2015年10月の記事

「地獄の季節」アルチュール・ランボーではないけれど ^ ^)/

2015/10/06 Categories: 未分類

こんなこと書くのはどーか、とは思うが、僕には人格が破綻する季節というものがある。

アルチュール・ランボー(フランスの詩人)ではないが、「地獄の季節」である、タハハ。

それはティーンエイジャーの頃から強烈で、僕に日常生活を送れなくさせたし、また心身を破滅させるような生き方をさせた。

なぜ家出を繰り返したのか? なぜ高校を2つも辞めたのか? そしてボロボロだった。

なぜ音楽に打ち込んだのか? なぜ修行に打ち込んだのか? 救いを求めてに他ならない。

 結局、僕に様々なことをさせて来たのである。

 

(2)

さて、それは大概、生命を燃焼するように生きた夏の後にやって来た。

 

夏を裏切って秋が来ることに対して、心身の深いところで分裂を起こしているよううな感覚に陥る。

 

そうなると、何をやっていても、自分が存在していること自体が耐え難く、精神的のは追い詰められた気分になる。

 

面白いのは、あまりにも忙しい日々を過ごしているときは、気づかないこともある。

けれど、それが終わって抜けていく時に、「ああ、そういえば存在することに耐えていたんだな」とわかるのである。

 

いつか治ると思って期待していたし、去年はあまり感じなかったので、「ついに治った!」と多少は思っていた。

 

だが、去年は台湾に行ったこととで多少、緩和されたに過ぎなかったようだ。日本は秋でも、台湾は夏だったからである。

 それにその後は、睡眠時間などそっちのけで、昼夜、世界のミュージシャンにアースキャラバンのテーマ曲を演奏レコーディングしてもらうことに没頭しており、自分の破綻に気づく間がなかったようだ。

 

(3)

今年は生命を燃やすように夏を過ごしてしまった。

だから反動がちょっと怖かったのだが、やはりつかまってしまった。

 

引きこもっていたかったので、タイに行って、誰とも口を聞かず過ごしていた。

 

それでも帰って来れば、進めて行かなければならないことは山積みしていた。

僕は精神的に、大きな負を抱えているが故に、それを解消するためさまざまなことに没頭する。

 

しかし、負が露になる季節に掴まると、本当は音楽と念仏以外は何もしたくない。

それにも関わらず、自分が立ち上げたがために、いろいろやっていかなくてはならない、という状況に追い込まれるのである。

(それでもその時にした仕事は、後で振り返るとけっこう内容が良かったりするのが不思議だ)

 

今は、念仏修行のメソッドを必死でまとめ、ワークショップをやり、法話をやり、その他、ゲームプロジェクトと共にシェアに努めている。

 

一方では、功徳により、至福の宗教体験を頂きながらも、

かたや同時に、深刻な心の破綻の中にもいる、というこの矛盾。

 

「これって、どうよ? 何なんだよ、これ。」

「普通、こんなことありえねぇよな」と思ったら思い出した。

 

聖フランチェスコも、どうやらそうだったらしいことを。

 

考えてみたら、そりゃそうだよな。

世間からはずれ、他のことはどうでも良い。

 神ほとけの道に進もう、なんていうのは、

どこか壊れていないとできないもんね。

 

金持ちの息子だったフランチェスコ。

家を出ることを父親に納得させるのに、裁判所で素っ裸になるほどの、

正真正銘のキ◯ガイさん。

 

やれやれ。

そんなこと思い出したところで、

別に何の慰めにもなりゃしないけどね。

 

 

 

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