(1)

今日からやっと休暇らしきものが取れる、、、。

昨日まで、まるで激戦地で闘っている兵士のような状態が続いていた。

 にも関わらず、いろいろな依頼や相談案件などが入って来る。

それにほとほと参って、思わずSNSに

「疲れすぎて風呂に入れなかったのも、疲れすぎて指圧を受けられなかったのも、疲れすぎて身体が痛くなったりしたのも、今回が初めての体験だった。」

などと投稿してしまった。

 実は、そんなプライベートなことをSNSに書くのは、自分のポリシーに反する。

それに自分の状況なんて、東部戦線にいたドイツ軍兵士や、南方にいた日本軍兵士に比べたら、まるで楽園のようなものだ。(←と言い聞かせながら、がんばっていたんだよね)

 ということで、今は京都近郊を自転車で走っているところ。

「溜まっている心身の疲労を、純粋な肉体疲労に置き換えることで速やかに解消しよう」というわけの分からない作戦なのである。

 

(2)

さて、ずーっと続いていた激動の活動を少しここで振り返ってみよう。

中東に行ったのが七月下旬。最初は、テルアビブで何と!ワークショップをやっている自分がいた。

アースキャラバン中というこの忙しい時に、ワークショップなんてする頭がよくあったもんだ、と我ながら思う。

でも、イスラエル入国をスムーズにするためには、ワークショップが一番楽なんですよね。(まあ、それだけ、っていうわけでは、もちろんないんだけど)

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<テルアビブ・念仏ワークショップでは、バリバリ・ユダヤ教の人にも念仏やらせちゃうのだ。この際、ユーモアがあれば、何だって可能である>

 

 ところで先に「この忙しい時に」と述べたのは、アースキャラバン中東のプログラムも、僕が諸々引き受けていたからである。

 このため、日本や海外からの30人の参加者のバス、ホテル、ツアーなど様々な折衝を現地でしていたというわけ。

僕は何を隠そう、ボランティア旅行代理店を兼ねていたのだ。(もちろんメンバーのあいきさんのサポートは絶大。大感謝である)

 

(3)

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難民キャンプの入り口。パレスチナ人に自動車を使わせないように、イスラエル軍がコンクリートを置いているのが悲しい。

(単なるイジメのためなので)

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難民キャンプの子供達(知的障害辞児の施設)

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 <癒されやのは、われわれの方であった>

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 <罪のないパレスチナ人の大勢の子供達が、イスラエル軍の刑務所に何年も拘束されている。写真は、子どものことを想って涙を流すお母さん>

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<話を聴いて涙ぐむ>

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<慰めようもなく、思わず抱擁する、、、>

 

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<それでも笑おう!>

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<希望を失わずに、、、>

 

(4)

ツアー・コーディネーターの上、僕にはベツレヘム・フェスティバルでは2回のLIVE演奏もあった。

音楽の時は頭のネジが完全に入れ替わってオカしい人になっている僕、、、。

そんな中で、諸々のコーディネートをしているので、「我ながらよく気が狂わないな」と思わず阿弥陀さまに感謝したのである。

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右側は司会の純さんで、イタリア在住のサンガメンバーである。さすが女優をしているだけあって,司会が上手い。

右はわが友エリヤス。

彼は外国人向けの指圧のワークショップがあれば、日本まで来るとのことだった。

エイリアスはクリスチャンのパレスチナ人。

なので、「仏教を基本にした指圧だけど大丈夫?」と聞いたら、「そういうのを学びたい!」とのこと。

エリヤスは人当たりがよく、優しい人間である。

僕は彼のことを、“女性のわがままを何でも聞いてくれそうな奴”と密かに称している。

 

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<アミナダブ>

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BE FREE PALESTINE! (パレスチナに自由を!)をみんなで歌う

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<ステージに駆けつけてくれたベツレヘム副市長と握手>

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<8月6日の広島の日のステージで行った種を植える儀式>

アースキャラバンのコーディネートで、70年前の原爆で生残った樹(被爆樹)の種が、広島のグリーンレガシーから届いた。

それを植える儀式をステージで行った。

国連の人や日本大使館の人等もステージに来てもらった。

一番左は、植物園も運営するベツレヘム大学のマージン教授。

アースキャラバンとベツレヘム・フェスティバルを繋げてくれた恩人である。

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<原爆の残り火「平和の火」が、フェスの主催者に渡される。

右側はまゆさんで、そのまた右側が国連に勤める清田先生である>

(5)

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写真は、アースキャラバン最終日に行った「異宗教合同のピースウォーク」

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これ(上の写真)やらせたユダヤ教のラビに「ちょっとこれ、幼稚園みたいで恥ずかしいんですけど、、、」と言いたくなるのを必死に我慢している自分がいた。

 

(6)

中東最後の日は、テルアビブでイスラエル・サンガの念仏会を行った。

出国しても日本にはすぐには帰らず、タイで途中下車し、やっと数日をビーチで過ごした。

その後、まゆさんが日本に帰っても、僕は一人居残り、引き籠もって、誰とも口をきかない数日を過ごした。

 

そして「あーあー、もう帰んなきゃならないのかぁ、、、」とぶつくさ言いながら帰国。

東京でタオ指圧のクラスや法話などを2日間、勤めた。

 

(7)

、、、帰国して1週間ぐらいたったら驚いた。

ピースサイクル(原爆の残り火である「平和の火」を、京都から東京まで自転車で持っていく)の出発日が、3日後に近づいているではないか!

 

僕は京都から出発し、自転車で走ることになっていたのだ、、、。

 これは自分から言い出したこと。

とはいえ、まったく慌ただしい限りである。

”まるで台風の中を生きているようだな”と思ったら、本当に台風まで近づいて来るではないか!

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<というわけで、雨降る知恩院をピースサイクルが、9月14日に出発>

 

僕は走る気満々であったが、同じく走る気満々のあすな嬢が現れた。(ライバル出現である)

というわけで出発時の自転車は、彼女に譲り、僕はサポートカー役を勤めることになったけど、

まあいいや、後で走ってやるぜい! と出発。

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 <「ふむふむ。なかなか決まっておるな。」←これはライバル心むき出しの僕のセリフである>

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<2人が自転車で走っているのを一人サポートカーで走るというのは、かなりマヌケな役割であった>

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<ようやく来た出番>

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<雨の中をひたすら走る>

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<「台風だぜ、ひゃっほう!」と言って走る>

「ちょっと前までは、中東で汗だくだったのになあ、、、。」と思わないでもなかったけど。

そしてこれからさらに、まだまだ激戦が続くのだ。

、、、というわけで<続く>

 

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「人生に疲れた人は私のもとに来なさい。休ませてあげよう、あなたを」

これは、聖書に出てくるイエス・キリストの言葉である。

イエスは常に、人の悲しみに寄り添い、そして一度人生を横切った人の苦しみは、生涯背負い続けた。

今度は仏教に目を転じてみよう。

菩薩とは、どんな人のことを言うのだろうか?

経典に説いている。「生きとし生けるものを、自らの荷物のように背負う。(群生を荷負し、己れが重担と為す)者が菩薩である」、と。

人は菩薩やイエスのような、慈しみの心を示す行為に、心打たれる。

なぜなら、自らの損得を超えて、他者を思いやる慈しみの心の背後に、神や仏が存在していることを感じ取るからだ。

“何としてでも神・仏の存在に気づいて欲しい。”

そう思う僕は、菩薩的生き方を志すのがタオサンガだ、と思っている。

そして生きている内に、一人でも多くの菩薩たちに出会いたい。

そう、心から願っている。

自らを犠牲にしてでも、人の為に生きたいという欲求。

イエス・菩薩のような利他の欲求を、人は必ず内在していると信じているからだ。

ただ、時々思う。

どうして、他のために尽くしたいと思う、イエス的/菩薩的な利他の欲求が明確な人と、そうでない人がいるのだろう?、と。

もちろん一般的な風潮は違う。

自己犠牲を厭い、自らの安楽を選ぶのは、普通の生き方なのかも知れない。

もちろん、自分が楽する方を選んだ人は、得したように見える。

しかし、そんな行為に感動する人はいるだろうか?

それはかっこいい生き方だろうか?

それは美しいだろうか?

その行為の背後に、宇宙大霊の実在を予感する人はいるだろうか?

私たちは、得をするより、楽をするよりも、

かっこよく、気高く、そして美しく、ありたいと思うべきではないのか?

見てくれなんかどうでも良い。

だって、生き方を、行為を、いくらでも美しくすることはできるんだから。

存在そのものをアートにすることができるんだから。

迷わず、みんなの喜びのために、自らの心身の苦を厭わないイエス的、菩薩的な行為。

それは、殺伐としたこの世に生きる人の心のどこかを、必ずや温かいものにしている、はずなんだよ。

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容姿に自信がなく、「自分は太っていて醜い」と信じている女性が、男性から、「ぽっちゃりしているね」と言われたらどうだろう?

 おそらく、その言葉で傷つくだろう。

この場合、言った人に対して、”デリカシーがない”とか、”私は傷ついた!”と言って、相手を非難すべきだろうか?

 では、もし言った人が、「そんなつもりは毛頭なかった」としたら、どうだろう?

おそらく「私は傷ついた!」と主張する人は、「そんなはずない! だって私は傷ついたんだから」と言うだろう。

 では、このような事実を知っているだろうか?

これは、「デブ専の風俗店」についての話だ。(ちなみにこの話をしてくれたのは、親戚がその店の経営者ということで、僕が行ったわけではない)

 何でも、デブ専風俗店では、女の子が続かないらしい。

その原因は、”客とすぐに結婚してしまうから”、だそうだ。

 ということは、もしかしたら「ぽっちゃりしているね」を言ったのは、褒め言葉のつもりで、プロポーズだったかもしれないじゃないか?

 そもそも、「ぽっちゃりしている私は、魅力的だ」と思っていたら、「傷ついた!」なんて騒がないだろう。

むしろ褒め言葉と受け取って、「そんなあ〜」とか言って、照れるかも知れない。

 それで、その話を聞いて以来(もう十年以上前に聞いた話だが)、時々、僕は言いたくなることがある。

 『“人にネガティブな言葉を言われた”と思う前に立ち止まれ。

自分に自信がないのは、相手のせいじゃないよ。親のせいでもないよ。「傷ついた!」と騒ぐ前に、まずは自分の”自信”を点検したまえ。

 もしかしたら、相手の言動は、自分が思っていることとは、全然別の意味かも知れないんだから、さ。』

 心理学的にいえば、「自分に自信がないと、相手の善意すらネガティブなものに見える」。

そこで相手を非難したら、ますます自分の「自信のなさに、自信を持ってしまう」ようになる。

 そんな負のスパイラルにだけは、絶対に陥らないようにしないとならない。

 48歳の現役サッカー選手のカズ。

元プロ野球の張本勲に、「もうやめなさい」とラジオで言われ、それを激励(褒め言葉)と受け取った。

そして、それを次の試合でみごとに実証してみせたそうだ。

 だから僕は言いたくなる

『神対応していたら、自信がついて、さらに神対応がうまくなる。

そしたら、人生に好循環が生まれるんだよ。』、と。

 相手に対する非難が少しでもあれば、神対応は生まれない。

神対応は、人生への愛から生まれる。

 

 

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2016/09/04

1)

一ヶ月と一週間ぶりに京都の自宅に帰って来た。
こうなると、家も宿の1つという感じである。

その翌々日は、夏休み最後の日(8月31日なので、そう思ったのだ)。なので、友人の昇一郎くんと「シン・ゴジラ」を観に行った。

僕はゴジラフリーク。ゴジラものは必ず観に行く。だから日本出発前から行くつもりで、昇一郎くんと約束していたのである。

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映画の後は、本屋に行ったり、まずは滅多に行かない寿司屋に行ったりする。(昇一郎くんの好物なので)

昇一郎くんはチャトランガ仲間でもある。
イベントの時などは、チャトランガ・ブースを担当してもらったりしている。

僕としては友人のつもりではあるが、実は昇一郎くんは小学生である。なので僕には、“彼の無意識にポジティブな思い出を上げたい”という気持がある。

2)
子どもにとって、「自分のことを気にかけてくれる大人がいる」というのは、心強いと思う。

無条件で自分に関心を持ってくれ、一緒に楽しんでくれる大人がいることは、きっとその子の心を温めるだろう。

そしてたとえ将来、大人になって、子どもの頃に自分につき合ってくれた大人が誰だったかを忘れてしまっても、その体験は、いつまでもその子の「無意識」の支えになると思う。

だから彼が大人になって、僕のことを忘れてしまっても構わない。

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3)
一日が終わり、駅で見送る時、帰って行く昇一郎くんの背中に手を振りながら、ふと僕は考える。

”いつまで彼の背中が見られるかな?”、と。
小学生の友人との付き合いでは、「一期一会」の潔さを楽しむ、、、。

 

 

 

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”これはもう戦場だな、、、”というのが、あらためて観たときの感想だった。

ドキュメンタリー映画、「五つの壊れたカメラ」である。
パレスチナ人とイスラエル人が共同制作し、オスカーにノミネートされた作品だ。

監督たちの来日をNPOアースキャラバンが支援したその縁で、監督とも知り合いになり、その後もずっと交流を続けて来た。

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この映画の舞台は、パレスチナのビリン村。
イスラエルによって村の中に分離壁が建設され、パレスチナ人の村なのに、多くの土地が奪われてた。

当然、生活手段である畑やオリーブの樹にはもう行けない家族らもいる。

非暴力抵抗運動が始まった。

毎週金曜日の礼拝のあと、奪われた土地を取り戻すため、村を上げて行う抗議行動。分離壁へ向かうデモである。

これは途絶えることなく続き、イスラエル人活動家や、海外からのパレスチナ支援の活動家も参加するようになった。

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僕が、ビリン村のデモに参加したのは、はじめてパレスチナに足を踏み入れた時だった。7年ぐらい前のことである。

それまで、9回もイスラエルに行っていながら、イスラエルの占領地であるパレスチナに入ることが、諸般の事情からできなかった。(これは僕にあとで非常に恥ずかしい想いを抱かせた)

デモと聞いたら、日本の平和的なデモを思い浮かべる人がほとんどだろう。

でも、パレスチナでデモに参加することとは違う。(高江は、また少し違うかも知れないが)


イスラエル兵は、パレスチナ人のデモ隊に対して、当然のように催涙弾やゴム弾を撃つのだ。

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高速催涙弾に胸を直撃され、フィールという心優しいパレスチナ人の青年が死んだ。

その数年後には、彼のお姉さんまでが、催涙ガスによって呼吸困難に陥り、死んだ。

催涙弾の破片で目をケガした人もいる。

ゴム弾の威力もまた、恐ろしい。

 アメリカ人の女性が失明したという話も聞いた。

パレスチナ人監督のイマッドも、ゴム弾で大怪我をして、病院で手術までした。


さらに7年前、僕がビリン村に行く直前には、「イスラエルはビリン村のデモ隊に化学兵器を使っている」という噂話まであった。

その時、僕は、かなりの覚悟でバスに乗り、 ビリン村に向かったのを憶えている。


ところで2、3年前から、ビリン村の写真家のハイサムともFacebook上で交流を始めた。

毎週のデモの様子は、彼の投稿記事で読んでいた。今日は誰もケガしなかった、とか、、、。誰それが逮捕された、という報告がある日もある。

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 <ハイサム>

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<デモの出発。写真は七年前のもの。一番、手前にいるのは、東エルサレムで友だちになったイタリア人の女性ジャーナリストのアンドレア。

後で、先頭集団にいるお互いを発見。催涙弾の煙の中で、「おお! お前もいたのか!」と合図しあった。こうなりゃ、戦友である>

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<催涙弾の煙>

僕は、今年のアースキャラバン中東には、希望者を募って、ビリン村のデモ参加に行きたい、と思っていた。

ところが、だ。

「五つの壊れたカメラ」を見直し、”こりゃもう戦場だな、、、。”と思った。

そして僕は、やっぱり希望者を募るなんてよそう、と思った。

”こんなん、とても人には勧められんわ、、、(ちょっと関西弁ね)”というのが本音であった。

だって、もう戦場なんだもん。参加者をケガさせるわけにはいかないじゃないですか。

出発前には、”みんなには黙って、独りでひっそりと行こう”と、まで考えていた。


”それでも、自分は行かないわけにはいかない、けど、、、。”

この「自分は行かないわけにはいかない、けど、、、」という、僕の心理を説明するのはとても難しい。

うーん、例えばあるところに、人間の尊厳や自由を守るために闘っている人たちがいる。

そして、それに共感していながら、「自分の身が危険になるから」と言って、安全なところに自分の身を置く。

これ、僕的には、かっこ悪くて、とてもできないのである。

「何もそんな危険なところに、わざわざ行かなくったって良いではないか」


、、、そんなことは重々わかっている。

「行かなくたって別に恥じゃない。誰も文句言いやしないよ」

、、、それだってわかっている。

「あんた一人が行かなかったところで何が変わるっているんだい?」

、、、そんなことは百も承知だ。

これは、あくまでも自分的な「人生の美学」の問題なのである。

で、最後に「けど、、、」とつくのは何か?

「オレだって恐いさ。世間一般の人みたいに保身に走りたいよ。でも、どうしてもできないんだよ〜ん!」というのが、入っているのである。


<続く>

「五つの壊れたカメラ」について

映画「五つの壊れたカメラ」は、You-tube でも観れます。
https://www.youtube.com/watch?v=6UP-D_MtZt0

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今年の中東アースキャラバンで、どうしても自分が成し遂げたかったことがある。

それは、イスラエル占領下にあるパレスチナ人たちの苦しみを直接見聞するプログラムを組みたかったことだ。

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<難民キャンプの入り口>

 現地にいない状態で、そのプログラムをどうやって組んだら良いのか? 最初は、皆目、見当もつかなかった。

まずは去年世話になった東エルサレムにあるキリスト教系の人権団体の人間に連絡した。

 

メールでもやり取りしたし、スカイプ(パソコンの無料電話)でも随分やり取りした。

でも、何ヶ月かのやり取りの末、いろんな事情から、最終的にその線はなくなった。

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<ヘブロンには、イスラエルがいたるところに建てた壁が、人々の生活を困難にしている>

 

そこで僕は、去年、エルサレムにいるときに、「広島の芝居をヘブロンでやるから見に来て下さい」と僕を招いてくれた、YES 劇場のスタッフ、スライマに連絡した。

 

 僕はスライマーに自分の考えを伝えた。

「アースキャラバンで来る人たちに、占領下の実態をぜひ体験してもらいたい。そのコーディネートをぜひお願いしたい。」、と。

 

お金で頼んだのではない。ボランティアを頼んだのである。

嬉しいことに、スライマは快諾してくれた。率先して、いろんな団体と連絡を取り、いくつかの施設などを巡るスケジュールを作ってくれた。

 

もちろん、一回のやり取りではない。何度も何度もいろいろなことを打ち合わせた。

そして、僕やローレンスがグループ電話を切るとき「ありがとう」と言うと、「それは言わないで」といつも言っていた。

 

子供たちが刑務所に入れられている

占領下にある人々の苦しみの体験を語ってもらうのは、そう簡単なことではない。

 そして、実際に現地に行って僕たちが聞いたのは、例えば、あるパレスチナ人のおばさんの話である。

 

彼女は、ある日、理由なく逮捕され、それから6年間投獄された。

棒で殴られた。どんな拷問だったのかは語りたくない、と言った。

 

人間扱いされない日々が延々と続いた。いつ終わるのかもわからなかった。身体の痛みよりも、人間としての誇りが奪われたのが一番辛かった、と話していた。

 

また、別のところでは、お母さんたちの話を聞いた。

10ー15歳の子供たちが、石を投げた、という理由で(たとえ何もしていなくても)逮捕され、何年も勾留されていた。

 (その数は、現在、数百人にも及んでいる)帰って来た子供達は、口も聞けないほどの状態になっていたりする、という。

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<子供が勾留されているお母さん>

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もちろんこんな話や映像は、どこのメデイアでも放送しない。

YES 劇場は、そういう家族のトラウマを癒すために、演劇セラピーを施している。

スライマがベツレヘム大学の学生だというのは、後で知った。

国境なき医師団の報告

   ↓

http://www.msf.or.jp/news/detail/voice_2396.html

 

 

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1)

中東アースキャラバンが終わり、アジアの片すみで、しばし引きこもり生活を送っている。

たまっている宿題(法話ライブの書き起こしの編集)をやろうと頑張るのだが、一つの法話のリライトに4時間はかかってしまい、ため息が出る。

 

プールサイドで寝っころがって空を見ていると、いろんなアイデアが湧いて来て、それが次のイノベーションになることが多いので、本当は何もしないでいる方が良いのかも知れないなぁ、、、。(←とは思うんだけど)

 

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<まるで木像の人形のような老婆。ことばの通じない屋台で僕はひっそりと料理を待ち、

アジアの片隅で引きこもって過ごしている>

 

2)

10日ほど前までいたパレスチナ。

僕はこの地は、微笑みと涙、そして未来への希望なくして旅できない。

 

そんなパレスチナに来る度に、僕はかつて大日本帝国が植民地支配していた朝鮮半島の人々のことを想う。

朝鮮の人々の苦しみと、そしてそれを日本人はどう感じていたのか、を、、、、。

 

さて、もちろん、純粋無垢に見える被害者にしても、エゴなき人はいない。

暗黒面だってたくさんある。

これはアウシュビッツの生き残りだろうと原爆の生存者であろうと、パレスチナ人であろうとそうだろう。(←という話を現地でしていた)

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だけど、それを差し引いても、僕はパレスチナに来るとなぜかほっと安堵のため息をもらす。

それは、アジアのまったりした空気感ともまた異なる。

おそらく人が人をどうケアするか、ということが基本的に成立してしている地域だからなんだと思う。

 

それにしても胸が痛むのは、彼らがイスラエル占領下で筆舌に尽くし難い屈辱の日々を受けていることを目の当たりにするときだ。

だが、彼らがお互い同士や、子供達や、また私たち旅人にする接し方には、警戒心も計算もなく、柔和で気前が良く、ホッとさせられるばかりである。

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彼らがテロリストだって? はぁ、、、?  メディアはウソをつくのがヘタだなぁ、、、。

 

せめて、「パレスチナ人は、一見優しい人に見えるし、つき合ってしばらくは良いけど、何年かすると本性を表すぞ。気をつけろ」とでも言ってくれれば、“もしかしたら、、、、”と思うかも知れないけどなあ。

 

でもねぇ、、、ヘブロン在住のアクラムとの付き合いは、もう13年に及ぶ。

理学療法士をやっている彼ががテロリストの正体を表すまで、一体何年待ったらいいんだよ。(←とメディアを信じている人に言いたい)

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理学療法士のアクラムは、南アフリカに留学していたそうだ。

 他のことは知らないが、中東に関してはメデイアのウソは多いなあ、、、。

まあ、都合次第でウソは他にもいろいろあるんだろう。

 

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1)

昨夜、居酒屋でカナダからの電話を受けた僕は、酔いもあって躍り上がらんばかりに喜んでしまった。

ローレンスからの朗報だったのだ。

「イスラエル人とパレスチナ人が合同で行進する平和活動をしているラビ(ユダヤ教聖職者)と連絡がついた。

それで、8日にエルサレムで一緒にイベントしよう、ということになった」と。

イスラエル人とパレスチナ人、それに日本や海外からの参加者が加わり、エルサレムで一緒に「広島原爆の残り火」を持って合同のお祈りをしたり、音楽を演ったりすること。

これらは、僕らが最初から抱いていた念願だったのだ。

*平和の火は、原爆が落ちた日から70年間、絶やされることなく燃え続けて来たもの。

イスラエル人もパレスチナ人もいろいろ呼んで来てくれるらしい。

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<実際にはどんな感じになるのだろうか?>

 最初は9日(長崎の日)にイベントがしたかった。

だが、その日に帰国してしまう日本人も多い。(日本、カナダ、イタリアから30人ほどが参加の予定)

このため、やむなく8日になったのだ。

 

2)

街を上げてのお祭り、ベツレヘム・フェスティバルで演奏することになっているので、その練習も欠かせない。

しかし、中東アースキャラバン・プログラムについて現地との話しも詰めていかなければならない。

幸いヘブロンの「YES シアター」スタッフのスライマ女史が、献身的に協力してくれている。

昨年の8月初旬、エルサレムにいた僕に突然このスライマからメールが入った。

“8月6日の広島の日に、「広島の犠牲者を描いた劇」の上映をするので来賓として来て下さい”、と。

僕は、”なぜ僕のことを知ったのだろう???”とハテナ状態だった。

まあ、何か新しい展開があるかも知れないからね、と原爆の残り火が灯っているランプを持ってヘブロンに向かった。

劇のあと、パレスチナの子供達が、「日本は原爆被害から立ち直って、復興して凄い!」と次々に手を上げて発表していたのが印象的だった。

スライマ女史とは、それ以来の付き合いである。

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<YES 劇場>

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<劇の上映後、みんなが意見を述べる>

一昨日は、スライマ、ローレンス、とSkype(コンピューター電話)会議を行なった。

難民キャンプ訪問や、中東の真の現実を体験するツアーなどもまとまって来た。

でも、5日のデモ参加は?(これは個人的な行動だけど) 6日は?

これから考えて、現地に連絡して、話し合って、という作業がまだ続く。

しかも! 今年はローレンスは、アースキャラバン・ケベック(インディアン居留地を巡る)の準備があるため、中東には来れない。

2015-08-06 15.19.38

<ローレンスと劇場に向かった時のタクシー>

もともと中東ツアーは、僕とローレンスとオリバー(オーストリア)の3人で立ち上げたものだった。

しかし、今年の中東ツアーにオリバーは来ない。昨年のアースキャラバン・ヨーロッパと中東の準備で、「燃え尽き症候群」になってしまったのだ!

その上、これ以上、パレスチナ人が味わっている理不尽な苦難を見るのは耐えられない、とのこと。

否応なしに僕に重圧がかかって来ている。うぅ、、、。

なんか今日のブログには、笑いがあんましなかったな、とちょっと反省。←ま、考えたら、重圧がかかるなんて、アースキャラバンではよくあることだったよね。^ ^

とにかく朗報バンザイ! 実にメデタイ日であった。

 

 

 

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最近は、1日1回、Facebookで何か言葉を投稿する、というのを自分に課している。

しばらくやっている内に、一日に何回もいろんな言葉で出て来るようになる。

それでも日に一回だけ、と決めているので投稿しなかったら、それは忘れてしまうことになる。

が、まあ、それはそれでいいや、と思っている。

で、そうこうする内に、自分がやった法話の中の一節を選んで投稿する、というのも行うようになった。

ついでに法話の書き起こしも読んでくれたら嬉しいもんな、というわけ。

今朝のひとことは、恥ずかしくてとてもFacebookには掲載できなかったので、このブログの最後にそっと書いておくことにしよう。

(ブログ書いた、なんてFacebookに投稿すれば同じことなんだが、スルーする人もいるだろうし、せめてものワンクッションというわけ)

実は子どもの頃、学校の音楽の時間にマイナー調(短調)の曲が流れるたびに、涙が出てしまい、大変困っていた。

それがバレないように必死に隠していた。

いよいよ切羽詰まると、隣の席の子を指さし「◯◯君、泣いてる〜!」と叫んで、ごまかしていた。

 、、、今朝感じた恥ずかしさは、何だか、その時の感じに似ている。

 

「夢の中で泣いていた。

みんなに幸せになって欲しくて、

なって欲しくて、

欲しくて。

、、、目が覚めた。」

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 追伸:Facebookをやっていない人のために、投稿して来た「ことば」を少しずつ、次回のブログから掲載して行こうかな、、、。

 

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1)いたずらっ子は戦争ゲームを創る

「人と人がお互い何の負担もなく付き合えるとしたら、それはお互い心の中に住んでいる子供の部分で繋がる以外にはないんだ。

子供と言っても大人の言うことを素直に聞くような良い子ちゃんではダメだぜ。

世間がどう思うかなんていうのは歯牙にもかけない、いたずらっこでなきゃダメなんだよ。」

上記のような想いをこめて、僕が十年かけて創り上げた戦略ゲームが、「チャトランガ」である。

僕としては、その人に地位があろうとなかろうと、その人がどこのパスポートを持っていようと、また、その人の身体に障害があろうとなかろうと、社会的な垣根を飛び越えて、人と人が付き合えるようになるのが、チャトランガだと思っている。(実際そうなんですよ〜)

 写真.keito playJPG

<大人と子どもの垣根を超えて遊ぶ。at 被災地で>

2)お小言はあっかんべーで返す

いたずらっ子は戦争ゴッコが好きだった。それで、考案したのは戦場をテーマにした戦略ゲームだった。だが、なぜか結果的には、平和的な深い意味を持つゲームになった。

もっともこれまでは、盤とコマの「見てくれ」だけみて、”戦争ゲームなんてけしからん!”と顔をしかめる人もいた。

そのたびに僕は、“戦争ゲーム=悪と頭から決めつけないで、子どものように遊んだら良いのにな”と思っていた。また、”そんなら、人同士がもっと仲良くなれるものを持って来てよー”とも言いたくなった。

でもまあ基本、そんな大人(またはクラスの風紀委員的な良い子ちゃん)のお小言は、”あっかんべー”で僕は返して来たのだ。それこそ、上記に書いた「いたずらっ子」の真骨頂だもんな。

 3)カナダでもみんなで遊んだ

このゲームがもたらすコミュニケーション効果や、人生戦略トレーニング効果、また、背後にある仏教の哲理などを理解してくれる人が、なんと国際的にも増えてきた。

おお! たとえ”戦争ゲームなんて!”と人に白い目で見られようと、意に介さずライフワークとしてコツコツとやって来たかいがあったぜい。

今回のカナダでは、念仏会やタオ指圧ワークショップに参加したほとんどの人が、夜はゲームを楽しんで和気あいあいの時を過ごした、

ゲームで人と人が楽しくつながっていく状況って、見ていてすごくホッとする。孤独な人を見るのが僕はイヤなんだ。

チャトランガは「戦争ゲーム」なのに、否定論者が期待(懸念?)するような暴力的な空気には決してならない。

大会にはいつもめちゃくちゃ平和でユーモラスな空気に満ちていて、どこもかしこも笑い声ばかり。僕はそんな空間がとても好きだ。

 

<トロント・チャトランガ大会>

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 ジュリーとカナダ在住、水愛(みいあ)さんの対戦。

真ん中にいるジニーは、チャトランガが「戦争ゲーム」ということで以前はやりたがらなかったが、やっとこのゲームが持つ意味の深さが理解できた様で、楽しんで対戦するようになった・

 

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途中、チャンピオン高山ほうきのアドバイスが入った様子。(←おい、いいのか?)

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<緑3−赤3という最高のサイコロが出て喜ぶアドバイザーか?>

ca 5,

<どうやら勝った様子である>

その他、モンテリオールから来た、フィリップとエリヤスなどは、2人とも、じーっと長考ばかりしていた。

2人とも念仏も熱心で、エリヤスはレバノン出身だそうだ。それにしても、いつまでも仲良くじーっと長考を続けている2人だった。

何だか僕は、日向ぼっこしている2匹のカメを見ているような気がした。そこの”戦場”には、とても平和な空気が漂っていた。

(今思うと、平和な2匹のカメたちの日向ぼっこ写真を撮らなかったのが残念至極である)

2人ともとても良い奴らである。

チャトランガやる人に悪い奴はいない、というのが、今のところ僕の持論である。

チャトランガ・プレイヤーに幸あれ!

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