2014年8月の記事

入国を果たした僕を待っていたスケジュールは?

2014/08/26 Categories:

(1)

入国できたんだ、、、、。

ちょっとまだ、信じられないような気持ちだった、、、。

だから入国ゲートをくぐった時は、まるで白昼夢でも見ているようだった。

 

果たして、オリバーはどうしたのか? と、携帯を開きオリバーに電話する。

 

おお! なんと、つながるではないか!

「オリバー! 一体今どこにいるの!!?」、「うん、テルアビブ」。えーっ、信じられない!

「イランの家から、あと30分で空港に着くから待ってて」。うひゃー!


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<お互い入国を果たし、満面の笑みで再開!>

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<エルサレム直行乗り合いバスは、正確に行く先を伝えないとならないので、ドライバーに場所を説明する>

 

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<バスが出るまで、路上でオリバーが持って来てくれた朝ご飯を食べる。オリバーはなかなか用意の良い男である>

これはずいぶん後になって気づいたのだが、どうやら僕もオリバーも、能天気でがむしゃらな楽天家のようだ。(タオサンガの特徴かも)

とにかくパレスチナの自由と中東平和を願う人ならば、どんな人でも、ひたすら会っていこうと思っていた。

 誠意を持って話をすれば、必ずキャラバン・プロジェクトの道は開ける。2人とも、そう信じてまるで疑わない。だから、どんな縁でも話があれば、つながろうとしていたのだ。

 

(2) 

僕には、オーストラリアにアランという心の友がいる。ガレージセールから始めて、海外にいくつか支店を持つほどの企業にした人だ。

僕が彼に、「次はこんなことをやるよ」と知らせると、いつも彼に「あなたの楽天性は素晴らしい!」と言われる。

 

??? 僕は彼の言っている意味がよくわからなかった。

だが今回の自分らの無鉄砲さ、がむしゃらさ、そして誠意をもってやれば必ず実現する、と信じて疑わない能天気さ、、、。

それらを考えると、“なるほどな〜。アランが言っていたのはそういう意味だったのか、、、”とやっと理解できた気がした。

 

でもな、アラン。他にどんな方法があるっていうんだよ。^ ^)/


(3)

この日、日本人活動家のM女史には、いくつかコーディネートしてもらうことになっていた。

 

-今日の予定リスト- 

1. 東エルサレムの難民キャンプ訪問

ラマダン中だが、可能ならばボランティア施術する。また来年のキャラバンで、タオ指圧のメンバーがグループで施術する前準備としての視察。

※ラマダンというのは、イスラム教徒の習慣。炎天下でも、1ヶ月間日の出から日の入りまで、一切の食べ物飲み物を口にしない。貧しい人の気持ちを理解するためだそうだ。

 

2. 活動家が先生をやっている小学校でのワークショップの打ち合わせ

教育関係者とはぜひともつながりたかった。

というのは、世界への夢を子どもたちに語ってもらったり、絵を描いてもらったりして、キャラバンのサイト載せたかったからだ。

またイスラエルの別の学校で、碁の授業をやったという話を聞いた。それで僕は、GAMEチャリティックスの大会を、イスラエルとパレスチナの小学生合同でやるという夢を持つようにも、なっていた。

 

3. 合同デモへの参加

占領反対、パレスチナ人の人権を守れ! のデモ。パレスチナ人 / イスラエル人活動家合同。

 場所はシェイク・ジャラというところで、この地区にある多くのパレスチナ人家屋が、イスラエル政府によって破壊されたり追い出されたりしている。

 

前回のパレスチナ訪問の際も、40年住んでいた家から追い出されて路上生活を強いられていた家族のところに通った。そしてローレンスと2人でボランティア指圧をやっていた。http://endo-ryokyu.com/blog/?p=428

 

この合同デモで活動家たちとつながり、来年のキャラバンの話を持ちかけるんだ。

 

ところで毎週金曜日は、有名なビリン村でデモのある日だった。

ビリンは村を上げて非暴力抵抗運動を行っており、そこにはインターナショナルな活動家も、イスラエル人活動家もやってくる。

 

オスカーにノミネートされた「五つの壊れたカメラ」も、ビリン村を描いたドキュメンタリー映画。

 

そこの写真家や村のリーダーともつながりがあるので、最初はビリンに行くつもりだった。しかしせっかく頂いたご縁だ。僕は、シェイクジャラのデモに参加することにした。

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<ビリン村の写真家 ハイサム>

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<彼は、すごく良い写真を撮る>

 

(4)

さあ! 1日遅れの入国なので、空港から直接、エルサレムに向かう必要がある。

 

M女史からは、いろいろスケジュールがあるから、遅くとも12時までにはエルサレムのダマスカス門まで来るように、というお達しを何度も受けていた。

 

やばい、急がねば!

苦労の果てに、やっとたどり着いたのだが、文句は言えない。早々に僕はけっこう焦っていた。

果たして間に合うのか?

 続く

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付近にロケット弾着で空港閉鎖 !  ここで、くじけてはいけない!      (中東準備・最終篇)

2014/08/20 Categories:

(1)

イスラエル入国管理局の面接官に問いつめられ、しどろもどろになって保安要員に取り囲まれる夢とともに起きた。

まだ暗い。時計を見ると、朝の4時半だった。

 

でも緊張で、もう眠れそうにもなかった。

イスラエルのセキュリティの恐ろしさは、5年前の出国の際のできごとがトラウマになり、骨身に染みていた。

 

例えばあなたが、ユダヤ人狩りをしているナチ時代のドイツに向かうとする。ユダヤ人の味方をするためにドイツに潜入するわけ。そしてゲシュタポの検問所に向かう、、、。

(どうです? 緊張するでしょう? これを想像して頂ければ、僕の気持ちがお分かり頂けるでしょうか? ←ナンチャって)

でも実際、モサド(イスラエル秘密警察)の恐ろしさは、ゲシュタポや戦前の日本の特高警察に匹敵する。彼らは、まるで冗談の通じる相手ではないのである。

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 僕はこのとき、人間は2つのものを同時に恐れることはできない、ということを知った。空港に着弾するかも知れないハマスのロケット弾よりも、僕はイスラエルの入国面接官の方が、よほど恐かったのである。

入国拒否だけはされたくない。(プロジェクトを挫折させられるのはイヤだ)僕の恐怖は、結局はその1点に由来していた。

 

起きて、入念な準備をする。

こんなことを聞かれたらどうしよう? もし、こんなことを突っ込まれたら?、と妄念が妄念を呼びそうだった。

 

前日までは、朝はゆっくりホテルの朝食を食べてから、空港に向かおうと思っていた。が、食欲はまったくない。緊張で食欲がなくなる、というのはこういうことか、と思った。

 

昨日のブログでも書いたが、実は昨夜、「大丈夫だよ」という仏様からの啓示を受けていた。ここで啓示のみを信じて安心感に浸っていれば良さそうなものだが、そこは凡人の悲しさ。つい、いろいろといらぬことを考えてしまう。

 

それにしても、、、とふと思う。なぜ自分はこんな緊張を強いられるようなことをやっているんだろうか? “えーい、一体オレが何をしたっていうんだよ!” なんて毒づきたくもなる。

 

何でこんな悶々としなけりゃならないんだよ〜。しかし考えてみたら、ガザの子どもたちが一体何をしたっていうんだ、とも思う。

なんで何の罪もない彼らが、爆弾に怯え、傷つき、親を失い、死ななければならないんだ、、、。そう思って、自分を奮い立たせる。

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(2)

いつもは極力のんびりと空港に向かう僕である。(なにせ、今回の成田からバンコクに向かう飛行機でも遅刻しそうになったのだ)それが、フライト3時間前なんていう前代未聞の早さで空港に着く。

 

テルアビブ行きの飛行機に乗るため、深夜の電車で7時間かけてフランクフルトに向かったはずのオリバーに電話する。が、連絡がつかない。一体、今どこにいるのだろうか?

 

トルコ航空のカウンターが開いたようだ。荷物を押していく。カウンターで、チケットとパスポートを出す。カウンター嬢はチケットを見るなり顔を曇らせる。思わずハッとなる僕。カウンター嬢は、「テルアビブ行きは飛行停止ですよ」と僕に非情の宣告をする。

 

ああトルコ航空よ、おまえか!? うぅ、弱ったあ〜!  思わず僕は、「じゃあ、テルアビブに行く別の航空会社の飛行機に振り替えてくださいよ!」と詰め寄る。

 

すると、カウンター嬢はあきれたように、「ベングリオン空港そのものが閉鎖されたんですよ、ロケット弾で。戦争なんですよ、あなた。テルアビブに行く飛行機はありません」 何にいー、空港閉鎖だと〜!!!? 思わず僕は天を仰いだ。

 

しかし、ここでくじけてはいけない。ヨルダンから陸路でパレスチナに入るというルートがある。これについては、かねてから聞いていた。

 

だから僕は、「では、ヨルダンのアンマン行きに振り替えることはできますか? その可能性について教えて下さい」、、、カウンター嬢は、「少しお待ち下さい」と言って、上の人に相談にいった。

 

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正直、今回ヨルダンから陸路でパレスチナに向かうのは気が重かった。アンマンからエルサレムまでの行き方を僕は知らない。その上、超がつく方向音痴という特技を僕は持っているのである。

もちろん、時間のある気ままな旅だったら、迷いながらでも人に聞きながら行けば良いので問題はない。

(たとえば昨年の1月、タイのカンボジア国境近くにある街のエイズ孤児院の住所がわからないままバンコクから向かい、英語もろくに通じない田舎街で施設を探し当て、NPOユニの寄付金を届けたことがあった。時間のある方はブログをご参照下さい。:http://endo-ryokyu.com/blog/?p=2524

 

しかし今回は、テルアビブでもインドでもワークショップをやるため荷物が多い。通常の旅行用品の他に、木魚やら僧衣、治療道着、仏さまの掛け軸、さらにギターまである。

 

また、陸路で行くパレスチナ境界のイスラエル当局の検問所は、いっそう警戒が厳重だと聞く。、、、必ず入国できるという保証もない。

 

そんな状況の中で、アンマンから荷物を抱えてパレスチナ境界線のイスラエル当局検問所に向かう、、、。考えただけでも気が重くなるような話であった。

 

(4) 

なかなか戻って来ないカウンター嬢を待ちながら、オリバーに再び電話する。果たして彼の方はどうなったのか? 飛行機に乗れたのか? 乗れなかったのか?

 

もしオリバーが入国を遂げているなら、這ってでも行かなければならない。(「走れメロス」なのだ)しかし、電話は通じない。

 

カウンター嬢にはさんざん待たされた。あげく、「アンマン行きは無理ですね。そもそも接続が悪いし、お勧めしませんよ」。そこで僕は、「アンマンがダメなら、イスタンブールまでは行かせて下さい。イスタンブールで、空港の閉鎖が解けるのを待つから」と返す。

 

さらに上の人に相談しに行ったカウンター嬢。ずいぶん経ってから戻って来て最後に僕に言ったのは、「明日には空港閉鎖が解けて飛行再開すると思うから、今晩23時のイスタンブール行きの便に乗って下さい。そしてイスタンブールで、朝6時のテルアビブ行きに乗りかえて下さい」であった。

 

今はまだ朝の9時。空港カウンターが開く夜8時まで、どうやって過ごそうか? 僕は、へなへなと、気持ちがくずれそうになった。

 

なぜ僕の気持ちが、ここでくずれそうになったのか? それは、繰り返しになって恐縮だが、自分が保安要員の質問にうまく答えられるか心配で、その緊張がずーっと持続することに神経が耐えられなくなって来ていたのである。

 「ホテル提供してくれないんですか?」という僕の質問には、「すいませんが、できないんですよ」と、つれない返事であった。(そういえば、戦争や地震などの自然災害の場合は保証しない、という規定があったなー)

 

(5)

しかし文句は言えない。午前中いっぱい空港をウロウロしたあげく、ネットで空港近くの安いホテルを探した。夜まで休むためだ。午後、スタッフに迎えに来てもらう。

 

やっと2時頃になって宿に入り、“あ〜、やれやれ、、、”とベッドに横になる間もなく、僕は大事なものがないことに気づいて蒼くなった。携帯のバッテリーチャージャーがないのである。

 

テルアビブの空港に着いたら、Mさんに電話で連絡を取り、エルサレムでの活動をコーディネートしてもらうことになっていた。

 

現地に着くのが1日遅れになってしまったので、着いたその日から難民キャンプに行ったり、またデモに参加して活動家たちを紹介してもらったり、ワークショップに来て欲しいという、左派の小学校の先生とも会うことになっていた。

 

もし、連絡が取れなくなったら、計画が遅れる、、、。

僕はホテルに事情を話し、電気屋に行くためにホテルの車に乗せてもらった。

 

外に出ると、のんびりとしたタイの熱帯的な空気、、、。そんな中で、緊迫したところに向かおうと緊張している自分が、何だか滑稽に思えてきた。

 バッテリーチャージャーを購入してホッとしたのか、お腹が空いてきて、帰りには屋台でのんびりとご飯を食べた。

 

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(3)

その後、ホテルであれこれと考えながら夜を待つ。

果たして本当に飛ぶのか? 飛ばないのか? ネットでトルコ航空を調べてもわからない。

 

勇敢なオリバーは、相変わらず行方不明だ。

ローレンスに電話して、空港閉鎖されたよ、と告げると絶句していた。

 

そして夜8時、再び空港へ行き、トルコ航空のカウンターの前に立ってチケットを出し、事情を説明する。すると、「今、イスタンブールで、ベングリオン空港まで飛ぶかどうか会議中です。1時間後に来て下さい」とのこと。

 

軽い食事(ワンタンスープ)をしながら待つ。

そして1時間後に行くと、「まだ結論出ていないから、もう1時間、、、」

 

やれやれ、すでに空港カウンターのチェックインは始まっている。結局僕は1時間も待ちきれず、30分後に行くと、「良いニュースです! 振り替え手続きしたらチェックインできますよ!」

 

やった! と僕は、1人でガッツポーズをしてしまった。思わず顔がほころぶ。

そして無事、ボーディングパス(搭乗券)を受け取り、出国した。

 

しばらく歩き、搭乗ゲートに着いてイスタンブール行きの搭乗券を差し出すと、「あなたはテルアビブ行きのMR ENDOですね。テルアビブ行きは、またキャンセルされました」

 

「ええぇー!!!」

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(6) 

「それでエルアル(イスラエル航空)に振り替えますので、22:55までにエルアルの搭乗口まで急いで行って下さい」。あまり時間がない。職員に連れられ、焦って小走りで向かう。

そしてようやく着いたブースのようなところで、エルアル航空テルアビブ行きの搭乗券をもらう。

 

「荷物はどうなるんですか?」と聞く。「エルアルに移動します」、と。「ただその前に、保安要員の面接がありますから、それを受けて下さい」

 

とうとう来たか! 緊張が高まる。めまいがしそうだ。でも緊張しているところを見せてはいけない。僕はゆったりとしているふりをする。“面接官に対してはニコニコしているように」というのは、Mさんにも枝木美香さんにも言われていたことである。

 

面接官のいるゲートに向かいながら、“人間一度は経験しなければならないことがある。それは死ぬことだ”、なんて考えていた。

そう、死ぬ気でやれば何だってできる。一世一代の演技だってできるんだ。

 

そして僕はまったく運が良かった。なんと、僕が当たった面接官は、タイ人の女の子だったのだ!(今まで10回行った中でもこんなことは始めてだった)

 

世界中の空港に面接官を配備しているイスラエルである(その経費は莫大なものだろう)。人手不足で外国人の面接官をやとっているのかとも考えたが、まさかそれはないだろう。

あるいはイスラエル人と結婚して改宗し、ユダヤ人となったタイ人かも知れない。(イスラエル人と結婚するには、ユダヤ教徒にならなければならない)

 

とにかくタイ人相手なら、僕は様々な質問にもリラックスして演技して答えることができ、保安面接を無事クリアーできたのだった!

 

しかも驚いたことに、”イスラエルには仏教を教えに行く”という僕を胡散臭げに見るどころか、彼女はむしろ好意的なまなざしで、面接を終えてくれたのである。仏教国タイ万歳!

 

(7)

僕は、自分がこの1か月間、悪戦苦闘して手に入れた招待状や、意を決して決めたテルアビブ念仏ワークショップのチラシをリュックに入れて持っていた。(これらは最初からいきなり見せるのでなく、疑われたてから見せることで効果を発揮させる、というローレンスの作戦だった)

 

しかし、それらの様々な準備工作がいらなかったほどであった。が、しかし“招待状もチラシも持っている”という自信がスムーズに面接をクリアーさせたのか、とも思う。

それにしても何という偶然(み仏のご加護)だろうか?

1時間待たずに30分だけ待ってからカウンターに行くことで、搭乗券を手に入れタイを出国した。その後、”やはりテルアビブ行きは飛ばない”ということになったが(あるいは”飛ぶ”という情報が間違っていたことに気づいたのか?)、すでに出国させてしまった乗客(僕のことね)を呼び戻す手はなかった。

 

そこで、ちょうど同じぐらいの時刻に離陸するエルアル航空(テルアビブ行き)があったので、”そっちに乗せよう”ということになったに違いない。

 

この日、テルアビブ行きの飛行機を飛ばしているのは、エルアル航空だけだろう。たとえイスラエル政府が、ベングリオン空港の安全宣言を世界に出しても、結局、どこの航空会社も飛ばなかったのだ。

 

だから、イスラエルに帰れなくなった多数のイスラエル人がいた。イスラエル政府としてはメンツもある。また、彼らイスラエル人たちが自国に帰れるように、エルアル機をどうしても飛ばさなければならなかった。運良く僕はそれに乗り込むことができたのである。

 

眠れるはずもなく離陸11時間後、機はベングリオン空港に着陸した。(朝6:45AMだったかな) 。閉鎖が続いていた飛行場は閑散としていた。

飛行場には、唯一、ヨーロッパ航空1機だけが、着陸していた。ほとんどの航空会社が欠航しているのだから、無理もないか。羽を休めているのは、エルアル機ばかりだった。

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(8) 

さあ、今度は空港の入国審査をくぐり抜けなければならない。大きく息を吸って、気合いを入れる。そして、“威儀細”という僧侶の簡易袈裟のようなものをつける。これもローレンスと相談の上だった。

 

“何しに来たのか?”という質問に対して、“仏教を教えに来た”と答えるからには、ちょっとでも僧侶っぽい格好をしていなければならない。

 

そういえば、どこか別の国の入国審査でも、”あなた僧侶の格好していないじゃないの”と言われたことがあった。だから今回は、作務衣で飛行機に乗ったのだ。

 

そして入国審査。朝早かったためか、入国審査官は面倒くさそうにパスポートを見て、簡単な質問だけで、あっけなく僕を通した。

 

、、、こうして僕はイスラエル入国を果たした。何だか、まだ信じられない想いだった。

それはタイのホテルで朝4時半に起きてから、約33時間後のことだった。

 続く

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緊迫の中で眠りにつく、中東フライトの前夜

2014/08/19 Categories:

(1)

 バンコクの最初の3日間。午前中は、プールに入ったりしてゆっくりと過ごせた。街から離れた川沿いのアイビス・ホテル。午後は、現地で合流する2人と連絡を取り合うことや、現地の活動家に連絡を取ることなどで、けっこう忙しかった。

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<つかの間の休憩地、バンコク>


入国の際の注意点のレクチャーをローレンスからSkype電話で受ける。ムスッとせずにニコニコして、愛想よく「シャローム!」(ヘブライ語で、こんにちわ)と挨拶すること。係員の質問に対しては、決して躊躇するそぶりは見せない、など。

 こりゃ、一世一代の演技をしなくちゃならないな、と1日に何度も笑い顔の練習までする僕であった。(ウソ笑いがばれないか心配。僕は、ウソをつくのが下手なんだ)

すでに連絡先を聞いていた現地の活動家には、自己紹介とキャラバンについて説明を書き、ついては現地で会いたい旨をメールでしたためる。

 兵役拒否グループ、人権ラビなど、様々な人にメールを送る。また、たとえ紹介がなくても、Facebookで「これは!」と思った人にはメッセージを送って、やり取りした。

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<ガザの人にイスラエル人として謝罪し、”どうか安全でいて欲しい”と呼びかけるナオミ>

不思議に思うかどうかわからないが、イスラエルはかなりの右傾化した社会である。そして、そんな中で人権を奪われているパレスチナ人のことを想って活動している人などは、ごく少数派なのである。(例えば日本に兵役があって隣国を不当に占領し、国民の70%近くが右翼で、ヘイトスピーチまみれの状態、を想像してみて欲しい。いやー、想像しただけでも息苦しくて死にそうになる、、、)

 そんな中で、「パレスチナ人を苦しめることになるから」と言って、兵役を拒否して刑務所に入ったり、ガザの人に向けてyou-tubeで、「私は恥じています。申し訳なく想っています。」と、顔出しで放送したりするのは、相当勇気のいることなのだ。

 

(2)

僕はホテルの部屋で、荷物のまとめをしていた。大したものはないが、デモに参加して催涙弾を撃たれたときの防止用に、とゴーグルは買っておいた。(目が痛くなるもんな)そして何気にネットを開けると、現地で落ち合う予定のオリバーから連絡が入っている。

 何と! テルアビブの空港に向かう欧米のいくつかの航空会社が、欠航になったという、、、。空港近くにハマスのロケット弾が着弾したのがその理由。空港近くで、引き返した飛行機もあったそうだ。

 でも、僕の乗るトルコ航空は飛ぶ、と。

おお良かった!

また、やはり現地で落ち合うカナダのローレンスからも、「そっちは行けそう?」と問い合わせが来た。僕は、「トルコ航空は勇敢だからね」と自慢げに返信。

 するとローレンスからは、「カナダ航空は弱虫! 」 と返信が来た。どうやら欠航になったらしい。実はローレンスに、「中東に行くのは危ないと思ったらキャンセルしなよ」とメールしようと思っていた矢先のことだった。人を危険に巻き込む気はない。

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<右がローレンス・ユダヤ系念仏者である>

 

一応、トルコ航空のホームページをチェック。すると、「テルアビブ行きは、飛行停止」と書いてあるではないか!

 冗談じゃないぜ! オレは現地の人間たちとさんざん連絡取り合って準備して来たんだぜ。飛べや、おいこら!と、思わず心の中で毒づいてしまう。まるでヤンキーの兄ちゃんだな、こりゃ。

空がダメなら、陸路や船で行くことまで考える。でも、電話でそんな話をオリバーとしても、お互い力なく笑うだけであった。

 いや! まだ希望を捨ててはいけない。明日ちゃんと飛べよな、トルコ航空!と、僕は念をかける。(その瞬間、”大丈夫!”という声が心の中で聞こえたにも関わらず、アホな僕はその後も心配を引きずり続けた。)

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<飛べ! トルコ航空よ、、、>

 

(3)

夜、オリバーと再び連絡を取り合う。彼は、フランクフルトまで行けば、翌朝発のエルアル機(イスラエルの航空会社)が出るから、深夜の電車で7時間かけて行き、それに乗るという。

 僕はそのオリバーの決意に感動した!「あんたはエラい! 僕はあなたを尊敬するぞ!」と言ったら照れてたが、うーん、熱いぞオリバー!

僕は1人で行くことになる覚悟を決めていたが、オリバーの決意を聞いて「おお! おまえもか!」と闘志が湧いた。そして、彼のスピリットを讃えた。

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<近くの空港から出る飛行機がキャンセルになったため、電車で7時間かけて、遠くフランクフルトの空港に向かうことになったオリバー>

 

(4)

なんせ“地球ヒーリングキャラバン”のプロジェクトがかかっているんだ、と僕は必死だった。

 タオサンガのプロジェクトは、人の人生やいのちが豊かになるものだから、プロジェクトが成就しないことは、自分にとっていのちを失うに等しいことなのである。

僕は、念仏やタオ指圧だけでなく、また音楽活動もGAMEチャリティックスの普及も、ムキになってやっているが、それは、全部がタオサンガのプロジェクトだからに他ならない。

(この辺の僕の心情については、タイ大会について記したブログの後半部分をお読み頂ければ、あるいはわかって頂ける人もいらっしゃるかも知れない。それで一応アドレスを、、、。http://endo-ryokyu.com/blog/?m=201308 

 

(5)

夜、オースリアのエージェントと連絡がつく。トルコ航空は飛ぶかも知れない、と朗報。

“おお! そうこなくちゃ。こっちは念をかけたんだ、何がなんでも飛んでもらうぜ、トルコ航空!”。

でもたとえ飛んだとしても、「こんな状況の中で来るなんて、どうも怪しい奴だ、、、」と、テルアビブの空港保安員に思われないだろうか?と、一方で心配になったりもする。

、、、そんな緊迫の中、僕は浅い眠りについた。


続く







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緊張の中東行き準備(2)

2014/08/18 Categories:

(1)

さて、イスラエルのベングリオン空港で5人の保安要員に取り囲まれ、別室に連れて行かれた僕はどうなったか? 荷物はすべて開けられ、まるで針一本を探すような具合で入念に調べられた。さらにカーテンで仕切られた狭い別室で連れて行かれて身体検査。

実はこの時、検査官が薄い透明なビニールの手袋を付けたのを見て僕はギョッとなった。というのは、アラブ系の人間が肛門まで調べられることがある、という話を聞いていたからだ。、、、顔面蒼白。

人生最大のピーンチ!である。目の前が真っ暗になり、僕の額には脂汗がにじんできた。

、、、が、しかしそこまではなかった。(かくて、わが純潔は保たれたのである←おいおい、こんな時までジョーク言うな)

 ホッとするというよりは、まるで強盗に遭ったかのように僕はぐったりとしてしまった。尋問なども含めて1時間以上も(あるいはもっとだったかも知れない)拘束された後に、空港ロビーに解放されたときは、いすに座り込んだまま、しばらくは動けなかった。

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この時のトラウマがある上、さらにもしこの件が記録に残っていたらどうしよう? 入国拒否されないだろうか? と僕はしきりに心配していたのである。

イスラエル入国の際は、招待状があるとスムーズであることは、これまでの経験上知っていた。(10回ほど行ったんで)そこで、今現在の段階でつながりのある活動家たち数名に連絡を取るが、彼らからの招待状など、何枚あってもかえって怪しまれるだけだと言うことが判明。

イスラエルに親戚がいる人間たちの線もいろいろとさぐるが、なかなかスムーズではなかった。

しかし僕は、旧タオ指圧の生徒たちに連絡を取ることは、最後までためらっていた。

もうこれ以上は、ブログが先に進まないので、内容を大幅にはしょるが、さんざんすったもんだいろいろしたあげく、まずは面識のないが、ヵナダでタオ指圧を学んでいたイランという男性から招待状を送ってもらった。

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<入国審査が心配なので、イランには空港まで来てもらうことにしたが、面識がないので写真まで送ってくれて、なかなか親切な男である>

 そして、これもさんざんためらったあげく、ついに僕は、イスラエルの旧タオ指圧の生徒さんたちと向き合う決心をした。そして、一般向けの念仏ワークショップと、旧生徒さんたちとのギャザリング・ワークショップをする旨のメールを、アドレスのある2人に送ったのだった。(そしてこれは、後に思いがけない展開を見せることになった)

(2)

イスラエルでワークショップをするなら、微妙な問題がからんでくる。例えば、ユダヤ教では「仏を念じる」などの行為はタブーであり、昔なら石打の刑というほどの罪である。

僕は“宗教は信じるものなんかじゃない!心で内証するもの以外は全部まやかしだ!”と、人に誤解されそうなことを、どこでも平気で公言してはばからない人間なので、「何言ってんだよ〜」の一言で済ましたいぐらいだが、まあそういうわけにもいかない。

今回のイスラエル・パレスチナは、オーストリアのオリバーと現地で落ち合って動くことになっていた。しかしカナダからユダヤ系のローレンスも呼んでくることにした。(と、簡単に言っているけど、もちろんこれは、別に全然、簡単な話ではない)

ローレンスは念仏者であり、また5年前にパレスチナで僕といろいろ活動して以来、すっかりイスラエルを擁護する発言はやみ、今では占領反対、パレスチナに自由を! という風になっていた。

念仏のことも、タオ指圧のことも、またパレスチナのことも、僕らただの外国人よりも、同じユダヤ人であるローレンスが説明した方がよほどスムーズである。

 

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<左がローレンス・右がオリバー/ 今回はこの3人で動くことになった>

 

 ことの複雑さについては後に説明するが、旧タオ指圧の生徒さんたちが今どんな気持ちでいるのかは、この時点での僕にはまるで見えていなかった。

すでにガザ空爆は始まっていた。イスラエル在住の日本人活動家のMさん情報では、観光客は激減したものの、入国する外国人に対するチェックは厳しくなっているとのこと。(その後の情報では、日本大使館が危険度レベルを上げた、とも)

タオ指圧のタマールからは、「本当に来るんですか、ミサイルが飛んで来ているんですけど、、、」、向こうの活動家からも、「本当にこんな時に来るの? 今、戦争なのよ。」、と。

あのねー。僕が怖いのは、ハマスのロケット弾なんかではなくて、イスラエルの保安要員なのよ。(とは返事しなかったけど)僕は、入国拒否されてタオサンガのプロジェクトが成就できなくなることが怖いのであった。“ただあなたの優しさが、怖かった〜♫” というのはかぐや姫の曲だが、それは僕にとっては、保安要員のことであった。

ガザでは毎日死者が増大していた。ローレンスは、「もう少し情勢が落ち着くまで待とうか、、、?」僕は、「人生は待つもんじゃない。創るもんだ」と即座に返答。冗談じゃない!

何ごともタイミングというものがある。今、動かなければ機を逸することが、僕には直感でわかっていた。僕はこういう直感だけは妙に働く。(GAMEチャリティックスのファイナル版で、空母から航空隊を発艦させる時のタイミングと同じなのだ) 

「しかしよりによって、何だってこんな時期にぶつかったんだろう、、、、?」こんなつぶやきが僕の口から思わず漏れないわけではなかった。

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(3)

こうして、ワークショップすることも決まった。日程は、後半にした。先にパレスチナでいろいろと動いて、タオ指圧の生徒さんには、「このような活動をしていた」と後で告げることにしたかった。

日本でほぼ休みなく動き回っていたので、途中のバンコクで3日ほど休んで行くことにした。その前日までは、東京道場で、タオ指圧クラスや念仏会と法話を2日間行う。中東に行ったら何があるかわからないので、いつにも増して一期一会のつもりでクラスを行った。まっ、気持ちは「最後の授業」っていうやつね。

フライトは、成田発バンコク行きにした。バンコクからは、トルコ航空でイスタンブール経由、テルアビブ行きのフライトである。

実は我ながらスケジュールに驚くのだが、事情があって、パレスチナの後はインドでも活動することになっていた。(これについてはあらてめてインド編で)それで、テルアビブの帰りは、イスタンブール経由のデリーというフライトを、オーストリアのエージェントに予約してもらっていた。

東京の3日間で空いているのは金、日の夜しかなかった。幸い、アーユス国際仏教ネットワークの枝木美香さんと、パレスチナ子どものキャンペーンのエルサレム現地駐在の中村哲也さんとは金曜日の夕方にお目にかかることができた。(僕的には、パレスチナで活動している人を紹介して頂くためでもあった)

そして、現地の人権団体のラビ(ユダヤ教の祭司)やキリスト教の団体なんかともつながったら良いのでは? などの有益なアドバイスなどを頂いた。

 また、折り紙のつるで有名な、広島のサダコ・レガシーの佐々木ゆうじさんともお目にかかることができ、ここでも有益な話し合いができた。

月曜日、例によって遅刻しそうになりながらも成田を出発。ガザの子どもたちのことを想って胸が痛かった、、、。

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続く

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緊張の中で準備 / 中東行き(前編)

2014/08/16 Categories:

中東に向けての出発準備、、、、。

これを説明するには、一体僕が何のために行くのかを、ここで再び説明する必要があるだろう。

、、、昨年の夏、タオサンガ世界大会を10年ぶりに行った。

タイのジョムチェン・ビーチで世界各地から総勢183人が集まり、二週間に亘って、まあワークショップのような、お祭りのような、修行のような、遊びのような、それらを全部合わさったようなものを行ったのだ。

※詳細は昨年のブログ「タイ大会はハチャメチャ楽しいぞ」http://endo-ryokyu.com/blog/?m=201308 をご覧下さい

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この大会の最終日に、ヨーロッパのタオサンガが、あるプロジェクトを発表した。

それは、終戦70年目の2015年、ヨーロッパの各地で音楽念仏の法要やらワークショップやらフェスティバルのようなものをツアーで行う“ピース・キャラバン”のプロジェクトである。

この時、僕は「おお! いいじゃん、それ。ヨーロッパのみんな頑張ってね!」とだけ、言っておけば良かった。

、、、しかし僕はつい言ってしまった。「それって、さぁー。もし“広島からエルサレムまで”っていうのを付けたら、もっとかっこいいんじゃない?」、、、この瞬間、僕の運命は決定した。

というのは、イスラエル / パレスチナにつながりがあって、エルサレムでイベントをやる話をつけに行く人間は僕しかいない。

そして日本に住んでいて、広島でイベントやれるように動くのも僕しかいない。なら、そのどちらも自分がやるしかないのである。

ひぇ〜。こうして、どんな重力をも乗り越えて成層圏を飛び出すロケットのように、あらゆる自分の状況には目をつむって、僕は動き出さなければならなかったのである。

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そして今は2014年夏。この時にプロジェクトをスタートさせなければ、機を逸する。タイミングをはずせば、ものごとは起こらないことを僕はよく知っている。

それから、自分1人でやる覚悟がなければ、どんなことも成就しない、ことも。

「言ったのにやらなかった」などというのでは、ハラきりものである。

 

というわけで、広島や日本のことで動き出したのが、7月初旬。中東の日程を決めたのもその頃というぎぎりぎりのタイミングだった。そしてそのギリギリのタイミングとは、まさにイスラエル軍のガザ空爆が始まるのでは、とうわさされている時でもあった。

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しかし僕が一番恐れていたのは、危険性についてではなかった。もちろんガザ市民のために空爆は恐れてはいたのだが、僕においての恐れとは、イスラエルに入国拒否されることだった。

これは事情を知らないとわかりにくいかも知れない。

パレスチナはイスラエルの完全占領下にあり、直接入ることはできない。パレスチナは、ヨルダン河西岸とガザ地区とに分かれているのだが、ガザはイスラエル軍に完全封鎖されていて、イスラエル当局の特別な許可がない限り入れない。(かつてはガザ国際空港があったらしいが)

マスコミは、イスラエルとパレスチナの対立とか紛争とか言っているけど、それ自体、いかにマスコミが情報操作されているかの証明である。

考えてみて欲しい。日本が朝鮮半島を占領していたとき、独立抵抗運動が起こり(そりゃそうでしょうよ。不当に自由を奪われて抵抗しない人間がいるはずがない)、それを対立とか紛争と言うだろうか? (←言うはずねーだろ)

でも、まあテロとは言うだろう。でもその前に日本がテロをやって占領したのだ。それをイスラエルとパレスチナに当てはめて考えてみたら良い。抵抗運動を弾圧し、民間人を殺しても、それを対立紛争と言い、そして戦闘と呼んでいるのは、言葉のマジックである。

なんせ、みんなイスラエルとパレスチナは対立し、紛争し、戦争やっていると何となく思っているのだから。

さて一方のパレスチナ西岸地区は、イスラエルのベングリオン空港から行くか、ヨルダンのアンマンから陸路で行くかなのだが、どちらから入るにしてもイスラエルの厳重なチェックを通り通らなければならない。

もちろん、ただの観光客というだけなら、テルアビブに向かう飛行機が出発する空港で、イスラエルの面接官に面接を受け、普通に受け答えをすれば入国拒否されることはない。(パレスチナ側に行くとでも言わなければ)

しかし半年前、オリバーの知り合いの医者20人がパレスチナの人道支援のために向かい、ベングリオン空港で全員が入国拒否にあったという。

また昨年、パレスチナでは、占領反対のための国際的な平和ウォークを企画した。これは元アウシュビッツ収容所にいたというおばあちゃんまでニューヨークから参加するというほど盛り上がりを見せ、相当数のインターナショナルな活動家が向かったものの、やはり空港で多数が入国拒否されたという話も聞いた。

いや、何としてでも入国を果たし、プロジェクトを成就させたい。僕はどんな手段を使ってでも入国するつもりだった。

普通に観光客を装って入国すれば良いではないか、と思われるだろう。しかし僕が心配するのにはわけがあった。というのは5年前、イスラエル側にはまったく行かず、パレスチナの各地で活動した。そして出国の際に、空港で止められた。

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空港で聞かれても、パレスチナにいたことは口にしないこと。写真データなど、パレスチナにいたことを証明するようなものは事前に郵送しておくこと。イタリア人ジャーナリストから、事前に情報を得ていた僕は、すべてその通りにしていた。

しかし面接官の質問のところで「あなたは、テルアビブの友人のところにいたと言いましたが、その奥さんの名前は何ですか?」

げっ!

事前に友人を語ってくれる人の名前と電話番号は用意していた。しかし、奥さんの名前までは聞いていなかった。「いやー、風邪ひいていて出てこなかったんで、名前わからなかったですねー」

、、、そしてその刹那。僕は、あっと言う間に5人の保安要員に取り囲まれ、別室に連れて行かれたのだった。


ー続くー

 

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脳天気に列島を激しく動き回った2週間!(国内すごろく) 

2014/08/14 Categories: 未分類

いよいよイスラエル、パレスチナ向けて出発する。向こうに行ってしまったら、ものを書く時間は全く取れない。だから今のうちに書いておこう、と思った。

実はここに至るまでが大変だった。

広島からヨーロッパ経由でエルサレムに往く、地球のためのワールド・ツアー・キャラバンなどという、夢物語としか思えないようなプロジェクト、、、。

これは、普通に考えたら、ものの1秒で「あっ、ムリ!」と結論を出しそうな話である。それどころか、考えもしないに違いない。

それなのに、常識的な思考回路のない僕たちタオサンガは、何も考えずに、まるで闇のなかを手探りで家を建てるようにプロジェクトを始めた。後で考えると、つくづく能天気な僕らであった。

 まずは、ここにまで至ったことは、奇跡みたいだと思った。が、それすらまだ序の口であった。

、、、まあ、その辺については後で書くことにして、まずは、どんな「すごろく」(僕は自分が動き回っての活動を“すごろく”と呼んでいる)だったか、と言うと…、。

まずは、五年前にパレスチナのナブルス難民キャンプで出会った、田中さんに会いに岐阜に日帰りした。

パレスチナでキャラバンのイベントを行う場所としてどこが良いかについての意見を聞くためである。

 

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<パレスチナの旗と、イスラエルの核兵器製造に携わった後で、それを世界に告発したバヌヌ氏の写真をかかげてデモをしている田中博さん。

僕も2、3度メールでやり取りしたことがあるが、バヌヌ氏は25年後の今も、イスラエル当局によって、未だ半軟禁状態に置かれている。>

 

翌日は、沖縄に行った。(←忙しい話だなー) 沖縄に行ったのは、うる文化協会の依頼である。戦時写真の返還式を行い、慰霊祭で導師を務めた。

30年ぐらい前に住んでいた名護にも行ったりしたので、沖縄には2泊3日した。このプロジェクトが始まったときの記事は、http://npouni.net/category/aid-activity/japan/httpnpouni-netpage_id10783previewtrue/

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<返還式>


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京都に帰らず、そのまま九州に飛んだ。浄土宗平和協会の川副春海さんに、このキャラバンの企画について相談するためである。

いろいろとポジティブに相談に乗ってくれ、実にありがたいと感謝した。(さとしさんが創ってくれた初期のチラシができていたのも、説明し易くて良かった)

 

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 <川副春海さん・浄土宗平和協会で活動する専称寺の住職>

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<早くウエブサイトを立ち上げないとな、、、>

京都に帰り、カナダから来たアレックスを迎え、島根県の和田寺に行った。

これは毎年恒例の村の人たちとの法要と、カナダに念仏道場を建てたアレックスの得度式のためである。

二泊三日。この間も様々なワークあり。

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<和田寺のご本尊>

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<10畳しかないのに、総勢30人もよく入ったもんだ〜。フランス在住のちとせさんも子どもたちを連れて参加>

 

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<台風という予報だったが、見事晴れてくれた>

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<さて、これは何をやっている写真でしょうか? 大人も子どもも入り乱れての「ゴム飛ばし戦争ごっこ」である>

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<ホフク前進で進み、顔に当たったら、ぎゃーと声を出して、撤退する。相手の旗をゴムで倒したら側が勝ち!>

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<お寺の集まりでこんなことをやっているなんて、、、。常識的な人をお誘いする勇気は、とても僕にはありません、はい。

子どもたちも4人ぐらいいたので、花火大会やすいか割りもやったけど>

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<アレックス太音(たいおん)。うん、なかなか、かっこいいな>

 

島根の帰りは、そのまま広島。プロジェクトを実現するため、いろいろな人に会いに行ったのである。

まずは、憲法九条のプラカードを持って、ねずみ男の格好で、九州から広島まで歩いたという福崎さん。

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<福崎・ねずみ男氏http://kyujyou.blog.shinobi.jp/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E3%81%AD%E3%81%9A%E3%81%BF%E7%94%B7_610

 

福崎さんの紹介で被曝二世で活動家の牧師さん、大月純子さんとも会った。

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<牧師であり活動家である大月純子さん>

そして、原爆ドームの対岸で、地球ハーモニーという音楽祭を17年間開催されて来た梶川さん。

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<梶川さんは、フルートプレイヤーでもある>http://blog.goo.ne.jp/kazeno-ie/e/e958c96e06a4cf9d84649546eaf3e99b 梶川さんにも貴重なアドバイスを頂き、また他の方も紹介して下さった。

広島では様々な出会いがあり、とてもありがたい気持ちになった。

次の日は、広島でのステージ実現のため県庁まで出向き、元自衛官のヒデさんという広島在住のメンバーと打ち合わせをしてから京都に帰った。

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<ヒデさん。元自衛官なので、戦争ごっこ遊びではサマになっていて、実にかっこ良い。

しかし彼の撃つ輪ゴムは全然当たらないので、今では僕に戦力外プレイヤーと見なされている。ははは。

それにしても国と国が戦争で決着つけるなら、輪ゴムにしたら良いのにな、と思うよ。>

 

翌日からは、いよいよ中東に向けての出発準備だった。これがまた、、、まあ簡単な話というわけでもないのだ。

 

ー続くー

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