2014年3月の記事

新しい小学校の開校に向けて

2014/03/06 Categories: バングラデッシュ支援

クルスクル村の学校でも同じように活動した。子どもたちと会い、聞き取り調査をし、先生たちとミーティングを行うのだ。

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しかしミーティングをしていても、ラカインの人たちは慎み深いというか遠慮しいである。こちらから要望を聞いても、なかなか返事をしてもらえない。

僕は強く訴えなければならなかった。「僕たちの目的は同じです。それは、ラカインの子どもたちの将来のためです。そのために、お互いここミーティングしているんです。だから遠慮していないで、ちゃんと要望を出して下さい」

その結果、ようやく以下のようなものが出された。

1)親が助かるし、アイデンティティー形成にも良いので、学校の制服が欲しい。

2)独立記念日に運動会をやるので、賞品を買いたい。

3)卒業生だが、家が貧しいために上の学校の学費に苦慮している。サポートをして上げたいが、何とかならないか?

僕らは以下のように答えた。

1)制服については、予算を組みすので、見積もりをお願いします。

2)運動会の賞品は、ラジョーさんと一緒に買い物にいって下さい。

3)その子の写真、プロフィール等の詳細なデータを下さい。ラジョーさんが面接した上で、NPOユニが支援してくれる里親を探します。

その後、ラジョーさんが定期的にチャリティックスと念仏を教えに来ることなどや、今後のいろいろなことについても話し合った。

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<教室で、日本から持って来た“はちみつキャンディ”を配る>

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 <おみやげを喜ぶ子ども>

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<うあ、おいしい!>

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<いろんな年齢の子が通っている>

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 <実は校長もチャリティックス大好き!>

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次にチョコロンギー村を回った。クルスクル村から、さらに河を越えて行ったところだ。昨年は、ボートで渡った。でも、今年になってようやく橋が完成。思ったより短い時間で着いた。

ここは昨年、ラカイン仏教福祉協会の長老たちにサポートを要請され、調査に訪れていたところだ。

そのとき、村の主だった人たちが集まり、かなり具体的な話までした。しかしその後、進展がないままだった。僕は今年こそ、実現に向けて動きたいと思っていた。

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<この村には、河を越えて行く>

昨年、僕らは村のリーダーたちに、村の孤児たちのリストを集めることを依頼していた。今年行ってみると、それらのリストはすでにできていた。17人の孤児(片親のいない子も含む)がいるという。

学校として使う建物の候補を見に行く。でも、うーん、ちょっと狭いなあ。という感じだった。その場でずい分議論した。しかし、最適な学校候補地についての結論は出なかった。(後日、仏教福祉協会を通してお寺と交渉。その結果、お寺に併設された建物を学校として使うことになった)

村でのミーティングのとき、村のリーダーの言葉が僕の心をついた。

「10年以上前まで、ワールド・ビジョンという団体の援助で、学校を開けていたこともあった。でも期限が来て打ち切られてしまったんだ。ワールドビジョンって、キリスト教の団体だろ。でもNPOユニは仏教の団体だ。ユニがラカインの仏舎利塔を修復してくれたことは、村のみんなも知っている。仏教の団体からの援助なら、たとえ1円だってオレたちは嬉しいんだ」

 チョコロンギー村。新しいラカイン・ユニ小学校の開校だ。

 

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<とことん話し合う>

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 <最初の話し合いで出た候補地>

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<これではちょっと、狭いですねー>

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 <仏教の支援団体が来てくれたのは初めて、と語る村長>

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 <孤児の1人。この子も里親が現れるのを待っている>

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ミャンマー国境に近い村へ

2014/03/05 Categories: バングラデッシュ支援

ほんの1年前までは、毎朝5時に街中に鳴り響くコーランの大音響に起こされていた。それが今年からはすっかり静かな響きになった。

おかげで眠れるようになった。そんなところにも、バングラデッシュの最近の変化が感じ取れた。

 さて、朝起きて居間に行くと必ず見る光景は何か? ラジョーさんの息子セナ君(7才)が、熱心に研究している姿である。夜も寝るまで研究し、学校からから帰ったらまず研究。ひたすら研究の日々なのである。

研究って何を? ゲーム・チャリティックスの戦法である。一人で黙々と研究している様は、まるで将棋のプロ養成所、奨励会の少年のようである。そして実際、普通の大人ならまず勝てないほど強い。デフェンスなどは、チャンピオン・レベルである。

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<セナ君(左)は、朝から晩まで熱心にチャリティックスを研究している>

朝は居間で、ラジョー一家と日本からの一行の4人、総勢8人で念仏のお勤めを行う。(子どもたち2人も参加している)そして、簡単な朝食を済ませると出発である。 今日からは村をいくつか回り始める。

ガタガタと砂埃を上げて走って行く車の中で、まだかな? 着くのはもうじきかな? といろいろ思うのを諦めた頃。やっと着くのが、チョドリパラという村。

NPOユニが運営しているラカイン小学校があるところだ。片道3時間半の道行き。道が良いわけではないから、まあ楽な道程というわけではない。

子どもたちのお出迎えを受け、挨拶やお話しをしたり、お土産を渡した。またチャリティックスで遊んだりした。

その後は、新しく赴任した僧侶を交えて先生たちと懇談。そして、17人の孤児(両親、または片親のいない子どもたち)一人一人と会って、将来の夢などの聞き取り調査を行った。

このファイリングを元に、帰国後、この子たちの里親(月3000円+NPOユニの月会費500円)になってくれる人たちを日本、北米、ヨーロッパで募るのだ。

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 <車はただひたすら走る>

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<諦めた頃にやっと着く>

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<歓迎の花を差し出してくれる子どもたち>

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NPOユニは、2007年から、バングラデッシュの少数民族・仏教徒であるラカイン人のための小学校を支援している。

里親からの支援は、孤児たちの学費や食費の他、今後開校する新しい村の小学校の先生たちの給料(政府から援助はない)にも当てるなど、学校の運営費になる。

ユニセフなどの大きな団体だと、経費の占める割合が極めて大きいようだ。(まあ無理もないのかも知れないが)その点、NPOユニは違う。里親からの3000円は、そのまま孤児とラカインの小学校のために使われるのだ。

そしてここはさらに自信持っちゃうところだが、里親には3ヶ月ごとに子どもからの手紙、写真、先生からの簡単な報告等が届く。

ラカインの村は、全部で17。しかしその内、ラカイン小学校が開校しているのは、NPOユニが支援している2つの村だけ。

こんな辺鄙なところには、海外からの支援もあまり届かない。でも、NPOユニは、今後他の全部の村の小学校も開校していくつもりだ。

ミャンマーから来たという新しい若いお坊さんはマジメそうな人で、僕はとても好感を持った。今後、学校の運営にも積極的に関わって欲しいと思う。

僕は先生たちに、「必ず、子どもたちが英語を普通に話せるようにして欲しい」と要求した。そして、英語の先生をもう1人増やすことを提案し、以前いた年輩の先生を呼び戻して欲しい、とも伝えた。

村でお昼を頂いた後は、少し休み、家路に着く。再び3時間半の道行き。途中、ミスター演説ことカリム氏の事務所に寄って大歓迎を受ける。

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 <新規赴任のお坊さんを交えてミーティングする。僕は先生たちに、子どもたちにはぜひ夢を与えて欲しい、と熱心に伝える>

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<“NPOユニの皆さんには、心から感謝しています”と新しいお坊さんは語る>

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その後、孤児たちにも1人1人会って、夢を聞いたりなどのお話しする。以下は孤児たちの一部の写真。

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<“夢に向かって、走れ少年!”>

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 <この子らの“未来に幸あれ!”と願わずには、、、>

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<“この子たちの里親になって、夢を与えてくれる人を探そう”と思う>

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 <彼が裸足なのを見て、“靴のプレゼントを持って来て良かったな”と思った>

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<見送りに来てくれた子どもたちと、”また遊ぼうね!”>

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夜は、今後の展開についてのミーティングで話し込んだ。そのとき、まったく新しい発想が閃いた。

 それは、“ラジョーさんが定期的にラカインの小学校に、チャリティックスと念仏を教えに行ったらどうだろうか?”というものである。

 というのは、今後、コックスバザールの2つの小学校では、学校の課外プログラムとして、チャリティックスが始まる。ラジョーさんはそれの指導にも行くようになる。“ならば、ラカインの小学校でも同じことをすれば良いではないか!”と、僕は思ったのだ。

ベンガル人系の小学校では、チャリティックスの指導はできても、イスラム教徒だから念仏は無理だ。だが、仏教徒ラカインの小学校なら、念仏やその他、タオサンガでやっていることをいろいろ教えることが可能だ。

ちょっとイメージしてみたら、“きっと面白いだろうな!”と思った。それでラジョーさんに提案したのである。もちろん、彼も大賛成である。

 実はこれ、今までは全然考えつかなかった。というのは、僕には「キリスト教は、援助しながら布教する」というイメージがあった。(もちろん、そうじゃない人もいるだろうし、もしかしたら僕の偏見なのかも知れないが)

いずれにしても、そのようなやり方に僕は違和感を持っていた。援助者は、その土地の文化を尊重し、それ以上は立ち入るべきではない、という思いを強く持っていたのだ。

しかし、そう思ってずっと接して来たラジョーさんが、いつの間にかタオサンガの念仏者になっていた。僕からは一言もいわなかったのにも関わらず、、、。

そして今やコックスバザールで念仏を広め、「念仏していると幸せだ」という人たちまで生まれているのである。

 ならばいっその事、ラジョーさんが念仏の坊さんになって、この地で念仏を広めたらいいやん、僕はそう思ったのだ。(ラジョーさん、すでにラカインの坊さんを一度やっているし)

※ところでラカインの子どもたちを援助する里親になってくださる人がいらしたら、ありがたい! ぜひご連絡下さい。僕のFacebookメッセージでもいいし、NPOユニのウエブサイトを通じてでも。

 

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