2012年8月の記事

3日間、悶え苦しんでうなり、そして少し泣いた

2012/08/30 Categories: 未分類

 “なんか変だな”と最初に思ったのは、ライブが終わったあと、倉庫代わりにしているアパートに音響機材を運んでいるときだった。

汗にまみれ、あまりの重さにへとへとになりながら、機材一式を2階に運んだ。その時、皮膚に妙なものが付いたような、妙にイヤな感覚をおぼえた。

 その後、焼き肉屋「いちなん」の屋上で、バーベキュー・パーティ兼、ゲーム大会があった。そこでまあ、ホストとして、みなさんが楽しく遊べるように動き回っていて、その時は、何も感じなかった。

 寝る前や翌朝から、突然、身体の一部が痒くなり始めた。「?」と思ったが、それでも東京の念仏会のために、新幹線に乗って出かけた。

午後になり、かゆみは増す一方だった。そして、夕方からは全身的に痒くなり始めた。

 果たして、夜にはどうなったか? あまりのかゆみに、マジでうなるほどになっていた。そしてつらく苦しく、とうとう朝まで一睡もできなかった。ついに僕は、そこで白旗を掲げた。京都に帰ったのである。

 治療師のはしくれとしては、実にお恥ずかしい限りだが、この突然の蕁麻疹の発症で、僕は3日間完全にダウンした。途中、あまりのかゆみにのたうち回り、うめき、そしてちょっと本気で泣いた。

<いやー、つらかったス>

ムヒなど全く効かないほどの激しいかゆみ。念仏修行中みたいに身体感覚を消失させると、苦しみは茫漠として来る。だけど僕は、むしろ症状を感じて引き受ける方を選んだ。

 なぜか、まゆさんに温泉化粧水でぴちゃぴちゃ身体を叩いてもらうと、1、2時間は耐えられるぐらいに収まった。そこで症状が激しくなるたびに、うぅーと、うなりながら階下に降りて、そして、うぅー!とうめきながら、日に何度も温泉水でぴちゃぴちゃ叩いてもらった。

これには本当に助けられた。そしてアトピーに苦しむ人の気持が、少しだけわかる気がした。

 食べ物が原因ではない。僕は高校の時にもなったことがあるのでわかる。最初は、一度目の私立高校の時。学校に行くストレスが原因だった。次は、二度目に入った都立高校の時で、これはクスリの過剰摂取によるものであった(タハハ。このときは、眼が開けられないほどひどくなった)

今回の原因もまた、はっきりしている。心身の過度の酷使である。実は、4日後にやっと症状が引いてからも、ついまた長時間に亘っての原稿書きなどで無理をした。そうしたら、またぶり返しそうになり、慌てて自分に誓った。これからは1日3時間以上の原稿書きなどの作業は止めにしよう、と。

 まるで、孫悟空がイタズラをした途端、頭の輪が締め付けられるようなものである。ああ、くわばら、くわばら。

 

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心の友が一気に増えた夜

2012/08/28 Categories: ゲームCHATRANGA

                                   
京都タオサンガセンターの近くでのライブがあった。
その後は、最近お友だちになった、われらが孫さんの焼き肉屋
「いちなん」の屋上で、バーベキューパーティを兼ねたゲーム大会。
ゲームは僕が10年がかりで体系化したChara-TX(チャラティックス)
という戦略ゲームである。(サイトは http://www.strat-x.net

今、オンラインゲームで遊べるようにプロジェクトが進んでいるのだが、http://holtschool.com/headshrinker/DragableObject5_0.swf
それと呼応するかのように、ゲームにはまる愛好者が増えてきた。
へへへ、僕としては心の友が一気に増えたようで、実にうれしい限り
なのである。

<マイケル・ジャクソンやYMOの作詞をしてきた作詞家のクリス。
ふふふ、実はこのときの僕は、手加減せずに彼を叩きのめして
しまった。ごめんねー。
彼は今は娘の出産でアメリカにいるが、早く京都に帰りたいとのこと。
“打倒RYOKYUに燃えている”とは、アメリカから届いた彼のメッセージ>

 

さて、ゲーム大会/パーティでの僕は、ホストとして、みなさんが
楽しく遊べるように動き回って過ごしていた。
あっ、誤解のないように述べておくと、ここで言う“ホスト”は、
いわゆる女性相手の男性接客業ではなく、英語のHOSTの意味である。


 <“えいや!” 今回の「いちなん杯」の優勝者、しんじ君。
大会に備えて毎日特訓してきたという。>
                            

<勝って喜ぶ、Chara-TX棋士あぼじさん。
子ども相手に「世の中甘くねえんだぞ」とか説教しながらゲームする
のが彼の棋風だが、田舎のおっさん風で実に面白い>
 

<東京から駆けつけた、Chara-TX名誉会長のたかちゃん
(正面に向かって右から2番目)。
その左隣が、しんじ君のお父さんでソウル出身の李さん、
あだなは王子さま(説明はまた次回に)>
                               

<勝利の笑顔。西山大学の島袋さん。Chara-TX同好会ができそう>

<島袋さんのアイリッシュ・フィドル風の演奏で、
これまたアイリッシュ風のダンスを激しく踊るしんじくん。
優勝者として店主の孫さんから賞状を授与されたときの
彼の一言「この夏、一番の思い出にする」>
                               

<ゲームやったのは20人ぐらいで、やらない人もたくさんいたけど、
みんな楽しそうだった>
                                

※次回のいちなん杯も、京都市左京区一乗寺、「焼き肉屋いちなん」
屋上にて、9月16日に開催します
。参加ご希望の方は、stratix@hotmail.com  までご一報を。
いちなん杯のポスターのコピーは「オニクの為にタタカイます」。
(優勝者は焼き肉代が無料になるので)                             

 

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人間ドラマ「バンコク・ナイトの会場探し」

2012/08/18 Categories:

 パタヤで世界大会の会場探し、ホテルとの交渉、周辺の視察、大会準備の企画書作りと、濃密な時間を過ごした僕とオリバーには、まだ仕事が残っていた。それは、バンコク・ナイトの会場探しである。(というわけで、バンコクに向けて出発!)

<チャオプラヤー河/見えているのは、三島由紀夫が絶賛した暁の寺院>

  さてバンコク・ナイトとは何か? 来年7月19日、タオサンガ大会に参加するため、世界各地から人々がタイに集まってくる。ということは、各国からバラバラの時間に到着するということだ。

 このため別枠の大会前夜祭として、タイの首都バンコクに集まり、わいわいとガーデンパーティの夕食をやる。それがバンコク・ナイトである。                     翌日は、チャーターしたバスで一緒に会場に向かう。もっともパタヤは空港から車で1時間半ぐらいで行ける距離。だから日程の都合で、直接空港から会場に行く人もいる。

<船も生活の交通手段の1つ/船代45円ぐらい>

 また、大会が終わった日に、参加者をバスでバンコクでの夕食(後夜祭)に送り届けるという別枠のプロジェクトも考えた。実は前回もやったのだ。ただ2003年の時、僕は、バンコク観光のツアーガイドまでやってしまっていた。

そして、“来世では、ツアーガイドだけはやらないようにしよう”と固く決心していた。というのは、僕みたいに放浪人生で、集団行動なんてできない人間が、おこがましくもツアーガイドをやること自体が、ジョークみたいな矛盾した話だったのだ。

 そういえば、小学校のときの先生に、僕の成績表に「人の世話をやきすぎる」なんて書かれていた。うぅー、案外、当たっていあたかも〜。

<長年、泥で隠されていたのが、ある夜、雷に打たれ本体が顕われたら金だったという「黄金佛」>

 したがって今回は、断固として観光ツアーガイドにはならない。(と、固く決めたもんね)バスとディナー、それに案内役の人をセッテッィングするだけにとどめよう。「ただの通りすがりのものです」と言いながら、つい、世話を焼こうとするのが僕のワルいくせである。

 それに僕自身は、パタヤに引き続き滞在して、国際タオサンガのクリエーション・メンバーと数日間は国際会議をする予定。なので、あわやバンコクまで付いて行って、皆さんの世話を焼こうとする自分を押しとどめて、帰る人たちをバスで見送るということになる。

 さて、このバンコクナイトの前夜祭と後夜祭の会場探しだが、バンコクで2泊3日、汗にまみれて二人で必至に探した結果、それぞれの会場候補が決定した。(交渉はこれからだが)

前夜祭も後夜祭も、とても良い会場になると思う。バンコクの後夜祭はチャイナタウンの近くで、先の黄金佛へは、徒歩で行ける範囲である。

立ち寄ったポー寺院では、激しいスコールに遭遇。あわや、ずぶ濡れ寸前に軒下に飛び込んだ土産物屋で、東京道場のために絵を買った。

 今回バンコクでお世話になったのは、このお二人。ワラポーンさんとそのご主人。2007年にオーストリアで開かれた世界体育大会で、その運営を手伝っていたオリバーと知り合ったという。

<僕らがバンコクでお世話になった、ワラポーンさんとご主人>

夕食から宿泊まで様々なことをお世話して下さり、大感謝である。ワラポーンさんは会場候補のホテルにも電話してくれた。

またコンビニに寄ってもらったら、わざわざご主人が車から降りて付いて来てくれ、水まで買ってくれるという、お世話のして下さりようである。

 バンコク1日目の夕食後、ワラポーンさんに“ちょっと寄るところがあるので”と言われて連れて行かれたのが、一階にショッピングセンターが入っている高層ビルの屋上。

 バンコクの夜景が美しい屋上には、プールがあり、中国系の穏やかそうな老人と孫らしき青年が、ベンチで静かに夕涼みをしている。

 紹介されたら、ご主人のお父さんとのことであった。そしてその後、帰りの車の中でさりげなく言われたのが、「父は、あのビルのオーナーなんですよ」であった。

お二人ともタイ王国への忠誠心が厚く、王様をとても尊敬していた。アジアの中で、唯一日本とタイだけは植民地にならなかった。そしてタイの場合は、当時の王様の外交手腕に依るところが大きかった。

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タオサンガ世界大会2013の会場決定!

2012/08/16 Categories:

 タオサンガ世界大会の会場探しのために、一応は、めぼしいホテルをすべて巡った。そして2003年の時の会場、シグマリゾートに来た。8年ぶりである。そして僕の直感は確信した。“やっぱり、ここだ、、、”、と。

 全体がリニューアルされ、ホテルのランクとしても星一つぐらいは上がっているだろう。とてもきれいになっていて、びっくりした。

<シグマリゾート>

すべての部屋から海が見えるし、設備も申し分ない。会場の広さも十分である。(唯一の欠点が、他の大型ホテルに比べるとプールが少し狭いことだが、20人以上の子どもたちが来ても、ゆったり遊ぶぐらいは十分あるだろう)

そして前回から顔見知りのカムアン氏とも再会。おおっ! といたく喜んでいる。                     それにしても、タイ人は、なにごとものんびりしている。実は、来る前にメールで多少やり取りしたのだが、一回返事が来ただけで(それも10日以上たってから)、その後のメールにはまだ返事が来ていなかった。

そのため、他も見ておこうか、といろいろ回ってしまった。まあ、オリバーがさんざんネットで検索して来たらしく、他の会場候補をいくつも上げているので、それを無視するわけにもいかなかったということもあったが。

ホテルはすっかり模様変えしたが、カムアンは全然変わっていなかった。“あなた全然変わっていないねー”と言ったら、“そっちこそ”と返されてしまった。

 どうやらカムアン氏の地位は、アシスタントマネージャーで、これまた前回から変わっていないようだ。今回の交渉は、主に、6年前にジェネラル・マネージャーに就任したという、ピッシット氏と行い、細かいことはカムアンと話し合った。                                        シグマリゾートに2泊し、何度か話を詰めていく。他の時間はオリバーと、交渉内容の確認、プログラム、大会ホームページのコンテンツなどをディスカッションしながらまとめていく。近くの観光スポットなんかも探索。家族連れのために、子どもの遊び場も調べた。

 

<ジェネラル・マネージャーのピシット氏。僕は、彼が気に入ってしまった。というのは、僕も服装がだらしないし、よく食べ物で服をよごすから>

 

<だらしなブラザース>

 

<下の写真は、“ミスター エンドー!” と、僕が来たんで、びっくりして声をかけて来た、レストランのシェフ。他のスタッフでも、こちらを覚えてくれている人たちがいた>

 

夜は、カムアン氏を食事に連れ出す。実は、彼とはサメット島に一緒に行ったりもしていたのだ。奥さんは、まだパタヤでコックをしていて、中学生だった息子さんは、大学を卒業してエンジニアとして就職したという。“ちょうど3日前に、タオサンガ大会の時の写真を見ていたんだよ”とカムアン氏。以前の大会の話などで盛り上がる。

2013年の大会の内容をオリバーと話し合っていて、すっごく楽しくなるようなアイデアがたくさん出てきた。タオ指圧門下の人はもちろん、誰が参加しても、学んだり楽しめるような内容になると思う。

 

<下記、観光スポットのチェック。寺もリニューアルされいていた>

<会場からも遠くない大仏さまは、大会中のパタヤツアーに組み込むつもり>

 

<丘の上にある寺院からの眺め>

 

<中国系の寺院なのか、観音さまも祀られている>

 

<このおばあちゃんの食堂は、とってもおいしいのでお勧め! 僕は、けっこう仲良しになってしまった>

 

<屋台のチキンなんかも、うまいんですよねー。これに、パパイヤサラダともち米を付けてもらうと最高!>

さて、タオサンガでは、今や伝説として語り継がれているタイ大会である。何せ参加した人は、いつまでも、このときの体験を話し続けているほどである。そして、今度はいつあるんですか? と心待ちにして聞く。

僕も、タオサンガ各地の代表たちと、毎年のように“来年はタイ大会をやろうね!”と言い合って来た。なにせ普通の人生では、まずできないような体験が待っているのが、タオサンガ世界大会なのだから、、、。

 <ナイト・レストランになる、シグマホテルのビーチ前の道。夜のディスカッションや共同作業を終え、潮風に吹かれながら飲むビールは、また格別な味だった>

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タオサンガ世界大会2013の会場探し

2012/08/14 Categories:

 8月6日の夜。オーストリアからオリバーが、今僕がいるタイ・パヤタに到着してから、「休めやすめ運動」は終結した。そりゃまあ、そうだ今日はHiroshima day だしな、、、。

エルサレムのバヌヌ氏からは、彼が毎年エルサレムで広島の日に行っている、核廃絶スピーチの映像が届いた。

<原爆ドーム>

 スピーチと言っても、路上デモなんだけど、、、。というのは、イスラエルで核兵器の開発に従事していた彼は、その驚愕の事実をBBCで世界に向けて発表した。その結果はどうなったか?

 18年間独房に幽閉され、虐待もされていたという。現在も移動の自由を奪われており、ほぼ軟禁状態である。

 どのように? イタリアで、モサド(イスラエル秘密警察)が放った、おとりの金髪美女に誘惑され睡眠薬を打たれた。(男はいつでもバカなのだ)そして、小舟でイスラエルに拉致されたのである。

 昨年、ドイツの団体が世界平和に献身した人ということで、彼を表彰しようとしたが、出席できなかった。スーチーさん並に有名になっても良さそうなのだがな。戦争を商売にしている人たちが、そうはさせない。ウランを商売にしている人が、原発を止めようとしないのと一緒である。

今、来年のタイ大会の準備でパタヤにいるのに、なぜまたこんな中東の話が出るのか? というのは、2、3年前にパレスチナの平和教育会議等でワークショップをしたり、エルサレムの路上でボランティア指圧したり、デモに参加して催涙弾を打たれたりとかをやってた。

 

<パレスチナの理学療法学校でのチャリティ・ワークショップ>

※写真の上段の右から2人目は、2003年に開催された第一回タオ指圧国際大会に参加したアクラム氏。彼は、スピーチで、「まったく新しい人間関係のあり方を体験しました」 と言っていた。

さて、このときのパレスチナ訪問で出来たつながりで、「五つのカメラ」という、僕がデモに参加した“ビリン村の民衆抵抗運動”の映画を撮影した監督2人(イスラエル人とパレスチナ人)の日本窓口から、NPOユニへ依頼があった。

<イスラエル兵が撃って来る催涙弾に備えてマスクをし、ビリン村デモの参加準備。実は内心、緊張しまくりである。右は、僕が、ビリン村行きのバス停への道案内を頼んだ、アラビア語勉強中のさとしさん。結局、僕と一緒にビリン村まで来て、デモに参加することになってしまった、、、>

「五つのカメラ」がNHKで放送されるのを機に、日本でキャンペーンや上映会をやるので、渡航費の1部を援助して欲しいということである。UNIインターナショナルで相談した結果、1000ドルの援助をすることになった。

 それで、9月1日の10AMから中野の公民館で、映像の部分上映とトークをすることになった。僕はその通訳を勤めることになっている。

 だが、日本語ですら自信があるわけではないので、実はもう一人(ボイスのあこさん)お願いしているところである。何とか来てくれますように!

(ところで、イベントに参加ご希望の方は、03-3385-7558 タオサンガ東京までご連絡下さい)

さて、休めやすめ運動に終わりを告げられた僕は、翌日からタクシーをチャーターし、翌来年の世界大会の会場を探して、ジョムチェン・ビーチを片っ端から回りはじめた。

<ここは、どうかな? うーん、、、会場も小さいし部屋がねぇ、、、。とか、相談しながら、次々とホテルを訪問。部屋を確認したり、マネージャーと話したりしていった>

<暑い中、荷台バスを乗り継いで延々歩き回るのに疲れ、とうとう屋台のおっさんの白タクをチャーターする。遠くのホテルもチェックできたから良いけど。>

 その結果、最終決定したホテル側との交渉やら、プログラム創りのディスカッションやらの毎日を送っている。

 

 

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ずっと書いていなかったブログ

2012/08/05 Categories:

ずっと書いていなかったブログ。気がついたら1ヶ月以上たっていた。

さて、休むことを仕事にしよう、なんて思いながらもずっと走り続けてしまった。

 今年に入ってからは、バングラデッシュで活動し、UNIチャリティフェスティバルの開催があり、そしてヨーロッパ一ヶ月のデスマッチ的なツアーもあり、そこで休めば良かったのだが、妙な具合に休めず、、、うぅ。

 あげくに、ようやく身体がTPPや原発の再稼働並みに“絶対反対!”の意を唱え出した。そこで、まゆさんとタイまで来て、1週間ほどバタと休み込んだ。

タイに来たのは、来年のタオサンガ国際大会の準備も兼ねているのだが、本音は、休め休め運動の実施である。かつては、休む方が主体の人生だったのにな。

ところで、タイに出発する3日前のことだけど、ライブハウスで演奏した。

 実は、僕は内面が動きすぎている時など、何も語れなくなる。それでも、ステージで愛想が悪いのもなんだから、話をしようとがんばった。でも、すべってばかり。

理想は、姿が見えていない状態で、まるで何かにとりつかれたように演奏していることなんだけど。

 さて明日は、夜にオーストリアからオリバーが到着する。彼の知り合いのタイ人らの協力のもと、2人で世界大会の会場になるホテルや、バンコクでのパーティ会場などを見つけたり、また交渉したりするためである。 なにせ、前回の世界大会から、10年の月日が経っている。あらためて探したり、交渉したりしなくてはならない。前回は、3回もタイに行って探しまわったあげく、ようやく決めた。今回は1発で決めたいところである。

 

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