2012年4月の記事

ああ無情! 

2012/04/27 Categories: ニュース

 よみがえった、かつての悪夢

 バックパッカー、ひとむかし前の表現だと貧乏旅行者(大名旅行の反意語)にとって、日本大使館は、一番行きたくないところの筆頭だろう。

 ようするに日本人旅行者が困り果てて行くところでありながら、同時に、貧乏旅行者だと、けんもホロロの扱いを受ける、とされている所でもある。

 インドが今のような通信設備がなかった頃は、何ヶ月も日本のニュースを聞かない、なんていうことは当たり前だった。

 信じられないだろうが、僕は日本へ電話をかけにインドの郵便局で一日待ったことがあった。それで20ルピーだったかな? 宿代より高かった。

 そんな状態なんで、有名人の誰それが死んだとか、まことしやかなウワサが流布されたりもするので、真偽のほどはさだかではない。日本大使館の前で抗議の自殺をした人間がいるという話まであるのだ。

涅槃図(水間ゆかさん作品)

 まあ、これはウワサに過ぎないので、僕の体験を話そう。

 最初にインドに行ったとき、3ヶ月目にマラリアにかかった。僕は日本に帰るつもりがなく、ヨーロッパまで陸路で抜けてフランスの友人(香港行きの船の中で知り合ったフランス人)の家に居候して、バイトでもしようともくろんでいたから、帰りのチケットなんて持っていない。しかも、日本に帰る飛行機代なんてない。

 なおかつマラリアで、日に何度も高熱の発作で倒れるという、絶対絶命のピーンチ! であった。そして、デリーの日本大使館は、ウワサ通り、「ああ無情!」 なのであった。

 さて、なぜこんな古い話を持ち出したのか? それは今回、UNIチャリティフェスティバル http://npouni.net で講演してもらうことと、日本のお経を勉強してもらうため、ラジョーさんを日本に呼んだ。そのため、某国の日本大使館にラジョーさんのビザを申請した。その管轄は、日本外務省である。そしてその体験は、まるでデリーでのかつての悪夢がよみがえったかのようだった。ああ無情!

 苦難の日本入国ビザ申請                                             

苦難はまず、書類を書くところから始まった。

ラジョーさんを招聘するに至った経緯から、毎日の旅行日程、宿泊先、連絡先に至るまで詳細に亘って書き込まなければならない。

 あまりにも複雑な数々の書類の書き込みに、お手上げとなった僕は、日本から某国の日本大使館に電話して、担当者に聞きながら書くという作業を行った。(この時は、わりと穏やかで親切な人だった)

 そして膨大な提出書類の数々。パスポートのコピー、お寺の登記簿謄本から僕の住民票までだ。何でこんなものまで? とい言いたくなるぐらいであるが、法務局やら区役所やらを回り、ようやくすべてを揃えて、ラジョーさんに航空便で送る。

 すると今度は、ラジョーさん側で出す書類の書き方がわからないと言って、彼が電話してくる。「何て書いたらいいですか、エンドーさん」オレだってわかんないよ〜、と言いたいが、あの彼の人の良さそうな声で聞かれるとなあ〜、、、。

 結局、また僕が大使館に、2回3回と電話して聞くということになる。(ラジョーさんは、気が弱くてとても聞けない) さすがに3回目の電話になると、現地の受付嬢も、「また、あなたですかあ」とメンドクさそうな感じだし、今度の係の人は、ちょっと固そうで恐かったなあ。なんせ、外務省のお役人さまですから。

 こっちは何も悪いことしていないんですけどねえ。入国して不法就労なんか、するはずもないのに、疑われている感じですね。まあいいけど。

 それでも、気を取り直し、何とかかんとか四苦八苦して書類を揃え、ラジョーさんはそれを持って、夜行バスで12時間かけて大使館に向かう。

 さらに難題が                                                   

翌日、気をもみながら待っていると、今度は、“銀行の残高を出しなさい。遠藤のパスポートの全ページのコピー(!?)も出しなさい”と言われたという。何だと!?

 そこで離れ業を行う。全ページを京都でスキャンしてもらい、メールで送る。彼はインターネットカフェで全50ページをプリントアウトする。銀行の通帳コピーも、同じように奥さんにやってもらう。膨大なコピーの山だ。

 翌日持っていくと、今度は、“銀行口座の残高を過去3年分は、コピーではなく実物を出しなさい”と言われた、という。、、、苦労してスキャンして送り、プリントアウトした膨大な紙も、すべて突き返されてしまったという。

 おいおい、何だよ。何ひとつウソはついていないのに、日本に入っても姿くらますわけじゃないのに、なぜこうまで日本に入れようとしないんだ、、、。

 しかし、ここで怒ったら負けだ。じっと堪えて、忍ぼう。

ラジョーさん、また12時間かけて家に帰る。疲れたみたいだったな〜。そして電話で相談。「エンドーさん、僕あんまりお金ないから大丈夫かな〜。ユニのお金が僕の名義で入っているけど、僕のじゃないし」おいおい何言ってるんだよ。そんなの、みんな自分のもの、ということにしておけばいいじゃないか。

僕は電話で、日本在住のイギリス人クライブに相談。「いくら残高入っていたらいいかなあ?」 「5000ドル以上というウワサもあるけど、3000ドル入っていたらいいんじゃない?」

 ということで、ラジョーさんは親兄弟に借りて、何とか口座残高を4000ドルにすることに成功。

再び、夜行バスで12時間かけて大使館に向かう。それまで僕とは日に12回ぐらい電話で相談。5分後にかけても、電話は毎回、彼ののんびりした「コンにちわ、エンドーさん」で始まる。

 翌朝、大使館に3年間の口座証明書の現物を渡す。向こうの人は、何か言いたそうにしながらも、やっと受理したという。そして月曜日に取りにくるようにと言われたという。

 ああ! ホッとした。これでビザが下りる。「ラジョーさん、成田で会おう!」と言って、笑いながら電話を切ったのだった。

 痛恨の結果                                                    

日本行きのすべての荷物を持ったラジョーさん。再び12時間かけて、日本大使館へ。これで、通算で3往復目である。

そして今か今かと待っていると、やっと夕方に電話。「どうだったラジョーさん?」 と朗報を期待する僕。「ダメだったよ〜。」

 もう言葉もなかった、、、。大使館は、理由を告げない。彼は日本に行くつもりで持って来たすべての荷物と共に、再び12時間かけて戻らなくてはならなかった。僕は、胸がつぶれる想いであった。

 というわけで、今回ラジョーさんは、ユニフェスには来れなくなってしまいました、とさ。

 

 

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“忙しい”はカッコ悪い

2012/04/08 Categories: 日記

僕には“忙しいことはカッコ悪いことだ”という認識がある。だって考えてみて下さいよ。昔の貴族なんて、毎日遊んで暮していたんですぜ。それでひまだから、文化や哲学が生まれるわけ。汗水流して働いているのは下層階級だけ。

ましてや人生に疑問を感じて、生死の問題を解決しようという宗教的世界なんて誰が向かうのか? 王子さまだったお釈迦さまのように、ひまと感性がないと、なかなか向かわないだろうなあ。

手塚治虫の「ブッダ」のシッタルダも、”永遠の青春が欲しい”とお父さんに出家の動機を語っていた。ひたすら金や地位、また個人の生活を”後生大事”にしているなんて、すぐに青春を失うようなものじゃん。

 清和荘に住んでいたころ

ホントは僕はできれば、貴族のように優雅でいたい。だから、“忙しい”なんて口にしたくないわけ。

清和荘という三畳6千円のアパートに住んでいるときはヒマだった〜。ほとんど働かず(したがってお金はない)、念仏と本と手作りの戦争ボードゲームで遊んでいるだけで、夜は宴会(どこかの部屋で誰かがやっている)。考えてみれば、実に優雅な暮しだったのだ。

もっとも冬はすきま風だらけで、とてつもなく寒く、眠れなくて深夜喫茶で過ごしたり、朝まで遊んでいたりしたけど。朝の出勤サラリーマンと入れ違いに帰り、ようやく朝日に温まって眠りにつくというわけ。

<ストリート・ミュージシャンしていた頃。「アリかキリギリスか?」もちろん働かないキリギリスだった>

ブログをさぼっていた言い訳か

さて、これは長い間、ブログをさぼっていたことへの言い訳かも知れないけど、実は、ふと疑問を感じてしまったんだ。自分のやっていることを書くなんて、そんなこと意味があるんだろうか?って。

自分の思想信条なら、書くことに意味があるのはわかる。それによって、人の生き方が変わることだってあるだろうから。でも、ただ、自分のやっていることを書いてもなあ、、、。“ああ、あいつ頑張ってるな”だけで終わり。なんか虚しいような気がしません? と、まあこれも書かなかったことの言い訳に過ぎないかも、ひぇ〜。

バングラデッシュから帰国して以来、さまざまな作業に追いまくられ、“この上パソコンに向かって文字を書くなど、勘弁してけれ〜”という感じだった。 一体、いくつのプロジェクトが同時進行しているんだろう?

新刊出版に向けて

新刊2冊の出版に向けた動き。リアル版として出る「気の幸福力」(法蔵館)と「タオ指圧、究極の経絡メソッド」(ヒューマンワールド)。後者はDVDを付ける予定なので、作業が大変である(と言っても、映像担当のゆかさんが一番大変なのだが)

写真は、法蔵館に打ち合わせ行ったときのもの。社長の西村さんと、担当編集の上山さんである。お二人とも、ものわかりの良い方で、僕は好きな人たちである。

 

シンポジウム

その他、気功文化研究所の津村喬さんからの依頼でシンポジウムに出席。実はこれ、東京の予定とダブルブッキングしてしまっていた。それで急遽、東京に詫びを入れて出席した。

シンポジウムは、中国の気功の先生の独壇場で、僕はほとんど話を聞いているだけで済んだのが良かった。 なんせ海外のこの手のシンポジウムだと、僕はいつも爆弾みたいな発言をしてしまう。それで物議をもたらしてまうのだ。経絡なんかの話だと、さすがに黙って聞いているわけにも行かないんで、困ってしまう。

というわけで、夜の懇親会は津村さんのプロの手料理で、和気藹々ムード。古い言い方で恐縮だが、「日中友好」である。

<写真は、中国からの来賓。右は気功の有名な先生(らしい)と、通訳氏(10年ほど前、これまた気功協会に招いて頂いた時に、中国でお会いしていた方だった)>

 

パレスチナイベント

パレスチナのイベントを京都センターで開催した。僕がナブルスの難民キャンプで会ったアラブ未来協会の田中さん、パレスチナ人のイヤス氏とボシュナック氏を招いて、講演とパレスチナ初のアニメ映画を上映。

その前日に広河隆一氏制作の「ナクバ」(イスラエル建国に伴うパレスチナ人虐殺を実証する映画)をイヤス氏と見に行ったのだが、彼の家族も犠牲者だったことは、そこで初めて聞いた。

アニメーションは、字幕が英語だったため、急遽僕が弁士(無声映画時代にいた人)を仰せつかった。2〜5秒でる英語の字幕を見て瞬時に通訳するなんて、、、。汗だくだった。ひぇ〜!

(ところで赤塚不二夫を書いたおそ松くんの“イヤミ”の「シェー!」は、ひぇーが元だという。まあどうでもいいことだけど)

 

 UNIチャリティフェスティバル

昨年から始まったUNIチャリティフェスティバルが進行中。今年は4月29日に開催。40店舗以上の申し込みが既にあり、ライブ出演者も多い。

僕らのバンド「LAMANI」を聴くのを楽しみにして下さっていた方には申し訳ないが、そんなわけで、今年は出演辞退である。まあ、バンドの方は現在、秘密特別トレーニングに入っている。僕にしてみたら、熟成期間でもある。ちょうど良いのかも知れない。(ふふふ。大リーグボールを特訓中の星飛雄馬みたいだぜ)

それにしても、今年のユニフェスはすごい!  アフガニスタンからの留学生たちのブースなども含めて、実に、様々な人たちが関わっている。

障害のある方の写真展があったり、僕の友だち3人、作曲家の大森俊之さん、ヴォイスアーティストの竹中あこさん、天空オ−ケストラの岡野弘幹さんも出演してくれる。ダウン症の人たちのエンジェル・バンドも出演する。

その上、チベット仏教美術展まであるが、半端な展覧会ではない。美術館なみのものなのだ。

ユニフェスが、こんなに大きくなるとは思わなかったぜい。皆さんに大感謝である。UNIフェス。http://npouni.net

 

 もしかしたら、日本は共産国家か?  

UNIフェスに、バングラデッシュから、ラカイン人のラジョーさんを呼ぼうとして、ただ今、奮闘中。

ところで、実に驚いたことがある。バングラデッシュ国籍の人が日本入国のビザを取ろうとするのが、こんなに大変だったとは! 滞在中のスケジュール、宿泊先、連絡先、どこで何をしているかを全部書かなければならない、、、。これではまるで、共産国家を旅行するみたいだ、とか一瞬思ってしまった。

<ラジョーさん/電話でやり取りしていると、面白くて、つい吹き出しそうになる>

その他の進行中のこと? もうこれ以上、書いてもきりがないのでやめとこう。

ああ、かっこワルい! 念仏と音楽、それと気心道とTao Chess(清和荘時代に考案したゲーム。カナダにてオンラインプログラムが進行中)だけやって暮したいぜい、もう。

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