだろう?”って。なんだか、まるでティーンエイジャーみたい、、、。

まあだけど、そうなんだからしかたがない。

僕は人の心を変えたくて生きて来た。このことに気づいたのは数年前だ。どんな心に変わることかと言うと、“幸せな心と孤独でないこと”、に。

なぜ僕は、こんなことのために生きて来たのか?

ちっちゃな時から(浅川マキの歌、風に)

僕は、もの心ついた時から幸せでなく、そしてひどく孤独だった。

そして、そこから抜け出そうとして子どもの頃から必死だった。しかし、それが極まるところまで行ってしまったのは、16歳の頃だった。

その頃の僕は、“どの年齢の人も、またどんな人も、例外なく、死にたがっているのを必死で我慢して生きている”と、頭から思い込んでいた。

きっと僕がそうだったからなんだろうけど、それが自分の投影だとは気づかなかった。それぐらい精神的に余裕がなく、追いつめられていた。

だから、そうでない人がいる、というのを知ったときは、心底びっくりしたものである。

そんな僕だが、子どもの頃からやって来たことは、不幸せっぽい人を見つけては、なんとか幸せな気持にしようと努めたり、孤独そうな人を見つけては、なんとか孤独でない気持にしようと心を病むことであった。

しかし、もちろん、僕の試みは多くの場合、失敗した。

快適な自分を満たすのが幸せなのか?

その原因は、ずい分たってからやっとわかったのだが、、、(恥ずかしながら、実は最近)。

そもそも人が幸せな心になるためには、“他の人を幸せにする気持にならない限りは無理”なのだ。

孤独な人が孤独な心から解放されるためには、他の人の孤独を癒そうする気持がない限りは不可能なのだ。

それが人生の法則なのだ。

それは、よくよく考えてみたら当たり前のことなんだけど、なかなかこれを言語化して認識することはできなかった。だから、失敗して来たのである。

というのは、通常、人は、快適な自分を手に入れることを幸せと呼ぶ。それで、“自分を幸せにすること”が、幸せだと思っている。

ところが現実は違うし、その誤解が解けない限り、幸福にはなれないのである。

 人は、自分で自分を幸せにすることはできない

人に認められたり、優しくしてもらったりするのって、幸せなことだ。これは物質に満たされた北半球の日本に住む私たちが、唯一感じることができる幸せかも知れない。

だけど、どうしたら人に認められたり優しくしてもらえるのだろうか? 有名になったら? お金があったら? それとも偶然のチャンスを待つ?

きっとみんな、“今の自分に足りない何かがあったら、自分はもっと認められるし、もっと優しくされるし、もっと愛される”と思っているのかも知れない。

だけど、それって、今の自分を否定することだから苦しい。それに、そのこと自体が幸せなこと状態だとは、とてもいえない。

また、たとえ自分に足りない何かが、先行き手に入ったとしても、果たしてそれで人に愛されるのだろうか?

人生の事実

地位があるから、有名だから、お金があるからという理由で親切にしてくれる人は、もちろんあなた自身を認めているわけでも、また、あなた自身に親切にしているわけでもない。

言ってみれば、あなたが着ている服を愛しているに過ぎない。

人は、自分で自分を幸せにすることはできない、と言った。これはほんとうの本当に事実なのだ。ただし多くの人は、単なる“快適さ”のことを幸せとカン違いして、そう呼んでいる。

だから、この現実(人は、自分で自分を幸せにすることはできない)を知るのを邪魔して、幸せを求めていながら、逆に不幸の種を積んでしまうのだ。

だって快適さって、長続きしないんだもの。

人間は、どんな快適さもすぐに慣れてしまって、不幸を感じるようにできている悲しい存在だから。(しかも、手に入れてしばらくの間は、これが長続きすると思い込むという、愚かさも併せ持っている)

人は、人に幸せにしてもらうしかないのだ。じゃあ、どうしたら、それはできるのか?

「人は、他の人を幸せな気持にすることでしか、幸せを感じないようにできている」まずは、この峻厳な人生の事実を認識するところが始まりだろう。

“そうかあ、宇宙ってこんな風にできていたんだ〜”と、僕自身、あらためてその不思議を想う。

<続く>

※ああ、バングラデッシュ行きの準備しなければならないのに、ブログなんて書いて時間使ってしまった〜。何か写真でも載せようかと想ったけど、時間ないからやめたっと。

 

 

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過去から未来へ疾走する

2012/12/04 Categories: 日記

過去から未来へ疾走する

つい、1〜2週間前の話なのに、東京センターでのイベントや京都ベジフェスでのLIVEは、あっという間に過去の出来事になってしまった。

というのも、年末年始は、バングラデッシュやタイにいることになったからだ。すでにそちらの準備に向けても疾走しているんだから、無理もないか、、、。未来と過去は同時に考えられないもんな。

やっとできた時間のすき間に、「ブログ書かなきゃ、、、」なんて思ったんだけど、そういえば何やっていたんだっけ? と思い出す始末。

そういえば木曜日は、一日夕方までバンドの練習。その後、新幹線に飛び乗って東京へ行ったんだ。翌日の、東京道場での彼岸法要やチャリティイベントのため。

東京に向かう

さて、東京駅に着いた。「センターで準備をしているタオサンガの皆さんの労をねぎらいたい」とは思いつつも、風呂に行き、一人部屋で休んでしまった。(後で聞いたら、劇の練習で忙しかったとのことで、行かなくて良かった)

23日金曜日(祝)/ 彼岸法要とチャリティバザー

朝の始まりは彼岸法要。雨がけっこう降っていたので、“まあ人はいないだろう”と思っていたら、たくさん来られているのでビックリ!

30分の彼岸法要の後の法話。何を話したかはヒ・ミ・ツ(なんちゃって)。

その後、健康教室があった。(経絡ヨガをやっているところ)

<治療デモンストレーション/“どこか「痛い」とかの症状のある人はいませんか?” と会場に呼びかけ、経絡の状態を説明しながら、数分の治療で症状を取る。3人ほど、行った。ふぅぃ〜>

 

<その後、チャリティバザー始まる>

<お値打ちものばっかり。すべて支援金となる。値段は買う人が決めるサンガのシステム>

<輪投げでバザー品をゲットする子どもたち。僕も挑戦したが、入らなかった〜>

他の部屋では、、、

<キッズ スペースもあり>


<チャリティ施術の部屋。この日はすべてがチャリティのため>

 

いよいよメイン・イベント!  それは、、、

<タオサンガ版 喜劇「新白雪姫」!>

 <これがまた、抱腹絶倒!! 配役、脚本、演技、すべてがほんとにスゴい! いや〜、本山に売り込みたいです。タイ大会では英語でやる、とのこと>

イベントが終わって

 あと片付けの後は、皆さんで一杯飲みながら、まったりと。バザーの残りを食べたり、買って来たお寿司を食べたり

くつろいだところで、Chari-TXゲームが始まった! ふはははは。(ここで笑うのは、嬉しさのあまりである)

先ほどのバザーでは、悠一郎君という賢そうな小学生がいた。そこで僕は、すかさず彼をスカウトした。これからチャリティックス棋士として、英才教育をするつもりである。楽しみだぜい!

24日土曜日/別時念仏会

別時念仏というのは、座禅の摂心みたいなもの。集中的に行う修行のことである。

この日は、「念仏でトラウマを癒す秘法」等を行った。夕方はネットでも放映している毎週の法話ライブ。http://www.ustream.tv/channel/taosangha

終わった直後は、また新幹線に飛び乗って京都へ帰る。翌日のベジタリアン・フェスティバル出演のためである。(朝でなければ、会場に機材が搬入できないので)

25日(日曜日)ベジフェス(梅小路公園)に出演

<なんと曲の途中で弦が切れてしまった〜。ピーンチ!>

 <で、次の曲から別のギターで弾く>

この日はセッティングにやたら手間取った。また、アンプからいつもの音量や音色が出なかった。(さらに、演奏途中でギターの弦が突然切れた)ようするに、トラブル続きだったのである。このため、二曲しか演奏できなかった。

自分的には、不本意なステージであった。その後は反省どころでなく、2、3日うわごと言うほど自責の念にかられていた。

「いや〜、今までレコーディングばかりで、ライブはすっかり遠ざかっていたからさー」などと、時おり自分で自分に言い訳しながら、である(←ああ、何やっとるんじゃい)。

そういえば、ソロアルバムを出している頃は、リリースするたびに「ああ、駄作を出してしまった〜」と、一人落ち込んでいた。ダメなところばかり耳についてしまっていたのである。

毎回CD出した直後には、いつもそんな状態であった。それが、人様が「いい!」と言って買って下さったり、テレビやラジオで放送されたり、“いつも聴いています。音色に癒されます”などと言って下さるにつれて、“まあ、自分で思っていたほどは、そう悪くはなかったのかもね、、、”と、恐る恐る立ち直っていくのである。

ああ、なぜか舞台裏を話してしまった〜。これはあの日のライブの後遺症である。次はもっと良いステージにするから、勘弁してくれい。すでに遠い過去の話なんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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