悟りを求める人口1%のあなたに(5)

これは、考えてみたら当たり前のことだった。というのは、私どもの道場に来て修行に参加者には、たいてい妙な現象が起きるのだ。

妙な現象というのは、修行に参加した当初は、本人自身も気づかなかったような才能や素晴らしい性格が顕れる。それで本人も周囲も、とても喜ぶ。

ところが、”ヨカッたヨカッた!”なんて喜んでいると、いつの間にか、突如として、逆に我(エゴ)が強くなるという現象が起こるのだ。

私が十代の後半から数年間、通っていた道場ではこの現象を、”業障(ごっしょう)が出る”と呼んでいた。過去世の業が出てくる、と説明していた。

スピ系用語で納得するのは私の好みではない。そこでで、”一体、この現象は何なんや?”(妙に関西弁になる)と考えていた。

ところで、僕ら(メモ:ここから”僕”を使ってみる。”僕”か”私”のどちらを使うかは、あとで決める)の道場では、「相手にとって、自由が約束された空間と共感を与える」ことを基本においている。

これは僕が、”人の自由を奪う分だけ、自分は不自由になる”と信じているからだ。(要は、僕が自由を失いたくないからである)

そして共感は、人間が精神的に豊かに生きるためには、最も必要なものだ、とも信じている。(ただ気がついたら、先の基本は、臨床心理カウンセリングの基本でもあった)

そこで僕は、修行参加者の我(エゴ)が出て来るのは、心理臨床と同じ現象が起こるからではないか? と考えた。

ご存知の方もいらっしゃると思うが、心理臨床カウンセラーは、共感しながらクライアントの話を聞くことが基本だ。(この基本ができていないカウンセラーもよくいるんだけど^^;)

心理カウンセリングの現場では、臨床が始まって何ヶ月か後には、クライアントがカウンセラーに対して、妙にネガティブになったり、また腹を立てたりする、という現象が起きる。

これは転移によるものだ。親のイメージを、無意識にカウンセラーに投影する時期が来るのである。

クライアントが子供の頃に抑圧した、両親への怒りの感情などを、カウンセラーにぶつけ出すのである。(自由を約束された共感的な空間では、無意識が暴れ出すのだ)

カウンセラーとしては、自分がひたすら共感し、理解に努めていた相手から疑われたり、怒りをぶつけられたりするのだから大変だ。(”一体僕の何が悪かったの?”とでも言いたくなるだろう)

しかし、その時期を経ないとクライアントの心理的な問題が解決しないことが多い。なにせクライアントは、両親に対する感情の抑圧が始まった時期からの”育ち直し”をしているのである。

だからカウンセラーは、クライアントのネガティブな感情も受け止めていかなくてはならない。

もっとも、クライアントの中には、いつまでも投影を卒業できない人がいる。その結果、疑問や怒り(あるいは被害者意識)を抱いたまま、カウンセリングをやめてしまうことも、ままあることだと思う。

※写真は、臨床心理の基礎を創った、カール・ロジャース

 

 

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