涙が出るほど、嬉しいことがあった。

 先日のブログを読まれた方から、新しい村をいくつも支援できるほど大口の里親支援のお申し出があったのだ。

 

新しく里親になって下さるという方から、連絡があったことを担当のあみさんから聞き、ありがたいな、嬉しいな、と思ってお礼のメールを出そうと思っていた。

 しかしその翌日、額を聞いてビックリ。小心者の僕は、そのままフリーズしてしまい、

”いやしかし、これは何かの間違いかも知れない”などと思って一人ドキドキしていた。

 

しかし、どうやらほんとらしい。。。。・

かと言って、このままフリーズしているわけにもいかない。

 

寄付文化のあまりない日本では、利他的な活動をしていて、かつ社会的に成功している(であろう)人って、実は、いそうでなかなかいないものである。

(よく考えると不思議なんだけど、それとも僕があまり出会っていなかっただけなのかも知れないが)

 

というわけで、あまり滅多には、お目にかかれないタイプの人だけに、どうメールを書いたらいいのだろう? と考えあぐんでしまった。

 アメリカ大統領に会ったって、そんな緊張しないぜ。(会ったことないけど)

余談だけど、そういえば一昨年、広島のテレビ局から、”番組のために、オバマ大統領に一言メッセージを語って欲しい”と言うご要望があった。(都合が合わなかったので、お断りしたけど)

 

結局、ありがたい気持ちをそのまま書いて送ったが、

そのとき、僕の目には涙がにじんでいた、、、。

 

<追記> 僕らがつながるのは、ラカイン村のこんな子供たちである。


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下は一年前の写真。彼は、高校生だったが、片親で極端に貧しく、いじけて不登校になっていた。

それで僕は、「絶対、里親見つけるからさー」と言って励ました。

そして後で、ラジョーさんに「お年玉あげて励ましてあげて下さい」と言って500タカを渡した。

(日本円で600円〜700円ぐらい?だったかな)

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そして彼にも里親が見つかり、再会した時はこのようになっていた。無事、高校にも復帰していた。(←高校中退の僕が言うのもナンだが ^ ^)

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人は変わることができるんだよなー。

ほんの少しの後押しと、寄り添いがあれば、、、、。

と今、この写真を見ながら思った。

里親になってくださる方々に、僕らは支えられている。

 

 

 

 

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1)

これまで何回、この橋を渡ったことだろう?

木製の不安定な橋の上を、理由もなく全力疾走する三輪ミゼットに揺られながら、僕はふと思った。

向かっている先は、バングラデシュ北部にあるクルスクル。

少数民族・仏教徒ラカイン人が暮らす村だ。

ここには、永らく閉校になっていた小学校があった。

それは子供達がラカイン民族独自の言語を学んだり、教育レベルを向上するための学校だった。

廃校していたのは、何年か前にワールドビジョンという世界的な団体が、それまで行っていた支援をストップしていたためだった。

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<クルスクル村>

あれは8、9年前だっただろうか、、、。

はじめて訪れた僕らが、長らく閉鎖されていた学校のドアを開けたのは?

建物の無残な内部がさらけ出され、朽ちた机の上にはゴミが溜まり、ホコリが舞っていた。粗末な教室の中には諦めの空気が漂っていた。

僕らは村のリーダーや坊さんと、学校の再開について相談した。

先生たちを4人ほど探してもらい、人数分の新しい机と椅子を用意した。

そして先生たちには毎月の給料を保証し、閉鎖されていた学校を再開した。看板も新しく掲げた。

別段、「少数民族として暮らす仏教徒の人々に希望を与えよう」とか、「子供達の夢を叶えてあげよう」など、

そんなこっぱずかしく、赤面するような高邁な理想があったわけではない。

始めたのは、単に「そういうのをやるのって、面白そうじゃん」というノリだった。(だいたいが、何やるにもそうだけど、、、)

ただし、このダンスは一度踊り始めたら途中下車はない。

途中でストップして村人を失望させ、再び諦めの空気を村に創るわけにはいかないからな。

でも、日本の人たちで収入の一部を出し合えば、その日本円は、バングラデシュで何倍もの価値をもって使われることになる。

為替のマジックと言ってはそれまでだが、みんなの力で学校を運営できるのだ。

こんな素敵なことはないのではないか? (とここは真面目に思う)

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<算数の先生と子供たち>

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<どういう訳だか、子供たち1人ずつに文房具を渡すというシチュエーションに、、、。

うぅ、かなり苦手な役割である。>

2)

そして毎年毎年、バングラデシュにやって来ては、この橋を渡る。

学校の状況を見る。要望を聞く。そして改善を続けて行く。

さらに新たな別の村の学校を開けていくべく、村から村へと巡る。

今年は四校目を開校させるべく動いていた。

村に行って僕たちが集中して会うのは、村のリーダーや先生たち(または先生候補)だけではない。

子供達にインタビューする。

親のない子や、片親の子、また親があっても病気、

あるいは極端に貧しく(基本的にはみんな貧しいのだが、「輪を掛けて」という意味)、

支援を必要とする子たちに、である。

その子たちの希望や将来の夢などを聞き取っていく。

 日本の里親になってくれる人を探すためだ。

孤児などは、誕生日を聞いても知らないことも珍しくない。それは聞いていて胸の痛むことだった。

”里親を探す”といっても、別段引き取ってもらうわけではない。

1〜3人で合わせて月に3000円ほど支援してもらい、それで小学校の教員たちの給料の一部を払う。

さらに、その学校に通う子供達のノートや鉛筆などを支給する費用にもなるのだ。つまり里親たちで村の教育を支えるのである。

ようするに里親たちに援助してもらうのは、居酒屋に行く程度、またはそれ以下の費用で済む。

また里親は、三カ月に一回、里子からの手紙を受け取ることになっている。

日本から僕らが行く時には、里親からの手紙を預かって行く。

そして、現地メンバーである、ラカイン人のラジョーさんに、僕らが読みあげる手紙を通訳してもらう。

3)

さて今回も、里親からの手紙を持って村を巡った。

僕は、読み上げてもらう手紙の通訳を聞いている時の、里子の顔が見るのが好きだ。

とっても嬉しそうな顔をするからだ。

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<里親からの手紙に、赤ちゃんのいる家族写真が入っていた。里子の彼は、

「この子は、僕の日本の妹っていうことだよね」と言った>

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読み聞かせてもらった後、彼らは読めない日本語の手紙を大事そうに、持って帰る。

こういう時、“慈しみ”と言う言葉が、その空間に漂っているような気がして、

僕はその空気の粒子に見とれているような気がする。

それは、”誰が誰を慈しむ”と言うのではなく、関係性そのものに漂う空気である。

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<里親からの手紙を聞かせてもらっているところ>

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<真剣なまなざしで聴いている>

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<そして、恥ずかしそうに、嬉しそうに、大事そうに手紙を持っていく>

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<こんな顔も>

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<こんな顔もある>

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<どの子も嬉しそうである>

こんな笑顔が原動力になっているのかは不明だが、さらに学校を増やそうとして動いている。だが、いかんせん里親の数がまだまだ足りない。

だから、予算はオーバーしている。でもこの地域に、通常、国際団体の支援は届かない。(ごく稀にあっても、一定期間後にはストップしてしまう)

僕らNPOアースキャラバンがやらなければ、全部で17あるラカイン村に、彼ら独自の小学校が開校することはないのだ。

それで毎年、新しい村の調査をし続ける。

そして孤児などに会って「必ず里親を見つけるからね」と約束する。

手紙を読んでもらっている時の嬉しそうな顔が見たくなるから。

        *********

いずれは、村々の学校を回る里親ツアーのようなものや国際ワークキャンプを企画したい。

もっといろんな人に、この里親プロジェクトのことを知らせたい。

そして、このゾクゾクするような面白さを、

ぜひ皆さんに味わってもらいたい。

、、、と、本気でそう思う。

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<驚くかもしれないけど、これが学校(ザフカリ村)。ここはまだようやく1年目。

NPOアースキャラバン・ラカイン子供センター ”ザフカリ校”の看板はこれから設置の予定>

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<こちらは、3年かけて話し合い、これからようやく開校にこぎつける新たな村のリーダー>

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<驚くけど、ここを整理して学校にすることになった>

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<ザフカリ村の優しそうな村長さんが、父親が病気で困窮している家庭の女の子に会わせてくれた>

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<”じゃあ、あなたにも里親探しましょうね。”というと嬉しそうな顔で笑った>

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<この子にもそう伝えると”えっ?”と言って驚く>

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<”じゃあ、ちゃんと写真撮ろうね”と言ってポーズ。”きっと誰かに里親になってもらえると祈りながらシャッターを切る>

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<「2017年の開校目指して頑張りましょう」と村長に言って、僕らは移動する>

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本題に入るまでがえらく長くなってしまい、

ほとんど「いわゆる”精神文化”における師弟とは、一体どのようなものか?」についての論になってしまった。

 

それに、内容が内容だけに、少々堅苦しい話にもなった。

なので、興味のある方のみご覧ください。

 

 

 

1) 人はどのようにしてお客様(神様)化するか?

 

曹洞宗の開祖である道元禅師に、「弟子は師匠以上になってから、はじめて弟子と言える」という言葉がある。

これはどういう意味なのだろう?

 

一般的に師匠とは教えを授ける者であり、弟子はそれを受ける者だ。

ここで僕が言っているのは、カルチャーカルチャーセンターの講師と生徒では無い。

 

また大学や専門学校のそれでもない。

 精神文化を伝え、伝えられる者同士の話だ。

 

お互いの身過ぎ世過ぎのために行っている教育では無い。

もし身過ぎ世過ぎのために教える行為が教育だと言うなら、それはもはや精神文化ではない。

経済活動=ビジネスである。

 

ビジネスなら、指導する側は自分の技術(あるいは心技)を買ってもらう側=商売人だ。

商売人にお客様を選ぶ権利はない。

 

選ぶ権利があるのは、常にお客様だ。

 お客様は、「私に対する扱いが悪い=サービスが悪い」とか、

「私はここが不満だ=教えるあなたは、私の不満を満たすべきである」

などと、文句を言うことができる。

 

あるいは指導する側に対して、

「そんな難しいことを要求しないでくれ。私ができる範囲のことだけ教えてくれ」

と言うこともできる。

 

何せビジネスである以上は、教わる側はサービスを売り、買う側は神様なのだ。

お客様としては、嫌になれば、「そんなら、こんなところ辞めてやる」とすれば済むのである。

 

実は、この消費者感覚ともいうべきお客様感覚は、人々の行動のあらゆるところに顔を出しているような気がしてならない。

だから学ぶ側は、「この学びを後世に伝えよう」などと考えることは、まずない。

 

自分の都合が良い範囲だけで関わろうとする。

 

だから、他に伝えることは、自分が引き受けるべき責任だ、などと思うこともない。

そしてこの精神態度が、仏教を含む様々な精神文化にまで入り込んで来ているのである。

 

実はこれ、スピリットにとっては致命的なことである。

霊的生命はこの精神態度いかんによっては、死滅するからだ。

 

意外に思うかも知れないが、学びを教えることがビジネス行為なのか、それとも精神文化を伝える行為なのかは、教える内容によるのではない。

指導する者と教わる者との相互の精神態度によるのである。

 

 これは、仏教であろうとタオ指圧であろうと、まったく同じことだ。

伝える者にも教わる者にも、後世に引き継いでいく者としての矜持や責任がなければ成立しない。

 

 後世に引き継ぐ矜持と覚悟とは、今まさに以心伝心に伝えられている場(道場=道の場=人々)に対する責任を

どこまで引き受けているかによるが、もしそれがなければ、学ぶ者はお客様(神様)化する危険をはらんでいる。

 

 2) ほとんどの人は、「学び」の何たるかを完全に誤解している

 

引き継がれない生命(いのち)は死滅する。

教えの根幹である霊的生命も同じだ。次代へ渡す責任を実践的に負う者がいなければ死ぬのだ。

 

そもそも、他に分かち合われない教えとは、スピリットが抜けて形骸化された文字が、個人個人の頭の中にあるだけに過ぎない。

 これは、一見学んだようでいて、実は何一つその学びは実を結んでいない、ということだ。

 

実は、「教えを受ける」とは、単に「教えてもらう」ことでも、知識や技術を記憶することでもない。

 

他にバトンを渡すこと。

 後世に想いを託して、同時代の他の人々に分かち合うために心を砕くこと。

学びとは、これの実践に他ならないのである。

 

そして行動の中に未来の原因を含まない現在は、やがて、ただの過去の記憶に過ぎなくなる。

 

仏教で「受持」というのは、教えを受け、それを自らの霊(たましい)に保つ(持つ)ことを言う。

 

教えを受ける、と言っても、単に文字の羅列を記憶の中に留めるだけでは、それは「教えを受ける」とは言わない。

教えとはスピリットのことだから、個人にとどまることはないからである。

 

「教え」とは霊的生命だから、そもそも、自分の中にとどまることなどできやしないのだ。

 真の学びとは「教えに生きること」であって、言葉を記憶し、動作を記憶通りにやることとは何の関係もない。

 

それにしても、とため息をつきたくなる。ほとんどの人は、「学び」の何たるかを完全に誤解している。

 

もし法然上人の「教え」を知りたければ、法然上人が、どのように教えを分かち合ったか、その行動を知ることである。

 

しかし、「知った」ことは知識を得たに過ぎないのだ。

それでは法然上人の教えを学んだとは言えないのである。

 

なぜなら、「教え」を学ぶとは、例えば、法然上人が修行したのと同じ気持ちで自分も修行し、法然上人が教えを他と分かち合ったように、自分も他と教えを分かち合うことだ。

 

それらの実践によって味わう、様々な労苦や喜びを体験することをこそ、「学び」と言うからだ。

そもそも、身をもって示された教えを実践せずして、何をもって「教えを学ぶ」と言うのであろうか?

 

教えは、他へに分かち合うための大河の一部となる者がいれば、、、すなわち、真に学んでいる者がいれば、その霊的本流は、生命を保つことができる。繰り返すが、仏教はこれを「受持」と呼ぶ。

 

自らが他に渡すパイプとなってこそ、常に新たな霊がたましいに入り、その命脈は保たれるからだ。

 

 3)宇宙大霊は、必ず霊的本流を受けるたましいを探し出す

 

道元禅師は、「たとえ七歳の女の子でも、自分の救いよりも、一切の幸福を優先させて修行すれば、世界の導師である」と述べた。

 

そして懐奘という素晴らしい弟子がその後を受け継いだ。

 

さて、ここでやっと本タイトルのブログの本題に入ることができる。

道元、親鸞、イエス、それぞれの言葉を見てみよう。

 

「弟子は師匠以上になってから、はじめて弟子と言える」(道元禅師)

 

「親鸞は弟子を一人も持たず」(親鸞上人)

 

「弟子が先生以上になる必要はない。先生と同じようになれば、それで十分である」

(イエス)



この3つは違うようでいて、実は同じことを言っている。

 

まず道元の言葉だが、彼の弟子の懐奘は、道元が自身の師匠である如浄の教えや他の人々を受持したように、道元の教えを受持した(学んだ)。

 

それは道元にとって無上の喜びだったろう。

 

だから道元にとって懐奘は、心の中で賛嘆の対象だったと思う。

 

そして道元はその想いを、「師匠以上」と表現したのである。

同時に、”懐奘こそは、本物の弟子だ”とも思ったのだ。

 

次に親鸞の言葉だが、これも本音は同じだ。

同じ受持をしたならば、それはもはや師弟という関係性を超えている。阿弥陀仏の本願が共に分かち合われたからだ。

 

「あなたは受持したんだから、もはや他の人にとっては師匠。僕と同じだよね」という想いを表現したのが上記の言葉だ。

 

もっとも親鸞の場合は、受持していない者に対する、もう1つの意味もあったと思う。

 

「受持していない人のことは、阿弥陀様に全面お任せしてるんだよね」、と。

いわば、突き放しとも、おおらかさとも取れる言葉なのである。

 

ではイエスの言葉はどうか?

人類のカルマを我が一身に受持した(責任を持って引き受けた)イエス。

他の苦しみを全て引き受け、無償の愛を与え続けたイエス。

 

まあ、これ以上はないほど、人々の存在に対する責任としての「受持」の見本を見せたんだから、

”私と同じになりなさい。それで十分だ”というイエスの気持ちもわかる。

 

この言葉には、厳しさと慈しみが満ち溢れている、と思う。

「私と同じになれよ。それができたら、心から賛嘆するよ」というイエスの声が聞こえてくるようだ。

 

イエスの弟子たちは誰も、イエスの生前には、その教えを受持しなかった。

皆、逃げた。そしてイエスは一人、苦しみの内に死んだ。

 

しかし宇宙大霊は、その霊的本流を受ける存在を求めてやまなかった。

だからイエスの死後、その本流を弟子たちのたましいに流した。

 

弟子 たちは、イエスと同じ磔刑を受けるなど、壮絶な受持を体現した。

この時、やっと彼らは弟子となったのだ。

、、、そしてイエスの教えは、2000年たった今も、人の心に残ることになった。

 

このように宇宙大霊は、必ず霊的本流を受けるたましいを探し出す。

どれほど時間がかかっても、だ。

 

例えば善導大師の教えが伝わったのは、500年後の法然上人に、だ。

ここで自分のことを言うのは手前味噌みたいで恐縮なんだが、僕が「経絡の証診断」に開眼したのも、増永静人先生が亡くなったのと、ほぼ同時だった。

 

ところで、僕としては、「弁栄上人の弟子です」だなんて、とてもおこがましくて言えないけれども、弁栄上人の遺言、「如来は在しますけど衆生は知らない。それを知らせに来たのが弁栄である」は、ずっと僕の人生を動かして来た。

 

それにしても凄いと思うのは、一遍上人である。

たしか、「一代の聖教尽き果てて、南無阿弥陀となりにける」というような言葉を残して、

自分が書いた物を全部燃やしてしまった。

 

弟子たちに絶望したんだろうか? 後世のことを考えなかったのだろうか? など色々と考えさせられるエピソードだ。

 

だが、仏教の終末観というものがある。

やがてこの世は、水、火、風などで滅びることになっているのだ。(生滅を繰り返すんだけど)

 だから今風に言えば、「どうせ地球だっていつかは消滅するんだからね」ということだろうか?

 

でもやはり最後は、「南無阿弥陀となりにけり」という言葉で結んでいるから、”南無阿弥陀さえ残れば、宇宙大霊がいつか必ず霊的本流を受持する人を見つけ出すに違いない”と思っていたのだろう。

 

まさに、「捨て果ててこそ」と説いた一遍上人ならではの言葉である。

 

最初から「弟子なんか一人もいない」と言ってのける親鸞も凄いが、

親鸞だって、さすがに「教行信証」はちゃんと残している。

 

最後に、こんなに長々と書いてしまったけど、簡単に言えば、”たとえ精神的なものにせよ、「もらう」のが弟子ではなく、師匠と同じように他に「与える」行為をするのが学びなんだから、それが弟子というものなんだろうな。”ということである。







 



 

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果たして自分がやって来たことには、どれほどの意味があったのだろうか?

そんなことを思うことが、最近ある。

、、、なのでこれは、オフィシャルなものではなく、問わず語りの独り言のようなもの。

あくまでも個人的な日記だと思って頂きたい。

 

渡されてしまった精神的文化遺産のバトン

 

昔の話で申し訳ないが、ある日を境に経絡の診断ができるようになって、指圧治療を始めるようになった。

それは、僕がまだ二十代半ば過ぎの頃だった。

 

思いがけず、増永靜人師が遺して下さった精神的文化遺産のバトンを、たった一人渡されてしまったのだ。

 

そのことに対する重責を感じないわけはなかった。

これを他に渡せるなら死んでも悔いはない、とまで思いつめていた時期もあった。

 

そのために人数の多少に関わらず、そっと呼吸するように、ずっと指圧を教え続けて来た。

 

他に選択肢はなかった

 

やがて経絡の診断治療には、どうしても心の転換が必要であることに気づいた。

それで「利他の実践」を、「道への献身」を説くようになった。

 

 こうして、単に教室で教えているだけでは済まなくなった。

 

このため僕がそれまで一人でやっていた、スリランカの井戸建設事業の寄付や、募金活動をすることを提案した。また、道を伝えるためのワークの実践を呼びかけた。

 

それは当初、人によっては大きな反発を持って迎えられた。

「金集めか?」と疑われ、影で「卑怯!」と言われた。「人集めをただで手伝わせるのか?」とまで思われたこともあった。

 

もちろん、それによって辞めていく人は少なからずいた。

しかし、僕は引かなかった。それは経絡を診断し治療ができるようになるには、利他や献身なくしてはあり得ないことが、自明だったからだ。

 

あくまでも僕は、増永先生の文化遺産の引き継ぎ人として教えていた。

だから、それ以外に伝える方法がないのであれば、他に選択肢はなかった。

 

いつでも問題はエゴにある

 

タオ指圧を教える一方で、僕は念仏の修行を一人で続けていた。

二十代前半、阿弥陀如来の大愛に心身のすべてが摂め取られ、救われるという体験をした。

このため僕は、”いつかこれを他の人と分かち合いたい”という願いを持ち続けていた。

 

ただし、指圧と念仏を同居させるという気はなかった。

しかし、それもやがては不可能になった。

 

なぜなら、経絡診断には「自他相対を超えた心の地平に立つ」必要があった。そのためには、念仏修行を説くしかなかったのだ。

もちろんこれに対しても、「そんなことしたくない」とか、「他の修行法でも良いではないか?」と反発する人がいた。

 

僕はこう答えるしかなかった。

「修行しなくても、あるいは他の修行法で、”自他相対の意識を超えることはできるかも知れません”。

しかし僕には、修行せずして、あるいは他の修行法で自他相対を超えた体験はありません。

自分が確証できないことは、お勧めすることはできません。」

 

しかし何よりも問題は、他の修行法を真剣に修行しているというわけでもないのに、それを理由に反発する、というエゴにあった。

そのエゴを指摘すると、その人は去って行った。

エゴが常にネックであった。

そして僕は、ここ十数年は、利他を勧め念仏を勧進し、ただ闇雲にそれに専念していた。

”それさえやっていれば、必ず経絡治療ができるようになるはずだ。”

そう願い、そう信じ、そう自分に言い聞かせつつ、ひたすら進めていたのだ。

 

みんなが他の人々に対して責任を持つこと

 

しかし何かが違った。

僕は何か大事なことを見落としていたのだ。

自分が願っていたことは、そこではなかったのだ。

それだけで真の経絡治療ができるようになる、というわけではなかった。

 

繰り返しになるが、僕が本当の意味でタオ指圧を学ぶ人に実践してもらいたかったのは、単にワークをし、念仏修行するだけではなかった。

それなのに、「それで十分なはずだ」と思い込んでいたのは、完全な誤解だった。

 

僕がセンターに来る人に願っていたのは、「他の人々に対して責任を持つこと」だったのだ。

一体、他の人々の何に責任を持つことなのか? 

幸せに、喜びに、明るい未来に、だ。

そうなれば、責任を持った本人にも幸せが、喜びが、明るい未来が来るのだ。

 

表現がややこしくて恐縮だが、さらに言うならば、僕は道場の修行者には

「”道場の みんなが、他の人の喜びに責任を持つ”ようになることに対する責任」を持ってもらいたかったのだ。

これは先ほどのとは、精神的にはさらに一段上ハードルが上がることだろう。

でも、そうなれば幸せ、喜び、明るい未来の「無限連鎖」が生まれるのだ。

そこには、誰が上でも下でもない世界が開かれるんだ。

 

僕が本当に願っていたのはそこだった。

そのため僕は、そのモデルとなるべく行動をして来た、、、つもりだった。

 

モデルとなるべく行動で出していたメッセージ

 

だから、みんなが楽しくあるように、喜んでいるように、と願って実践して来たのは、それを与えること自体が目的ではなかった。

 

それを与える人になってもらいたい、がためだった。

もっと言えば、「それらを与える人を育てる人」になってもらうことが目的だったのだ。

 

僕はモデルとしての行動をすることで、無意識に、ずっとそのメッセージを出し続けて来たつもりだった。

 

ほら、こんな風に人には接してくださいね。

こんな風に人を大事にしてくださいね。

こんな風に人を気遣ってくださいね。

こんな風に人の幸せに責任を持ってくださいね。

 

一人一人に、そう無意識に話しかけながら接して来た、つもりだった。

しかし果たして、それがちゃんと伝わっているのかが、甚だ心もとなくなって来た。

 

僕のメッセージが伝らなかった人(行動が変わらない人)に、

これから僕はどう接して行ったらいいのだろう、、、。

 

 

心の中で言い続けていた

 

繰り返しになって申し訳ないが、僕は、サンガの場が楽しく有意義になることに責任を持ってきたつもりだった。

それは、みんなも同じような気持ちになり、同じような行動をするように、責任を持って人を大事にしてもらうことが目的だった。

 

しかし、自分が大事にされることの楽さに慣れてしまう人がいる。

そして、自分は無責任でも良いとしてしまう。

 

再び繰り返しになるのだが、僕は単に、サンガの場に責任を持て、と言っているのではなかった。

これよりもさらに、一段ハードルが上のことだった。

 

「みんなが責任を持って、サンガの場を楽しく有意義にすること」、

このことに対しての責任を持って欲しい、とそう心の中で言い続けていたのだ。

 

道や法には、献身か利用か? そのどちらかしかない

 

これまで幾多の精神運動は、一人とその周囲のわずか人たちだけが人々に責任を持ち、

その他、大勢の人たちは、そのエネルギーを利用することで成り立たせて来た。

 

そして精神的なムーブメントは、例外なく、精神的支柱の人たちがなくなったら汚れた。

それは当たり前だ。

 

純粋で献身的に受持する数名に、みんながエネルギーをタカっていたに過ぎないからである。

 

これはタオサンガも例外ではない。

だから受持し、献身する人がいなくなれば、たちどころに砂漠となる。

それは想像するだけで、吐き気のするような気の状態であろう。

 

それはそうだ。

道や法には、献身か利用か? そのどちらかしかないのだ。

 

だから責任を持って受持すれば、宇宙大霊の光が宿り、

責任を持たず、受持しなければカルマ(邪気)が宿る。

 

受持する人がいなければ、タオサンガには邪気が宿ることは間違いない。

というよりは、タオサンガは如来の光は、受持する人の中にしか存在しない。

 

そんなことを考えると、一体自分は何をピエロみたいなことをやって来たんだろう?

こんなこといつまでも続けていても、果たして意味があるんだろうか? 

受持している些少な人にも、大変な役割を負わせてしまって申し訳ない、、。

などと、一瞬思ったりもする。

 

一体、何人の人が場を受持するようになったんだろう

 

「<気と経絡>癒しの指圧法」で僕は、共感的想像について説いた。

これは指圧というより、日常の心のあり方だ。何よりも、コミュニケーションの場においてのことだ。

 

だからタオ指圧を学ぶ人は、コミュニケーションの場では、いつも共感的想像の心境になってお互いを思いやるものだ、と思っていた。

 

”みんながそうなることに責任を持つものだよね。だって普通そうでしょ?”と思っていた。

しかしよくよく見回してみたら、一体、何人の人が、コミュニケーションの場を受持するようになったんだろう、、、。

 

PS.

 いつでもすべてを捨てられるように生きていることは、常に僕の矜持であり、また安らぎでもある。

 

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 エルサレムで自宅軟禁されているバヌヌから、フェイスブックの友達リクエストが来た。

彼はイスラエルの元核兵器開発エンジニアで、イスラエルの核兵器開発の詳細を、イギリスの新聞に内部告発した人間である。(←勇気あるよなー)

390-21

バヌヌ

その後、バヌヌはイギリスのホテルのバーで美人に誘われてついていったところ、気がついたらローマからイスラエルに向かう船の中で拘束されていたそうだ。

ようするにその美人は、モサド(イスラエルの秘密警察)の諜報員。

彼は色仕掛けに引っかかったのである。(←ああ、男ってバカ!)

 そしてイスラエルで、国家反逆罪か何かの罪状で、18年の獄中生活を強いられる。(←人間の良心に従った結果がこれだ)

 独房での重禁固は11年以上にも及び、これはギネスに認定されているそうである、、、。

 ヴァヌヌは今も尚、エルサレムで自宅軟禁中の身である。アメリカに弟がいるそうで、イスラエルから脱出したがっている。しかし、海外に出ることはできない。

現在も、モサドの監視下にあり、ジャーナリストと会うことは禁止されていおり、実際、ジャーナリストと会った罪で何度か逮捕されている。

(モサドの恐ろしさは、ナチスの秘密警察ゲシュタポに匹敵する。拉致、監禁、暗殺、拷問、なんでもござれである)

 バヌヌは。アムネスティー・インターナショナルより「良心の囚人」として認定された。

ノーベル平和賞の候補にも推薦されていた。ライト・ライブリフッド賞を初め、様々な市民団体や個人からの平和賞も受けている。

 興味深いのは、バヌヌがアル・ハヤト紙で、ケネディ大統領暗殺事件にイスラエルが深く関与していたことを告発したことだ。

ケネディ暗殺は、バヌヌが核開発していたディモナ原子力発電所の視察を恐れたベン=グリオン政権の指示によるものだった、そうだ。

 実はバヌヌとは、以前、密かにメールで2、3度やり取りしたことがあった。しかし会いに行ったことはなかった。

会えば僕もブラックリストに乗り、イスラエル入国が面倒になる可能性を考えたからだ。

 

果たして僕は、バヌヌからのリクエストに応じるべきだろうか?

 どーせ僕は、2、3日経ったら、”保身に走るのはかっこ悪いじゃん”とか一人ごちて、リクエストに応じるだろう。人間としての良心に従った彼の勇気ある行動に敬意を表して、、、。

だけど、2、3日は普通の人の顔みたいに、知らん顔もしてみたい、、、。

 まあ、そんなもんだ。

これで僕も晴れてブラックリスト入りというわけである。なので、これで安心して(←何がだ!)バヌヌに会いに行くことができる。世界の裏の話も色々聞けるに違いない。

(東エルサレムの地下には、近辺にあるすべてのPCにハッキングして、オンラインデータを読み込むことができるセンターがあるそうだ。フェイスブックの友人など、いくら非公開にしても、簡単に見ることができる、とのこと)

 

安倍政権は、イスラエルと軍事協定か何かを結んだようだから、僕は安倍政権にも睨まれるかも知れない。

なので、良い子のみなさんは、僕に近づかないように注意しましょう。

お母さんに「あんな子と遊んじゃいけません」って叱られるかも知れませんよ。

 

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まだ胸が痛かった。

僕は悲しいのだろうか?

存在していることが辛いのだろうか?

何がどうなったら僕は満たされるのだろうか?

あの18歳のときのように、世界のすべてが光と化したような演奏ができたら、満たされるのだろうか?

僕の創ったゲームでみんなが楽しく遊んだら、満たされるのだろうか?

やがて人間界を去ったら、満たされるのだろうか?

みんなが念仏して悟ったら、満たされるのだろうか?

僕などまるで関係ないところでみんなが幸せだったら、満たされるのだろうか?

ふと、そんなことを思って、広島の空を見上げた。

2016-11-24 17.20.13

 

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 今日、市電の中で、「小銭が必要でしょう」と言って、まひろさんが160円を渡してくれた。

感謝してそれを受け取った僕は驚いた。

手のひらの中の小銭が温かったからだ。

お金をこんなに温かいと感じたことはなかった。

ああ、そうか、と僕は気がついた。

お金って、渡す人の気持ち次第で、エネルギーが変わるものだったんだ、、、。

これからは僕も、お金を払う時には、人に温かいお金を渡すようにしよう、と思った。

、、、一つ賢くなった気がした四国での話。

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やがて沈みゆく夕日に追われながら、誰もいない湖畔の道を一人自転車を走らせている。

人間でいるということは、何かの罰ゲームなんだろうか、とふと思った。

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 それほど僕の心は苦しかった。

毎年、この季節になると、こうして僕は精神を病む。

 胸に十数本もの針が射し込まれたかのように胸が痛くなるのだ。

 思考だってまともではなくなる。つい、人間関係だって破壊したくなる。

 かなり前までは、きっとこれは自分に原因があるのだろうと思い、自分の修行の拙さを指摘されているような気がして、恥ずかしかった。

 だが最近になって思った。

毎年、この季節になると、世の中の悲しみが自分の心のどこかに入って来てしまうんだ。

 だから、わけもなく苦しんでいる人に対して、僕は言って上げたくなる。

あなたの苦しみの原因は、あなた自身にあるのではない。世の中の苦しみが入って来ているせいなんだよ、と。

 「衆生病むが故に我病む」というのは、維摩経に出て来る維摩居士の言葉。

だが、これは、維摩居士のような立派な人でなくても、とても身近なところで、みんなに起こっていることなんだ、と思った。

 もっとも、だからと言って、胸の痛みが収まるわけではないし、理由なく辛い想いの中にいる自分を卑下する心がなくなる、というわけではない。

 なにしろ、“他のみんなと同じようではない”というのは、心にどこか引け目を感じるものなんだ。

 きっと子供の頃からなんだと思う。僕は毎年この季節に、この世やあの世に住む霊たちの悲しみが、心のどこかに入って来てしまうようだった。

 そして今。気がついたら、まるで17歳の秋から一瞬にして今にタイムスリップしたかのような感覚にとらわれた。最近までの記憶は曖昧なままだ。

 悲しみに耐え、風に向って自転車を走らせながら、「まっすぐな道でさみしい」と歌った山頭火は、こんな気持に駆り立てられて、独り、旅を続けていたのだろうか、と思った。

注:山頭火(1882〜1939) 放浪の俳人。

「無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたような一生だった」山頭火は晩年の日記にそう記した。その時には、すでに無一文の乞食であった。その境遇は山頭火自らが望んだものだったが、乞食に落ちぶれた後、克明な日記をつけ続けた。しかし山頭火は、いかに親しい友人にもその胸中は見せなかった」(ウイキペディアより)

 さらにふっと気づいたことがある。それは僕の極端なまでの楽天性や、それこそ、あっ!と言うまに歓喜あふれたような状態になる能天気さは、毎年秋になってやって来る、この胸の痛みに支えられているのだ、と。

きっと、この苦しさが毎年ある限り、僕の人生は青春なんだろう、とそんなことを思った。

 

 

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(1)

ピースサイクルで出発し、台風の中をくぐり抜け、3日後に浜松に到着。

アースキャラバン浜松で、ステージを務めた。

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その後、ピースサイクルは、東京から来た、司令塔のミクさん、ユッキー、コアラさんの3人に任せた。

そして2日後には、アースキャラバン東京である。金曜日から準備を手伝う。

土日2日間の大きなイベントである。

朝早くから準備をし、その後は一日中、ずーっと会場内でワーク。

(と言っても、基本ウロウロしているだけ。あっ、スタッフのおにぎりとか買いに行ったりはしていたな、、、)

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<アミナダブで、ステージを勤めた>

翌日は、後片付け(これは大仕事!)を手伝ってから京都に帰る。

すると何と! その日にはイスラエルから来たアビが関空に到着したではないか!

なぜなら、10月6日から何と!20日間に亘って、世界各地からタオサンガ・メンバーが日本での修行に集まってくることになっているのだ。ああ、無情!

(2)

僕はすっかり「時間」の概念を含む、諸々の状況を舐めていたことに気づいた。

“アースキャラバン東京から「海外メンバー修行講習」が開始までは数日あるから、その間休めば良いだろう、、、”なんて思っていたのだ。

しかしそれは、全くの希望的観測に過ぎなかったのだ。開始の数日前から、“日本、初めてでーす”の人たちが、続々とやって来たのである。> <)

そしてみんな、“センターまで来れば、後はなんとかなる”と思っている。(こっちもそう思っていたので文句も言えない、、、)

僕は何度も、センターのドアの前で待っているメンバーを迎えに行かなければならなかった。

「せめて数日、いや一日だけで良いから休暇を、、、」という僕のはかない夢は、こうして完全に打ち砕かれたのである。

これはまゆさんという人も同じようなものだった。

というのは、「のべ20数名の人たちを全部センターに泊めるのは、かわいそうだ」と彼女はそう主張し、何とかしようとしていたからである。

なので、家をどうしよう?と考えていた。

そうしたら救世主が現れた。一人はえい子さん。広い自宅をみんなのために解放してくれたのだ。

これは感謝の他に、言葉がなかった。

もう一人は、ゆあさん。

彼女の口ききで、一ヶ月間の短期契約で、大きな一軒家(通称・五条ハウス)が借りられることになり、基本的には誰もセンターに泊まらずに過ごせることになった。

ただし五条ハウスは、大掃除を一日がかりで3、4日間もの間、行わなければならかった。

これは、京都メンバーの4人(ほうき、しゅんやさん、みおさん、あすなさん)に手伝ってもらったのだが、みんなの食事をどうするか?とか等、様々なことをクリアする必要があった。

その辺の采配は僕にはとても無理だったので、これらもまゆさんという人にやってもらった。

イスラエルのアビを皮切りに、アメリカからカナダから、オーストリアから、イタリアから、イスラエルからと、続々世界各地からメンバーたちは到着し、僕は次々と2軒の家に振っては送り届けていった。

(カナダのジニーなどは、えいこさんが京都駅まで迎えに行ってくれた)

なので、予定のワークショップは始まっていなくても、みんな夕方にはセンターにやって来る。

まゆさんからは「センターにみんな来て待っているわよ」と電話がかかって来る。

「“みんな待っているわよ”と言われたって、どうしたら良いんだよ、、、。」

結局、僕もセンターに行って、念仏ワークショップらしきものをしたり、食事に連れて行ったりしていた。

なので始まる前日、すでに僕は疲労困憊していた。あっちゃー!

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(3)

こんな状態の中で、「タオサンガ・京都国際ワークショップ」(と呼んで良いのかどうかはわからないが)は10月6日に始まった。

朝から一日中、念仏の行法に関するワークショップで、夜にはみんなを湯豆腐の店に連れて行った。

もはや、疲労だのナンダのと言っている場合ではない。

一瞬たりとも手抜きしない。

こうなったら、もう全力でやるっきゃないのだ。

翌日からのスケジュールは、みんなで4日間、長野県の山寺に籠ることになっている。

一日12時間ぶっ通しで音楽念仏を唱える「念仏ハイ!」である。

しかし参加人数を考えると卒倒ものだった。

日本各地から来るメンバーを加えると全部で60名以上になり、完全に寺のキャパを超えていたのだ。

ここまで来ると、さすがにもう笑うしかない。

 “えーい、もう、とことんやってやろうじゃないか!”という感じの僕でもあった。

現地との折衝や宿泊などの諸々は、まさとさんがやってくれて(これも僕には無理)、食事の采配はまゆさんで、さんのさんがバックアップという布陣である。

そして翌日の10月7日。一行は、長野県の山寺へと向かった。マジカルミステリー・ツアーの始まりである。

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<ビバ! 念仏ハイ!> (←一体、なんのこっちゃ?)

<続く>

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ブログ、ちょっと寄り道して、こんなことを書いてみた。

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カップル・家族についての考察

-自己完結カップルが無意識に作る優先順位-

 

 

一体なぜだろう?

見ていて微笑ましく感じるカップルがいる一方、なんだか居心地悪く感じるカップルもいるのは?

 

これはずっと以前から(実は子供の頃から“家族について”)思っていたことである。

一体両者の違いは何なのか?、と。

 

それで最近になって、あることをきっかけにこの問題について言語化してみることにした。

 

(1)

まず、「見ていたら微笑ましいだろうな」と感じるカップルの例を上げてみることにしよう。

 

僕的には、漫画「美味しんぼ」に出てくる山岡と栗田さんのカップルである。

彼らは微笑ましいのだ。

 

 作者が意図して、微笑ましく感じられるカップル・キャラを創っている、とすら感じるほどである。

 

とにかく彼らのカップルとしての行動やただずまいに、僕は「安心感」を覚える。

それらがどんな行動かと言えば、、、例えば、彼らはよく一緒に人助けをする。

 

家出少女を自宅にかくまったりすることもあった。

また、田舎から出てきて東京で迷子になった老婆を山岡が背負い、栗田さんが荷物を持って自宅に連れて来たこともあった。

 

一体これのどこに僕は微笑ましさ、乃至安心感を覚えるのだろうか?

これを考えている内に、山岡と栗田さんが、「人間の優先順位を、自分たちカップル中心に置いていない」ということに気づいた。

 

“私の彼氏が第一、僕の彼女が第一ですぅ”、とはなっていないのである。

つまり彼らは、「自分たちの中に、他の様々な人たちを入れている目線」を持っている。

 

カップル・エゴに陥っていないのだ。

だから観ていて微笑ましく感じるのである。

 

(2)

しかし普通のカップルは、なかなかこうはならない。

カップル・エゴに陥って、優先順位を2人に置いてしまう。

 

そして他の人は、「自分たち以外の人」となる。

2人だけで自己完結し、開かれた関係性が消失するのだ。

 

でも山岡と栗田さんはそうではない。

 家出少女を自宅にかくまう。

 

カップル・エゴに陥らず、家出少女を含めた3人を平等に、

大切な存在として扱っている。

 

迷子になった老婆を、2人して自宅に連れて来ることも同様である。

むしろカップルになったことによって、

さらに利他が広がっているのである。

 

こういうカップルならば、見ていても微笑ましい。

 

(3)

残念ながら、ほとんどのカップルは、カップルとして成立した途端、

自分たち以外の人間の優先順位を下位に置くようになる。(無意識に)

 

そして第三者は、2人によって自分は、優先順位の下位に置かれたことを、

無意識レベルで察知するのだ。

 

だから一緒にいても、なんだか居心地が悪く感じる。

自分は蚊帳の外に置かれたような、疎外感を覚えるからである。

 

(4)

大昔の話で大変恐縮だが、「2人のために世界はあるの〜♩」という歌謡曲が流行ったことがある。

そんなモードになってしまったら、カップルと言っても、それは自己愛の変形に過ぎない。

 

カップルはやがて家族になる可能性を持っているが、家族になってもその延長に過ぎない。

家族愛と言っても、そこにあるのは2人だけ、あるいは家族だけに限定した利他である。

 

自己完結的に閉鎖された、自己愛が変形した家族愛。

だから家族自慢が聞くに耐えないのだ)

 

それは言ってみれば、家族カルトみたいなもの。

他者が居心地悪く感じるのは当然である。

 

このことは、先に述べたように、子供の頃からいろんな家族に感じていたことだ。

(Facebookには、そんな投稿が満載されている)

 

(5)

カップルや家族が、自分たち以外の人間を優先順位の下位に置かないとすれば、

それは、よほどそうならないように意識して、強い意志をもって自分たちを律した結果であろう。

 

しかし実はこれって、本当はどんなことがあっても、やらなければならないことなんだ。

なぜなら、自分たちだけで自己完結してる自己愛カップルや家族は、

真に他者を思いやることができない。

 

だから、たとえ頭の中は「私たち幸福ですぅ」であっても、

心の底から生まれる真の幸福感には至らない。

 

またカルマ的には、いずれ現象として、いろいろと大変なことが起こって来る可能性だって、

十分に考えられるのである。

 

僕が正月をキライなのも、きっとこの辺に理由があったんだな。

正月に、他者を優先順位の下位に置く自己完結カップルや、

家族を観るのがイヤだったんだ。

 

ブログ参照

http://endo-ryokyu.com/blog/?p=873

 

追記1

結婚式にはあまり行く機会がないのだが、「私たち幸せになりますぅ、祝福してくださいねぇ〜」モードを観たら、自分の無意識はついて行けないだろうなぁ、とも思う。

 

「皆さんのお陰で結婚できました。ありがとうございます。これからは皆さんから頂いたご恩を、他の人たちに一生懸命お返しして行きます」

         ↑

“こんな風に、感謝と利他の宣言するんじゃないのかよ〜”と、無意識内でツッコミ入れたくなっちゃうかも知れないしなあ、、、。

(もちろん無意識なので、決して口にはしないし、意識にも登らせないように自己制御するだろうけど) ^ ^

 

追記2

 

カップルや家族だけでなく、人の集まりや団体なんかも同じですね。(←引用)

昔から、自己完結した自己愛的な集団には、どうしてもついて行けない。(もちろん個人にも)

 

 

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