2016/06/11 Categories: 未分類

1)いたずらっ子は戦争ゲームを創る

「人と人がお互い何の負担もなく付き合えるとしたら、それはお互い心の中に住んでいる子供の部分で繋がる以外にはないんだ。

子供と言っても大人の言うことを素直に聞くような良い子ちゃんではダメだぜ。

世間がどう思うかなんていうのは歯牙にもかけない、いたずらっこでなきゃダメなんだよ。」

上記のような想いをこめて、僕が十年かけて創り上げた戦略ゲームが、「チャトランガ」である。

僕としては、その人に地位があろうとなかろうと、その人がどこのパスポートを持っていようと、また、その人の身体に障害があろうとなかろうと、社会的な垣根を飛び越えて、人と人が付き合えるようになるのが、チャトランガだと思っている。(実際そうなんですよ〜)

 写真.keito playJPG

<大人と子どもの垣根を超えて遊ぶ。at 被災地で>

2)お小言はあっかんべーで返す

いたずらっ子は戦争ゴッコが好きだった。それで、考案したのは戦場をテーマにした戦略ゲームだった。だが、なぜか結果的には、平和的な深い意味を持つゲームになった。

もっともこれまでは、盤とコマの「見てくれ」だけみて、”戦争ゲームなんてけしからん!”と顔をしかめる人もいた。

そのたびに僕は、“戦争ゲーム=悪と頭から決めつけないで、子どものように遊んだら良いのにな”と思っていた。また、”そんなら、人同士がもっと仲良くなれるものを持って来てよー”とも言いたくなった。

でもまあ基本、そんな大人(またはクラスの風紀委員的な良い子ちゃん)のお小言は、”あっかんべー”で僕は返して来たのだ。それこそ、上記に書いた「いたずらっ子」の真骨頂だもんな。

 3)カナダでもみんなで遊んだ

このゲームがもたらすコミュニケーション効果や、人生戦略トレーニング効果、また、背後にある仏教の哲理などを理解してくれる人が、なんと国際的にも増えてきた。

おお! たとえ”戦争ゲームなんて!”と人に白い目で見られようと、意に介さずライフワークとしてコツコツとやって来たかいがあったぜい。

今回のカナダでは、念仏会やタオ指圧ワークショップに参加したほとんどの人が、夜はゲームを楽しんで和気あいあいの時を過ごした、

ゲームで人と人が楽しくつながっていく状況って、見ていてすごくホッとする。孤独な人を見るのが僕はイヤなんだ。

チャトランガは「戦争ゲーム」なのに、否定論者が期待(懸念?)するような暴力的な空気には決してならない。

大会にはいつもめちゃくちゃ平和でユーモラスな空気に満ちていて、どこもかしこも笑い声ばかり。僕はそんな空間がとても好きだ。

 

<トロント・チャトランガ大会>

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 ジュリーとカナダ在住、水愛(みいあ)さんの対戦。

真ん中にいるジニーは、チャトランガが「戦争ゲーム」ということで以前はやりたがらなかったが、やっとこのゲームが持つ意味の深さが理解できた様で、楽しんで対戦するようになった・

 

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途中、チャンピオン高山ほうきのアドバイスが入った様子。(←おい、いいのか?)

ca 2

<緑3−赤3という最高のサイコロが出て喜ぶアドバイザーか?>

ca 5,

<どうやら勝った様子である>

その他、モンテリオールから来た、フィリップとエリヤスなどは、2人とも、じーっと長考ばかりしていた。

2人とも念仏も熱心で、エリヤスはレバノン出身だそうだ。それにしても、いつまでも仲良くじーっと長考を続けている2人だった。

何だか僕は、日向ぼっこしている2匹のカメを見ているような気がした。そこの”戦場”には、とても平和な空気が漂っていた。

(今思うと、平和な2匹のカメたちの日向ぼっこ写真を撮らなかったのが残念至極である)

2人ともとても良い奴らである。

チャトランガやる人に悪い奴はいない、というのが、今のところ僕の持論である。

チャトランガ・プレイヤーに幸あれ!