2015年8月の記事

アースキャラバン・テーマ曲”SHARE!”のCD制作にまつわる話

2015/08/27 Categories: 未分類

アースキャラバン準備・テーマ曲篇

あとで振り返ると、「一体、どうしてこんなことができたんだろう?」と思うようなことが、アースキャラバンの準備中によく起こった。

例えば、テーマ曲のCD。

テーマソングがあった方が良いだろう、ということになった。

それで、誰に歌ってもらおうか? と考えていた。そしたら何となく、世界各地の音楽家たちに歌ってもらおう、という話になった。

当てなど全くない。

しかも基本、手弁当やってもらおう、という考え。

にもかかわらず、1、2ヶ月の内にやっちゃおう、と安易に考えてからが、まあ大変。

曲そのものは、以前からできていたが、歌詞は、昨年夏にパレスチナで、イスラエル軍の爆撃で足を失った少年を前にした時の体験をもとに書いた。(話はライナーノートになっている。興味のある方は→ http://www.earthcaravan.jp/share_lnotes.html )

 

中東での準備から帰って来て9月も中旬を過ぎてから、CD作成の準備を始めた。

まずはサンプルを作ろうということで、スタジオでレコーディングした。あとはもう死に物狂いだった。

 

何せCD作成が終わらないことには、広島で動けないのだ。

中東のイベント準備も、手がかりがまったくないところから始めたが、その時点では広島でイベントやる可能性などないに等しかった。

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アースキャラバンに、「広島からエルサレムまで」という副題をつけてはみたものの、最初はどちらも当てなどなかったのだ。

 無謀といえば無謀だが、それはテーマ曲のCDを創るというプロジェクトだって、まったく同じだったのだ。

振り返ってみれば、18か国の音源が集まっていく過程の1つ1つには、物語があった。

 

カミーロとの出会い 

例えば、台湾、、、。

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<カナダ在住のカミーロは台湾出身>

2年と少し前、トロントのタオサンガ・センターのオープニングで出かけたことがあった。

 

セレモニーの合間に控え室で休んでいた時だ。突然、部屋を尋ねて来た人がいた。

モンテリオール在住で台湾出身のカミーロという人だった。

 

タオ指圧を学び、センターで念仏修行もしているようだったが、僕は会うのは初めてだった。

 

カミーロは青黒く深刻な顔で、「悩んでいることがあります。」と話し始めた。悲痛な声だった。

、、、「数年前にモンテリオールの漢方医に”あなたの耳の形では長生きできない。あと数年前だろう”と言われたのです、、、。

 

その時は、聞き飛ばしたのですが、最近、夜眠れないようになり、何だか体調も悪くなって来ました。」さらに話は続いた。

 

「やがて僕は、彼の言う通り自分が死ぬのではないかと思い始めました。今は毎日、心身ともに苦しくて苦しくて仕方がありません。僕は一体どうなってしまったのでしょう? 彼の言う通りの状態になって来てしまいました。僕は死ぬんでしょうか。」と訴え始めた。

 

僕は、いろいろと話を聞いた上で、自分の直感に耳を澄ました。

、、、やがて僕の直感は、彼が死なないことを告げた。

 

しかし万が一、ということもある。

実は僕も、自分が口を開く前に一瞬考えた。その人の言ったことが万が一本当なら、どうしよう?、と。

 

最悪の場合のことだって、考えておかなくてはならない。

僕には覚悟を決めておく必要があった。

 

僕は腹を決めた。もし彼が本格的に病気になった時は、僕はモンテリオールに行こう。そして彼が治るまで彼の家に泊まり込んで、ずっと治療しよう。最悪の場合だって、僕は責任を持とう、と。

 

その上で彼に伝えた。「あなたは死なない。病気にもならない。僕が絶対の保証をする。」、と。

 

すると彼は、泣き出した。「ありがとう、ありがとう、ありがとう、、、」、と。嗚咽する彼の背中を僕はずっとさすっていた。

カミーロはしばらくすると、「すっかり気持ちが楽になりました」と微笑んだ。そして、部屋を後にした。

 

その後、「夜も眠れるようになり、すっかり体調も良くなりました」とメールをくれた。

 

、、、1年後、そのカミーロに僕は相談した。アースキャラバンのテーマ曲を歌ってくれる台湾のミュージシャンを知らないか、と。

 

そしていろんなやり取りのあげく、彼の子どもの頃の同級生に、グロリアという中学校の音楽の先生がいること。

 

またそこの合唱部は、コンクールに優勝するような子供達であることなどがわかった。

 

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<左がグロリア、右が台湾在住のともこさん>

さらに、ちょうどその頃、タオサンガのまさとさん&まひろさんカップルが台湾に行くことにもなっていた。

 

それで、カミーロには歌詞を英語から中国語に翻訳してもらい(もともと歌詞は英語で作っていた)、急遽、そこの子供達に歌ってもらうのを、まさとさんたちに録音してもらうことになった。

 

台湾には、それに合わせてカミーロも行くことになった。

僕は、彼のその心意気に応じななかったら、かっこ悪いな、と思った。

それで僕も台湾に行くことになったのである。飛行機を予約したのは、前々日だった。 

 

台湾では、後ですっごくお世話になることになる、ともこさんと出会ったりなど、いろいろ素晴らしいことがあった。

 しかし台湾のホテルでも、僕は何時間パソコンの前で過ごしていたかわからない。それは、ただひたすらいろんな国へ、テーマ曲の録音と録画依頼のやり取りをしていたのである。、、、

延々と朝早くから、深夜も尚。何時間も何時間も続いた。(そして何日も何日も)

歌ってくれた台湾の子供達の動画。

http://www.earthcaravan.jp/share01.html

<続きは、「アースキャラバンのテーマ曲に、いかにワンダのバージョンが入ったか?」>

追記:.SHARE! のアルバムは、ほとんどがプロのミュージシャンたちの手によって本格的にレコーディングしたもの。

台湾など、そうでないところもあったが、それはそれでとても素朴な良さがあった。最終的には誰に対しても、自信を持ってお勧めすることができる、クオリティーの高いCD作品になったと思う。

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興味のある方はこちらだが、映像は素人の方が歌っているもの。プロが演奏しているのはCDの方なので、ご注意を!

    ↓

http://www.earthcaravan.jp/share_cd.html

 

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アースキャラバン準備・中東篇(ブログ再開)

2015/08/21 Categories: 未分類

アースキャラバン2015が終わった。

僕は時間を一年戻し、昨年の夏にパレスチナ入りしたところから、ブログを再開するつもりでいた。なにせ、あそこ(ストップしたところ)からが良いところだったのだ。

ところが、、、、ない。

 

なぜか当時の写真が、サーバー上からすっかり消えてしまっている、、、。

しかも元データを保存しているSDカードは、アースキャラバン広島の立ち上げのために動き回っていたときに、i-pod など他の諸々と一緒に紛失すみ。

、、、ああ無情!

 

いくつか書こうと思っていたことがあったのに!

 

<1>

例えば、だ。

「今からは、イスラエル当局から盗聴されていると思って話して下さい」

そんな言葉を突然聞いたのは、ベツレヘム大学のマージン教授にだった。

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 <マージン教授・世界各地でパレスチナ問題の講演をしている>

僕らは面食らった。

それはパレスチナで、サミーたちとアースキャラバンについて話し合って、一時間ほどしたときだった。

 

ジョークではない。、、、マジである。恐らく、携帯かパソコンに盗聴を知らせる何らかの信号が入ったの

だろう。まるでスパイ映画のような現実に、僕はとまどった。

 

 

<2>

さて、、、、その他。

イスラエルに残して来たタオ指圧の生徒さんたちのことも書きたかった。

僕は7年前、「苦渋の決断というのは、こういうものだったのか」と思うような体験をした。

 

話があまりにも複雑なので、多くを述べることはできない。

でも、反省のために少しばかり述べてみたい。

 

かつてイスラエル・タオ指圧というものがあった。

そこを運営していた人物のあまりにも大きな問題が発覚し、

僕は、果たしてそれを公表すべきなのかどうか、ずいぶん迷った。

 

まず僕は、人のことを悪く言いたくはない。(反面、好意を持っている人に対して、いくらでもからかったりできるのだが)

 

いくら善意とはいえ、任せていた自分に責任がある。(もっとも、今にして思えば公表すべきであったかな、という想いも、あるにはある)

 

さんざん悩んだ末に、「“遠藤は金取り主義者でヒトラーのような奴だ。本当に悪い人間だとわかったので縁を切った”」と生徒さんたちに伝えて良いから」とその人物に伝えた。

そして僕は、黙ってイスラエル・タオ指圧の生徒前から姿を消したのだった。

 

僕はまあ、何か問題があれば、とにかく自分が悪いことにしておいて、姿を消せばいいか、みたいな手法を取ることが時々ある。

 

本当に縁があるなら、またいつかつながることもあるだろうけど、とりあえず僕は永遠に姿を消したつもりだった。

 

僕としては、二度とイスラエルの地に足を踏み入れるつもりはなかった。トラウマみたいなものにもなっていた。

 

6年前、初めてパレスチナに入ったときも、空港からすぐにパレスチナ側に入り、それは戻るときも同じだった。イスラエルは僕にとって、二度と足を踏み入れるはずのない地だったのだ。

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<マガリ>

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<タマール>

ところが、だ。2年ほど前からイスラエルの元生徒からポツリポツリと連絡が来るようになった、、、。そしてなんと、昨年の夏には、二度とやるはずのなかったテルアビブでのワークショップを行うことにした。

 

もっとも、それを企画してくれたイスラエルの生徒さんたちには大変申し訳ないのだが、実はその時の僕の一番の動機は、とても純粋とは言えないものだった。

 

なぜならワークショップをやる1番の動機は、”アースキャラバンの準備でパレスチナに行くのに、イスラエルの空港で入国拒否されたくない”というものだったからだ。

 

以前のブログでも書いたが、昨年の夏にパレスチナ側に入っていたことが空港でばれて拘束された。その時の記録が当局に残っていて、入国拒否されないかが、僕は心配だったのだ。

 

先に述べた、”今から盗聴されるから”と言われたのも、平和活動家への入国拒否についての問題だった。

 

実は3年前に、マージン教授もかかわったイスラエルのパレスチナ占領に反対する大がかりな平和活動がパレスチナで行われた。

それは封鎖の続くガザに向けて行進するというもので、世界各地の活動家を巻き込んでのものだった。

ニューヨーク在住で、元アウシュビッツの収容者80歳を越えている女性まで参加することを、僕は耳にしていた。

しかしその時も、多くの活動家が空港で入国拒否にあった。

オリバーの知り合いの医師団20人も、パレスチナに医療奉仕に行く予定でテルアビブの空港まで行ったが拒否されて帰って来たそうだ。

 

それでまあ僕としては、テルアビブでする念仏ワークショップの公式のチラシがあれば、保険になるなー、と考えたのである。(ひぇ〜、皆さん動機が不純でごめんなさい!)

 

その時は、ガザ空爆中であったが、ワークショップのチラシを見せなくても無事入国することができた。しかしパレスチナ側に入っていろいろ動いていても、ワークショップを企画してくれた元生徒さんたちには、僕はなかなか会おうとしなかった。

 

何にせよ、僕はおっかなびっくりだったのだ。

先に述べたように、彼らは僕がいかに悪い人間かを聞かされているはずである。

そして僕は黙って姿を消したのだ。

それなのに、なぜ連絡して来たんだ。なぜワークショップなんか企画すんだろう?



僕は混乱していた。

 

そしてワークショップの前日、いつまでも逃げるわけにもいかず、ついに5人と対面したのである。

 

僕は、彼らがどれほど再会を心待ちにしていてくれたかを知り、何だか胸が痛くなった。僕は申し訳なさで一杯になった。この気持ちは、僕にはとてもうまく表現できそうもない。

 

そしてワークショップ。

その当日は、なんと空爆を受けているガザに向けて支援物資を届けるピースバスが出る日と重なってしまった。うぅ、なんという間の悪さ。正直、思わず歯を食いしばって天を仰いだほどだ。

 

まあ今さらそれは良い。

結局、僕とローレンスでワークショップを勤め、オリバーがアースキャラバンを代表してピースバスに乗り、ガザへ支援物資を届けることになった。

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<ピースバスの看板/隣人を愛せよ>

 

、、、とまあ、いろんなことが連日のように満載の日々だった。

でも、これぐらいにしておいて、これでアースキャラバン中東準備篇(昨年夏の続き)は、終わったことにしよう、っと。

最後につけ加えたいことは、再会したイスラエルの元生徒のタマールが、後にイスラエル念仏会を担当するようになり、マガリが、後にアースキャラバン中東の実行委員として大活躍してくれることになった。

、、、、すべてはみほとけのはからいだったか。

南無阿弥陀仏。

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