いろいろな坊さんが人生相談のような質問に答える「ハスノハ」というサイトがある。

実は僕もこれに登録していて、忙しいのについ夜中に回答していたする。(その割にはウケなくて、落ち込んだりするのに)

そこのサイトの自己紹介に「筋金入りの元家出少年です。ティーンエイジャーの頃は、徹底的に自己破壊的な行動を繰り返し、高校も2つ中退しています。

現在は、なぜか浄土宗和田寺の住職ですが、和田寺にはガスも水道も電気もありません。」なんて書いた。

悩んでいる人には、これぐらいが親しみを感じてもらえるかな?と思ったのである。

その数日後、知らない人からアースキャラバン関連で電話がかかって来た。

するとその人に、「どこかのサイトで見たんですけど、あなた昔、不良だったんですって?」と言われてしまった。

(ヤンキーじゃないんだけどな、、、)と思ったけど、どう答えていいのかわからず、「ええ、まあ、、、」とお茶を濁した僕だった。

電話を切ったあと、自分のことでアースキャラバンや和田寺の評判が悪くなったら、それもナンだな、なんて妙なことを思ったので、下記のように変えてみた。

僕はウイキペディアでは以下のように紹介されています。


「日本、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、オセアニア、中東、タイ、バングラデシュで活動す る指圧師、作家、音楽家。

タオサンガ・インターナショナル代表。京都浄土宗和田寺の僧侶。タオ療法、タオ指圧、気心道の創始者。著書は数カ国語に翻訳され 世界各地で出版されている。」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E8%97%A4%E5%96%A8 %E5%8F%8A

でもやっぱり、エライ人だとか思われるのは困る。

それで、下記を付け足した。

「が実は、元家出少年です。ティーンエイジャーの頃は、徹底的に自己破壊的な行動を繰り返し、高校も2つ中退しています。

現在は、浄土宗和田寺の住職で、一般の人が気軽に修行できる場として、京都と東京に道場を作りました。(道場はその他、世界各地にもあります)

なので、修行したい人、人のために涙する人、楽しいことが好きな人はぜひ来てください。あなたを歓迎します。」

どっちの雰囲気がより近いのか、と聞かれたら、それはもちろん付け足した方である。

フーテンと呼ばれるのはともかく(実際16歳の頃、「青少年」というのが僕のあだ名で、阿佐ヶ谷最後のフーテンと呼ばれた)、元ヤンキーと思われるのはシャクだぞ。

ああなんか、すっごくどうでもイイことを書いてしまった、、、。

いっそ、「まだ不良ですけど」って答えりゃ良かった。

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 和田寺の石仏

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<1>

30年以上もの間、ずーっと懸案事項だった問題がようやく解決したのが、今日だった。

一体何の話だ? と思われることだろう。

僕のスピリチュアル・ヒストリーの話である。(人によっては、なんだそんなことか、と思われるかも知れないけど)

 <2>

僕は、19才の頃に念仏修行を始めた。そしてそれから数年の間に、様々な体験をした。

それは、念仏三昧による霊的な浄化作用(諸霊救済の体験)だったり、阿弥陀如来の実在に触れて身心脱落するという、圧倒的な宗教的体験だったりもした。

 

その後はその裏付けとなるものを求めて、弁栄上人の説かれた教学や経典を読んだりしていた。

しかし自分の霊的体験にどのような仏教的整合性を持たせて、その後の修行を進めて良いのか、皆目見当もつかなかった、、、。

だから、その後の修行が進まず、ずっと足踏み状態が続いているような気がしていた。

 

仏教的整合性がなければ、霊的浄化作用などのメソッドはできない。それは自分の心身にとって、かなりの死活問題だった。

このため、これにどう仏教的な整合性を持たせて自分を納得させるが大きな課題だった。

僕は、自分より先に進んだ人にぜひとも教えて欲しい、自分を導いて欲しいと切実に思った。が、あいにくそういう人は見つからなかった。

 

<3>

19歳で念仏に出会ったとき、自分の心身の絶不調が霊的世界の影響だった、ということがわかった。子供の頃からずーっと背負って来た重苦しいものが、すっかり晴れわたったのだ。

 それは、そこの道場で聞いた、現象世界が霊的世界の様々な影響を受けているという説明で理解できた。また自分でも実際にそう感じた。

 僕の場合は、霊的なものが心身の調不調とかなり密接に結びついているようだった。もっとも、誰しも気づかないだけで、実際にはそうなのかも知れないのだけど。

 そこの道場での経験から、どのようにしたら救われない諸霊が救済されたり、魔が消えたりするのかは、ある程度分かるようになってはいた。

 そして、自分の所に来ていた救われない霊が天上界に救われると、心身が本当に楽になった。

 

やがて指圧臨床でも、患者さんには何も言わずに、密かにそういう治療をすることなどしていた。

 スエーデンボルグも言っていたけど、実際、霊的なことが原因で起こっている健康の問題は多い。(経絡指圧の創始者、増永静人先生もそう言っていた)

 救われない諸霊は存在し、それらが自分の「気のからだ」や「霊のからだ」<注:参照>にくっつけば、心身の不調が起こる。

重苦しくなったり、頭が痛くなったり、脳みそが痒い感じがしたり、イライラしたりするのだ。

<注>:人間には、肉体以外にも目に見えないそういう四種の体がある。そしてこれらは、タオサンガのワークショップで誰でも体感してもらえます。興味がおありの方は、拙著「気の幸福力」(法蔵館)をご覧下さい。

 

僕は子供の頃から、先に述べたような症状に苦しめられて来た。

 それらが、たった3か月間、毎日のように道場に通い、一回2時間の念仏行に参加することで、すっかり晴れわたった。

 しかし、やがてまた諸霊が救いを求めて自分に頼って来るようになる。すると再び重苦しくなったりした。

それで自分なりに、霊的救済の方法を学んで行ったのだった。

 一度、心身が晴れ渡った快適さを知ってしまったらもう後には戻れない。霊的メソッドは、自分が日々気分良く過ごすためになくてはならないものになって行った。

 

ただし霊的メソッドには、”こうしたらこうなる的”なマニュアルがなかった。

マニュアルがなければ、他の人にシェアできない。

 繰り返すが、僕が19才から数年間修行していた道場は、そういう霊的なことを専門でやっている所だった。

僕はそこで、それらの霊的メソッド(マニュアルはないけど)を学んだのである。(ああ、ついにカミングアウトしてしまった!、という気分で、今これを書いている)

 

<4>

ただし、これには問題があった。

まず、”霊だ何だ”とやっているのは、実は悟りの世界とは無縁な話なのだ。

 もしかしたらあなたは、これを聞いて「えーっ!?」と思ったかも知れない。

 だって一般の人は、葬式で坊さんは霊を成仏(浄土往生)させている、と思っているだろうからだ。

だから通常、「霊と悟りは無関係」と聞いたら、「???」となるだろう。

 この辺は、仏教の中に深ーく入っている人でないと、分かりにくい話だろうと思う。

でも実際、霊と悟りは無関係だし、これは実に厄介なテーマなのである。

 

そもそも原始仏教のお釈迦様は、霊の救済などまるで説いていない。

それどころか、否定されているぐらいである。

これらのテーマについて誰かが質問しても、まず答えない。(これを無記という)

大乗仏教になってからも、基本的にはそうだ。(「天台小止観」には、魔の対処法が若干書いてあるけど)

 何せ悟りというのは、「無分別智」すなわち自他を分けない智慧から生まれる。

自己と世界(宇宙)とが一体であることが基本だ。

 だから禅であろうと念仏であろうと密教であろうと、宇宙大霊の仏(あるいは空)と一体となるのが目的である。

本来は、修行中に個別の霊などに目を向けていてはいけないのである。

 それに、大円境鏡智の哲学から言っても、世界はすべて自己の想念の投影だ。

量子力学的にもそうだ。霊だのなんだの言っても、所詮は自己投影の産物として、放下しなくてはならないのである。

 

<5>

ところが、だ。

これまで繰り返し述べたように、僕が修行していた道場は、霊の救済などが専門だった。

 そして、約2時間の修行が終わったあとは、心身が本当にすっきりと楽になった。

めちゃくちゃ楽で、気分が良くなるのだ。

 だから19才だった僕も、“宗教なんてイヤだし、やめようやめよう”と思いながら、念仏にハマって行ってしまったのである。(まるでドラッグのように)

 やがて僕は、そこでの修行の結果、阿弥陀如来の実在を日常で体験するようになった。

 しかし霊の救済だけに専念していてはだめだ、と思わされた。

いかに心身が楽になるとは言え、いかに大きな宗教体験を得たとはいえ、それだけでは、真実の悟りに至る道を他と分かち合えるようにはならない、、、。

 霊的メソッドは悟りの道筋ではないし、何よりどうしても仏教との整合性が取れない。

悩んだ挙句、僕は一旦、その霊的修行の方法を捨てた。

 そして伝統的な仏教や、大乗仏教の最高峰とも言える弁栄上人の教えを学び、それらにしたがって修行し直そうとしたのである。

 

 しかし、だ。

教えに従って修行し直しても、また様々な修行法を試しても、さらなる悟りの世界には進めなかった。(修行が足りない、と言われたらそれまでなんだけど)

 さらに、悟り的体感を他にシェアする方法も得られなかった。

 そして霊的なことには一切目を向けないようにしようとしながら、僕は時折、霊的なものにやられ、心身に不調を来たした。

 そしてそのつど、諸霊救済や魔の光化などの霊的メソッドに頼らざるを得なかった。

 「ああ、”もうやらないようにしよう!”と思っていたのになぁ、、、。でも、霊的世界は現象界に影響しているんだから、どうしても無理だよなあ、、、」というのが、結局は本音であった。

 そして、指圧臨床の患者さんで、”どうしてもこの人には霊的なメソッドを行う必要があるな”と感じた場合は、そっと黙って陰でやって差し上げることもあった。(まるで星飛馬のお姉さんが、柱の影からそっと見ているみたいな話だな、、、)

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<柱の影から見守る星飛馬の姉、明子「巨人の星」川崎のぼる>

また時には、特別に諸霊救済の念仏や読経をして差し上げることもあった。(それは、何年かに一遍ぐらいのものだった。僕としては、なるべくそっちの世界には行かないようにしていたのだ)

 仏教の哲理や悟りへの道 vs 諸霊救済や魔の光化。

この両者の折り合いをどうつけたら良いのか? これは僕にとって、人生最大の課題といっても過言ではなかった。

 霊的なメソッドにしたがえば、心身がふあーっと楽になるのはわかっている。

しかしそれは、悟りの道でないのではないか?

 だからやっちゃいけない、、、。

いやしかし、霊的なことは心身に大きく影響する。

それをしないままでは、時折、霊的なものに影響を受けてやられちまう、、、

いや、しかし、、、。

 この問答は、20代半ば以降からずーっと僕の無意識を支配していたのである。

 

<6>

それが苦節OX年、やっと解決することができた。

諸霊救済や魔の光化を行いながら、真実の悟りへの道筋である門が生まれたのだ。

修行法をマニュアルとして体系化することができたのである。

それは実際には、レンガを1つ1つ積み上げて、でき上がるのかどうかもわからないビルを暗中模索のまま建てて行くような作業であった。

同時に、「まさか」と思うようなコペルニクス的転回があった。

 その体系が、「誰もが悟りを体感できるメソッド」として確立したのだ。

これができたとき、”僕は、これを創るために生まれて来たのかも知れない。もうこれで死んでも悔いないな”と思ったぐらいである。

<7>

 これらはワークショップのプログラムとして成立させる予定だ。

もし人々がこのワークを通じてエゴを乗り越え、信仰と修行を内的に確立することができたなら、人生において智慧を増進し、幸福力を高め、潜在力を開発し、願いを成就することができるようになるだろう。

 人生の平和、幸福、歓喜、自由が得られるのだ。

さらに、経絡の診断や治療だって軽々とできるだろうし、霊的なメソッドも身に付けるも違いない。

 この修行法を体系づけることができたとき、僕はまるで、長年の苦労の末についに金鉱を掘り当てた「山師」のような気持ちであった。(やったぜ! みたいな感じ)


だって、このメソッドによって、誰もが悟り体感を得られる時代がやって来たのである。

こんな嬉しいことはないじゃないか。

 

ただ、ちょっと思う。

”こんな時代に、エゴを捨て、純粋に悟りを求める人なんかいるんだろうか?”

”三宝を受持し(我がこととして引き受け)、憶念し(愛し)、讃嘆し(喜び讃え)、決定する(自分よりも法を尊ぶ)人なんかいるだろうか?”って。

 いや必ず、これから僕の目の前に、そんな人たちがたくさん現れるに違いない。(キッパリ!)

 早く会いたいなあ。

、、、一日千秋の想いで僕は待っている。

 たとえ100年でも200年でも。

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音楽の練習再開した日、キティレコードが造った伊豆スタジオでレコーディングした一人として、なぜか自分の名前も掲載されているのを発見した。http://izu-studio.com/about/ 

このシンク ロニシティに、“お前、ミュージシャンなんだぞ、忘れんなよ”って言われた気がした。(写真は、6枚目のアルバムのレコーディングの時のもの)

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涙が出るほど、嬉しいことがあった。

 先日のブログを読まれた方から、新しい村をいくつも支援できるほど大口の里親支援のお申し出があったのだ。

 

新しく里親になって下さるという方から、連絡があったことを担当のあみさんから聞き、ありがたいな、嬉しいな、と思ってお礼のメールを出そうと思っていた。

 しかしその翌日、額を聞いてビックリ。小心者の僕は、そのままフリーズしてしまい、

”いやしかし、これは何かの間違いかも知れない”などと思って一人ドキドキしていた。

 

しかし、どうやらほんとらしい。。。。・

かと言って、このままフリーズしているわけにもいかない。

 

寄付文化のあまりない日本では、利他的な活動をしていて、かつ社会的に成功している(であろう)人って、実は、いそうでなかなかいないものである。

(よく考えると不思議なんだけど、それとも僕があまり出会っていなかっただけなのかも知れないが)

 

というわけで、あまり滅多には、お目にかかれないタイプの人だけに、どうメールを書いたらいいのだろう? と考えあぐんでしまった。

 アメリカ大統領に会ったって、そんな緊張しないぜ。(会ったことないけど)

余談だけど、そういえば一昨年、広島のテレビ局から、”番組のために、オバマ大統領に一言メッセージを語って欲しい”と言うご要望があった。(都合が合わなかったので、お断りしたけど)

 

結局、ありがたい気持ちをそのまま書いて送ったが、

そのとき、僕の目には涙がにじんでいた、、、。

 

<追記> 僕らがつながるのは、ラカイン村のこんな子供たちである。


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下は一年前の写真。彼は、高校生だったが、片親で極端に貧しく、いじけて不登校になっていた。

それで僕は、「絶対、里親見つけるからさー」と言って励ました。

そして後で、ラジョーさんに「お年玉あげて励ましてあげて下さい」と言って500タカを渡した。

(日本円で600円〜700円ぐらい?だったかな)

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そして彼にも里親が見つかり、再会した時はこのようになっていた。無事、高校にも復帰していた。(←高校中退の僕が言うのもナンだが ^ ^)

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人は変わることができるんだよなー。

ほんの少しの後押しと、寄り添いがあれば、、、、。

と今、この写真を見ながら思った。

里親になってくださる方々に、僕らは支えられている。

 

 

 

 

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1)

これまで何回、この橋を渡ったことだろう?

木製の不安定な橋の上を、理由もなく全力疾走する三輪ミゼットに揺られながら、僕はふと思った。

向かっている先は、バングラデシュ北部にあるクルスクル。

少数民族・仏教徒ラカイン人が暮らす村だ。

ここには、永らく閉校になっていた小学校があった。

それは子供達がラカイン民族独自の言語を学んだり、教育レベルを向上するための学校だった。

廃校していたのは、何年か前にワールドビジョンという世界的な団体が、それまで行っていた支援をストップしていたためだった。

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<クルスクル村>

あれは8、9年前だっただろうか、、、。

はじめて訪れた僕らが、長らく閉鎖されていた学校のドアを開けたのは?

建物の無残な内部がさらけ出され、朽ちた机の上にはゴミが溜まり、ホコリが舞っていた。粗末な教室の中には諦めの空気が漂っていた。

僕らは村のリーダーや坊さんと、学校の再開について相談した。

先生たちを4人ほど探してもらい、人数分の新しい机と椅子を用意した。

そして先生たちには毎月の給料を保証し、閉鎖されていた学校を再開した。看板も新しく掲げた。

別段、「少数民族として暮らす仏教徒の人々に希望を与えよう」とか、「子供達の夢を叶えてあげよう」など、

そんなこっぱずかしく、赤面するような高邁な理想があったわけではない。

始めたのは、単に「そういうのをやるのって、面白そうじゃん」というノリだった。(だいたいが、何やるにもそうだけど、、、)

ただし、このダンスは一度踊り始めたら途中下車はない。

途中でストップして村人を失望させ、再び諦めの空気を村に創るわけにはいかないからな。

でも、日本の人たちで収入の一部を出し合えば、その日本円は、バングラデシュで何倍もの価値をもって使われることになる。

為替のマジックと言ってはそれまでだが、みんなの力で学校を運営できるのだ。

こんな素敵なことはないのではないか? (とここは真面目に思う)

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<算数の先生と子供たち>

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<どういう訳だか、子供たち1人ずつに文房具を渡すというシチュエーションに、、、。

うぅ、かなり苦手な役割である。>

2)

そして毎年毎年、バングラデシュにやって来ては、この橋を渡る。

学校の状況を見る。要望を聞く。そして改善を続けて行く。

さらに新たな別の村の学校を開けていくべく、村から村へと巡る。

今年は四校目を開校させるべく動いていた。

村に行って僕たちが集中して会うのは、村のリーダーや先生たち(または先生候補)だけではない。

子供達にインタビューする。

親のない子や、片親の子、また親があっても病気、

あるいは極端に貧しく(基本的にはみんな貧しいのだが、「輪を掛けて」という意味)、

支援を必要とする子たちに、である。

その子たちの希望や将来の夢などを聞き取っていく。

 日本の里親になってくれる人を探すためだ。

孤児などは、誕生日を聞いても知らないことも珍しくない。それは聞いていて胸の痛むことだった。

”里親を探す”といっても、別段引き取ってもらうわけではない。

1〜3人で合わせて月に3000円ほど支援してもらい、それで小学校の教員たちの給料の一部を払う。

さらに、その学校に通う子供達のノートや鉛筆などを支給する費用にもなるのだ。つまり里親たちで村の教育を支えるのである。

ようするに里親たちに援助してもらうのは、居酒屋に行く程度、またはそれ以下の費用で済む。

また里親は、三カ月に一回、里子からの手紙を受け取ることになっている。

日本から僕らが行く時には、里親からの手紙を預かって行く。

そして、現地メンバーである、ラカイン人のラジョーさんに、僕らが読みあげる手紙を通訳してもらう。

3)

さて今回も、里親からの手紙を持って村を巡った。

僕は、読み上げてもらう手紙の通訳を聞いている時の、里子の顔が見るのが好きだ。

とっても嬉しそうな顔をするからだ。

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<里親からの手紙に、赤ちゃんのいる家族写真が入っていた。里子の彼は、

「この子は、僕の日本の妹っていうことだよね」と言った>

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読み聞かせてもらった後、彼らは読めない日本語の手紙を大事そうに、持って帰る。

こういう時、“慈しみ”と言う言葉が、その空間に漂っているような気がして、

僕はその空気の粒子に見とれているような気がする。

それは、”誰が誰を慈しむ”と言うのではなく、関係性そのものに漂う空気である。

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<里親からの手紙を聞かせてもらっているところ>

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<真剣なまなざしで聴いている>

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<そして、恥ずかしそうに、嬉しそうに、大事そうに手紙を持っていく>

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<こんな顔も>

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<こんな顔もある>

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<どの子も嬉しそうである>

こんな笑顔が原動力になっているのかは不明だが、さらに学校を増やそうとして動いている。だが、いかんせん里親の数がまだまだ足りない。

だから、予算はオーバーしている。でもこの地域に、通常、国際団体の支援は届かない。(ごく稀にあっても、一定期間後にはストップしてしまう)

僕らNPOアースキャラバンがやらなければ、全部で17あるラカイン村に、彼ら独自の小学校が開校することはないのだ。

それで毎年、新しい村の調査をし続ける。

そして孤児などに会って「必ず里親を見つけるからね」と約束する。

手紙を読んでもらっている時の嬉しそうな顔が見たくなるから。

        *********

いずれは、村々の学校を回る里親ツアーのようなものや国際ワークキャンプを企画したい。

もっといろんな人に、この里親プロジェクトのことを知らせたい。

そして、このゾクゾクするような面白さを、

ぜひ皆さんに味わってもらいたい。

、、、と、本気でそう思う。

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<驚くかもしれないけど、これが学校(ザフカリ村)。ここはまだようやく1年目。

NPOアースキャラバン・ラカイン子供センター ”ザフカリ校”の看板はこれから設置の予定>

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<こちらは、3年かけて話し合い、これからようやく開校にこぎつける新たな村のリーダー>

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<驚くけど、ここを整理して学校にすることになった>

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<ザフカリ村の優しそうな村長さんが、父親が病気で困窮している家庭の女の子に会わせてくれた>

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<”じゃあ、あなたにも里親探しましょうね。”というと嬉しそうな顔で笑った>

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<この子にもそう伝えると”えっ?”と言って驚く>

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<”じゃあ、ちゃんと写真撮ろうね”と言ってポーズ。”きっと誰かに里親になってもらえると祈りながらシャッターを切る>

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<「2017年の開校目指して頑張りましょう」と村長に言って、僕らは移動する>

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本題に入るまでがえらく長くなってしまい、

ほとんど「いわゆる”精神文化”における師弟とは、一体どのようなものか?」についての論になってしまった。

 

それに、内容が内容だけに、少々堅苦しい話にもなった。

なので、興味のある方のみご覧ください。

 

 

 

1) 人はどのようにしてお客様(神様)化するか?

 

曹洞宗の開祖である道元禅師に、「弟子は師匠以上になってから、はじめて弟子と言える」という言葉がある。

これはどういう意味なのだろう?

 

一般的に師匠とは教えを授ける者であり、弟子はそれを受ける者だ。

ここで僕が言っているのは、カルチャーカルチャーセンターの講師と生徒では無い。

 

また大学や専門学校のそれでもない。

 精神文化を伝え、伝えられる者同士の話だ。

 

お互いの身過ぎ世過ぎのために行っている教育では無い。

もし身過ぎ世過ぎのために教える行為が教育だと言うなら、それはもはや精神文化ではない。

経済活動=ビジネスである。

 

ビジネスなら、指導する側は自分の技術(あるいは心技)を買ってもらう側=商売人だ。

商売人にお客様を選ぶ権利はない。

 

選ぶ権利があるのは、常にお客様だ。

 お客様は、「私に対する扱いが悪い=サービスが悪い」とか、

「私はここが不満だ=教えるあなたは、私の不満を満たすべきである」

などと、文句を言うことができる。

 

あるいは指導する側に対して、

「そんな難しいことを要求しないでくれ。私ができる範囲のことだけ教えてくれ」

と言うこともできる。

 

何せビジネスである以上は、教わる側はサービスを売り、買う側は神様なのだ。

お客様としては、嫌になれば、「そんなら、こんなところ辞めてやる」とすれば済むのである。

 

実は、この消費者感覚ともいうべきお客様感覚は、人々の行動のあらゆるところに顔を出しているような気がしてならない。

だから学ぶ側は、「この学びを後世に伝えよう」などと考えることは、まずない。

 

自分の都合が良い範囲だけで関わろうとする。

 

だから、他に伝えることは、自分が引き受けるべき責任だ、などと思うこともない。

そしてこの精神態度が、仏教を含む様々な精神文化にまで入り込んで来ているのである。

 

実はこれ、スピリットにとっては致命的なことである。

霊的生命はこの精神態度いかんによっては、死滅するからだ。

 

意外に思うかも知れないが、学びを教えることがビジネス行為なのか、それとも精神文化を伝える行為なのかは、教える内容によるのではない。

指導する者と教わる者との相互の精神態度によるのである。

 

 これは、仏教であろうとタオ指圧であろうと、まったく同じことだ。

伝える者にも教わる者にも、後世に引き継いでいく者としての矜持や責任がなければ成立しない。

 

 後世に引き継ぐ矜持と覚悟とは、今まさに以心伝心に伝えられている場(道場=道の場=人々)に対する責任を

どこまで引き受けているかによるが、もしそれがなければ、学ぶ者はお客様(神様)化する危険をはらんでいる。

 

 2) ほとんどの人は、「学び」の何たるかを完全に誤解している

 

引き継がれない生命(いのち)は死滅する。

教えの根幹である霊的生命も同じだ。次代へ渡す責任を実践的に負う者がいなければ死ぬのだ。

 

そもそも、他に分かち合われない教えとは、スピリットが抜けて形骸化された文字が、個人個人の頭の中にあるだけに過ぎない。

 これは、一見学んだようでいて、実は何一つその学びは実を結んでいない、ということだ。

 

実は、「教えを受ける」とは、単に「教えてもらう」ことでも、知識や技術を記憶することでもない。

 

他にバトンを渡すこと。

 後世に想いを託して、同時代の他の人々に分かち合うために心を砕くこと。

学びとは、これの実践に他ならないのである。

 

そして行動の中に未来の原因を含まない現在は、やがて、ただの過去の記憶に過ぎなくなる。

 

仏教で「受持」というのは、教えを受け、それを自らの霊(たましい)に保つ(持つ)ことを言う。

 

教えを受ける、と言っても、単に文字の羅列を記憶の中に留めるだけでは、それは「教えを受ける」とは言わない。

教えとはスピリットのことだから、個人にとどまることはないからである。

 

「教え」とは霊的生命だから、そもそも、自分の中にとどまることなどできやしないのだ。

 真の学びとは「教えに生きること」であって、言葉を記憶し、動作を記憶通りにやることとは何の関係もない。

 

それにしても、とため息をつきたくなる。ほとんどの人は、「学び」の何たるかを完全に誤解している。

 

もし法然上人の「教え」を知りたければ、法然上人が、どのように教えを分かち合ったか、その行動を知ることである。

 

しかし、「知った」ことは知識を得たに過ぎないのだ。

それでは法然上人の教えを学んだとは言えないのである。

 

なぜなら、「教え」を学ぶとは、例えば、法然上人が修行したのと同じ気持ちで自分も修行し、法然上人が教えを他と分かち合ったように、自分も他と教えを分かち合うことだ。

 

それらの実践によって味わう、様々な労苦や喜びを体験することをこそ、「学び」と言うからだ。

そもそも、身をもって示された教えを実践せずして、何をもって「教えを学ぶ」と言うのであろうか?

 

教えは、他へに分かち合うための大河の一部となる者がいれば、、、すなわち、真に学んでいる者がいれば、その霊的本流は、生命を保つことができる。繰り返すが、仏教はこれを「受持」と呼ぶ。

 

自らが他に渡すパイプとなってこそ、常に新たな霊がたましいに入り、その命脈は保たれるからだ。

 

 3)宇宙大霊は、必ず霊的本流を受けるたましいを探し出す

 

道元禅師は、「たとえ七歳の女の子でも、自分の救いよりも、一切の幸福を優先させて修行すれば、世界の導師である」と述べた。

 

そして懐奘という素晴らしい弟子がその後を受け継いだ。

 

さて、ここでやっと本タイトルのブログの本題に入ることができる。

道元、親鸞、イエス、それぞれの言葉を見てみよう。

 

「弟子は師匠以上になってから、はじめて弟子と言える」(道元禅師)

 

「親鸞は弟子を一人も持たず」(親鸞上人)

 

「弟子が先生以上になる必要はない。先生と同じようになれば、それで十分である」

(イエス)



この3つは違うようでいて、実は同じことを言っている。

 

まず道元の言葉だが、彼の弟子の懐奘は、道元が自身の師匠である如浄の教えや他の人々を受持したように、道元の教えを受持した(学んだ)。

 

それは道元にとって無上の喜びだったろう。

 

だから道元にとって懐奘は、心の中で賛嘆の対象だったと思う。

 

そして道元はその想いを、「師匠以上」と表現したのである。

同時に、”懐奘こそは、本物の弟子だ”とも思ったのだ。

 

次に親鸞の言葉だが、これも本音は同じだ。

同じ受持をしたならば、それはもはや師弟という関係性を超えている。阿弥陀仏の本願が共に分かち合われたからだ。

 

「あなたは受持したんだから、もはや他の人にとっては師匠。僕と同じだよね」という想いを表現したのが上記の言葉だ。

 

もっとも親鸞の場合は、受持していない者に対する、もう1つの意味もあったと思う。

 

「受持していない人のことは、阿弥陀様に全面お任せしてるんだよね」、と。

いわば、突き放しとも、おおらかさとも取れる言葉なのである。

 

ではイエスの言葉はどうか?

人類のカルマを我が一身に受持した(責任を持って引き受けた)イエス。

他の苦しみを全て引き受け、無償の愛を与え続けたイエス。

 

まあ、これ以上はないほど、人々の存在に対する責任としての「受持」の見本を見せたんだから、

”私と同じになりなさい。それで十分だ”というイエスの気持ちもわかる。

 

この言葉には、厳しさと慈しみが満ち溢れている、と思う。

「私と同じになれよ。それができたら、心から賛嘆するよ」というイエスの声が聞こえてくるようだ。

 

イエスの弟子たちは誰も、イエスの生前には、その教えを受持しなかった。

皆、逃げた。そしてイエスは一人、苦しみの内に死んだ。

 

しかし宇宙大霊は、その霊的本流を受ける存在を求めてやまなかった。

だからイエスの死後、その本流を弟子たちのたましいに流した。

 

弟子 たちは、イエスと同じ磔刑を受けるなど、壮絶な受持を体現した。

この時、やっと彼らは弟子となったのだ。

、、、そしてイエスの教えは、2000年たった今も、人の心に残ることになった。

 

このように宇宙大霊は、必ず霊的本流を受けるたましいを探し出す。

どれほど時間がかかっても、だ。

 

例えば善導大師の教えが伝わったのは、500年後の法然上人に、だ。

ここで自分のことを言うのは手前味噌みたいで恐縮なんだが、僕が「経絡の証診断」に開眼したのも、増永静人先生が亡くなったのと、ほぼ同時だった。

 

ところで、僕としては、「弁栄上人の弟子です」だなんて、とてもおこがましくて言えないけれども、弁栄上人の遺言、「如来は在しますけど衆生は知らない。それを知らせに来たのが弁栄である」は、ずっと僕の人生を動かして来た。

 

それにしても凄いと思うのは、一遍上人である。

たしか、「一代の聖教尽き果てて、南無阿弥陀となりにける」というような言葉を残して、

自分が書いた物を全部燃やしてしまった。

 

弟子たちに絶望したんだろうか? 後世のことを考えなかったのだろうか? など色々と考えさせられるエピソードだ。

 

だが、仏教の終末観というものがある。

やがてこの世は、水、火、風などで滅びることになっているのだ。(生滅を繰り返すんだけど)

 だから今風に言えば、「どうせ地球だっていつかは消滅するんだからね」ということだろうか?

 

でもやはり最後は、「南無阿弥陀となりにけり」という言葉で結んでいるから、”南無阿弥陀さえ残れば、宇宙大霊がいつか必ず霊的本流を受持する人を見つけ出すに違いない”と思っていたのだろう。

 

まさに、「捨て果ててこそ」と説いた一遍上人ならではの言葉である。

 

最初から「弟子なんか一人もいない」と言ってのける親鸞も凄いが、

親鸞だって、さすがに「教行信証」はちゃんと残している。

 

最後に、こんなに長々と書いてしまったけど、簡単に言えば、”たとえ精神的なものにせよ、「もらう」のが弟子ではなく、師匠と同じように他に「与える」行為をするのが学びなんだから、それが弟子というものなんだろうな。”ということである。







 



 

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果たして自分がやって来たことには、どれほどの意味があったのだろうか?

そんなことを思うことが、最近ある。

、、、なのでこれは、オフィシャルなものではなく、問わず語りの独り言のようなもの。

あくまでも個人的な日記だと思って頂きたい。

 

渡されてしまった精神的文化遺産のバトン

 

昔の話で申し訳ないが、ある日を境に経絡の診断ができるようになって、指圧治療を始めるようになった。

それは、僕がまだ二十代半ば過ぎの頃だった。

 

思いがけず、増永靜人師が遺して下さった精神的文化遺産のバトンを、たった一人渡されてしまったのだ。

 

そのことに対する重責を感じないわけはなかった。

これを他に渡せるなら死んでも悔いはない、とまで思いつめていた時期もあった。

 

そのために人数の多少に関わらず、そっと呼吸するように、ずっと指圧を教え続けて来た。

 

他に選択肢はなかった

 

やがて経絡の診断治療には、どうしても心の転換が必要であることに気づいた。

それで「利他の実践」を、「道への献身」を説くようになった。

 

 こうして、単に教室で教えているだけでは済まなくなった。

 

このため僕がそれまで一人でやっていた、スリランカの井戸建設事業の寄付や、募金活動をすることを提案した。また、道を伝えるためのワークの実践を呼びかけた。

 

それは当初、人によっては大きな反発を持って迎えられた。

「金集めか?」と疑われ、影で「卑怯!」と言われた。「人集めをただで手伝わせるのか?」とまで思われたこともあった。

 

もちろん、それによって辞めていく人は少なからずいた。

しかし、僕は引かなかった。それは経絡を診断し治療ができるようになるには、利他や献身なくしてはあり得ないことが、自明だったからだ。

 

あくまでも僕は、増永先生の文化遺産の引き継ぎ人として教えていた。

だから、それ以外に伝える方法がないのであれば、他に選択肢はなかった。

 

いつでも問題はエゴにある

 

タオ指圧を教える一方で、僕は念仏の修行を一人で続けていた。

二十代前半、阿弥陀如来の大愛に心身のすべてが摂め取られ、救われるという体験をした。

このため僕は、”いつかこれを他の人と分かち合いたい”という願いを持ち続けていた。

 

ただし、指圧と念仏を同居させるという気はなかった。

しかし、それもやがては不可能になった。

 

なぜなら、経絡診断には「自他相対を超えた心の地平に立つ」必要があった。そのためには、念仏修行を説くしかなかったのだ。

もちろんこれに対しても、「そんなことしたくない」とか、「他の修行法でも良いではないか?」と反発する人がいた。

 

僕はこう答えるしかなかった。

「修行しなくても、あるいは他の修行法で、”自他相対の意識を超えることはできるかも知れません”。

しかし僕には、修行せずして、あるいは他の修行法で自他相対を超えた体験はありません。

自分が確証できないことは、お勧めすることはできません。」

 

しかし何よりも問題は、他の修行法を真剣に修行しているというわけでもないのに、それを理由に反発する、というエゴにあった。

そのエゴを指摘すると、その人は去って行った。

エゴが常にネックであった。

そして僕は、ここ十数年は、利他を勧め念仏を勧進し、ただ闇雲にそれに専念していた。

”それさえやっていれば、必ず経絡治療ができるようになるはずだ。”

そう願い、そう信じ、そう自分に言い聞かせつつ、ひたすら進めていたのだ。

 

みんなが他の人々に対して責任を持つこと

 

しかし何かが違った。

僕は何か大事なことを見落としていたのだ。

自分が願っていたことは、そこではなかったのだ。

それだけで真の経絡治療ができるようになる、というわけではなかった。

 

繰り返しになるが、僕が本当の意味でタオ指圧を学ぶ人に実践してもらいたかったのは、単にワークをし、念仏修行するだけではなかった。

それなのに、「それで十分なはずだ」と思い込んでいたのは、完全な誤解だった。

 

僕がセンターに来る人に願っていたのは、「他の人々に対して責任を持つこと」だったのだ。

一体、他の人々の何に責任を持つことなのか? 

幸せに、喜びに、明るい未来に、だ。

そうなれば、責任を持った本人にも幸せが、喜びが、明るい未来が来るのだ。

 

表現がややこしくて恐縮だが、さらに言うならば、僕は道場の修行者には

「”道場の みんなが、他の人の喜びに責任を持つ”ようになることに対する責任」を持ってもらいたかったのだ。

これは先ほどのとは、精神的にはさらに一段上ハードルが上がることだろう。

でも、そうなれば幸せ、喜び、明るい未来の「無限連鎖」が生まれるのだ。

そこには、誰が上でも下でもない世界が開かれるんだ。

 

僕が本当に願っていたのはそこだった。

そのため僕は、そのモデルとなるべく行動をして来た、、、つもりだった。

 

モデルとなるべく行動で出していたメッセージ

 

だから、みんなが楽しくあるように、喜んでいるように、と願って実践して来たのは、それを与えること自体が目的ではなかった。

 

それを与える人になってもらいたい、がためだった。

もっと言えば、「それらを与える人を育てる人」になってもらうことが目的だったのだ。

 

僕はモデルとしての行動をすることで、無意識に、ずっとそのメッセージを出し続けて来たつもりだった。

 

ほら、こんな風に人には接してくださいね。

こんな風に人を大事にしてくださいね。

こんな風に人を気遣ってくださいね。

こんな風に人の幸せに責任を持ってくださいね。

 

一人一人に、そう無意識に話しかけながら接して来た、つもりだった。

しかし果たして、それがちゃんと伝わっているのかが、甚だ心もとなくなって来た。

 

僕のメッセージが伝らなかった人(行動が変わらない人)に、

これから僕はどう接して行ったらいいのだろう、、、。

 

 

心の中で言い続けていた

 

繰り返しになって申し訳ないが、僕は、サンガの場が楽しく有意義になることに責任を持ってきたつもりだった。

それは、みんなも同じような気持ちになり、同じような行動をするように、責任を持って人を大事にしてもらうことが目的だった。

 

しかし、自分が大事にされることの楽さに慣れてしまう人がいる。

そして、自分は無責任でも良いとしてしまう。

 

再び繰り返しになるのだが、僕は単に、サンガの場に責任を持て、と言っているのではなかった。

これよりもさらに、一段ハードルが上のことだった。

 

「みんなが責任を持って、サンガの場を楽しく有意義にすること」、

このことに対しての責任を持って欲しい、とそう心の中で言い続けていたのだ。

 

道や法には、献身か利用か? そのどちらかしかない

 

これまで幾多の精神運動は、一人とその周囲のわずか人たちだけが人々に責任を持ち、

その他、大勢の人たちは、そのエネルギーを利用することで成り立たせて来た。

 

そして精神的なムーブメントは、例外なく、精神的支柱の人たちがなくなったら汚れた。

それは当たり前だ。

 

純粋で献身的に受持する数名に、みんながエネルギーをタカっていたに過ぎないからである。

 

これはタオサンガも例外ではない。

だから受持し、献身する人がいなくなれば、たちどころに砂漠となる。

それは想像するだけで、吐き気のするような気の状態であろう。

 

それはそうだ。

道や法には、献身か利用か? そのどちらかしかないのだ。

 

だから責任を持って受持すれば、宇宙大霊の光が宿り、

責任を持たず、受持しなければカルマ(邪気)が宿る。

 

受持する人がいなければ、タオサンガには邪気が宿ることは間違いない。

というよりは、タオサンガは如来の光は、受持する人の中にしか存在しない。

 

そんなことを考えると、一体自分は何をピエロみたいなことをやって来たんだろう?

こんなこといつまでも続けていても、果たして意味があるんだろうか? 

受持している些少な人にも、大変な役割を負わせてしまって申し訳ない、、。

などと、一瞬思ったりもする。

 

一体、何人の人が場を受持するようになったんだろう

 

「<気と経絡>癒しの指圧法」で僕は、共感的想像について説いた。

これは指圧というより、日常の心のあり方だ。何よりも、コミュニケーションの場においてのことだ。

 

だからタオ指圧を学ぶ人は、コミュニケーションの場では、いつも共感的想像の心境になってお互いを思いやるものだ、と思っていた。

 

”みんながそうなることに責任を持つものだよね。だって普通そうでしょ?”と思っていた。

しかしよくよく見回してみたら、一体、何人の人が、コミュニケーションの場を受持するようになったんだろう、、、。

 

PS.

 いつでもすべてを捨てられるように生きていることは、常に僕の矜持であり、また安らぎでもある。

 

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 エルサレムで自宅軟禁されているバヌヌから、フェイスブックの友達リクエストが来た。

彼はイスラエルの元核兵器開発エンジニアで、イスラエルの核兵器開発の詳細を、イギリスの新聞に内部告発した人間である。(←勇気あるよなー)

390-21

バヌヌ

その後、バヌヌはイギリスのホテルのバーで美人に誘われてついていったところ、気がついたらローマからイスラエルに向かう船の中で拘束されていたそうだ。

ようするにその美人は、モサド(イスラエルの秘密警察)の諜報員。

彼は色仕掛けに引っかかったのである。(←ああ、男ってバカ!)

 そしてイスラエルで、国家反逆罪か何かの罪状で、18年の獄中生活を強いられる。(←人間の良心に従った結果がこれだ)

 独房での重禁固は11年以上にも及び、これはギネスに認定されているそうである、、、。

 ヴァヌヌは今も尚、エルサレムで自宅軟禁中の身である。アメリカに弟がいるそうで、イスラエルから脱出したがっている。しかし、海外に出ることはできない。

現在も、モサドの監視下にあり、ジャーナリストと会うことは禁止されていおり、実際、ジャーナリストと会った罪で何度か逮捕されている。

(モサドの恐ろしさは、ナチスの秘密警察ゲシュタポに匹敵する。拉致、監禁、暗殺、拷問、なんでもござれである)

 バヌヌは。アムネスティー・インターナショナルより「良心の囚人」として認定された。

ノーベル平和賞の候補にも推薦されていた。ライト・ライブリフッド賞を初め、様々な市民団体や個人からの平和賞も受けている。

 興味深いのは、バヌヌがアル・ハヤト紙で、ケネディ大統領暗殺事件にイスラエルが深く関与していたことを告発したことだ。

ケネディ暗殺は、バヌヌが核開発していたディモナ原子力発電所の視察を恐れたベン=グリオン政権の指示によるものだった、そうだ。

 実はバヌヌとは、以前、密かにメールで2、3度やり取りしたことがあった。しかし会いに行ったことはなかった。

会えば僕もブラックリストに乗り、イスラエル入国が面倒になる可能性を考えたからだ。

 

果たして僕は、バヌヌからのリクエストに応じるべきだろうか?

 どーせ僕は、2、3日経ったら、”保身に走るのはかっこ悪いじゃん”とか一人ごちて、リクエストに応じるだろう。人間としての良心に従った彼の勇気ある行動に敬意を表して、、、。

だけど、2、3日は普通の人の顔みたいに、知らん顔もしてみたい、、、。

 まあ、そんなもんだ。

これで僕も晴れてブラックリスト入りというわけである。なので、これで安心して(←何がだ!)バヌヌに会いに行くことができる。世界の裏の話も色々聞けるに違いない。

(東エルサレムの地下には、近辺にあるすべてのPCにハッキングして、オンラインデータを読み込むことができるセンターがあるそうだ。フェイスブックの友人など、いくら非公開にしても、簡単に見ることができる、とのこと)

 

安倍政権は、イスラエルと軍事協定か何かを結んだようだから、僕は安倍政権にも睨まれるかも知れない。

なので、良い子のみなさんは、僕に近づかないように注意しましょう。

お母さんに「あんな子と遊んじゃいけません」って叱られるかも知れませんよ。

 

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まだ胸が痛かった。

僕は悲しいのだろうか?

存在していることが辛いのだろうか?

何がどうなったら僕は満たされるのだろうか?

あの18歳のときのように、世界のすべてが光と化したような演奏ができたら、満たされるのだろうか?

僕の創ったゲームでみんなが楽しく遊んだら、満たされるのだろうか?

やがて人間界を去ったら、満たされるのだろうか?

みんなが念仏して悟ったら、満たされるのだろうか?

僕などまるで関係ないところでみんなが幸せだったら、満たされるのだろうか?

ふと、そんなことを思って、広島の空を見上げた。

2016-11-24 17.20.13

 

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 今日、市電の中で、「小銭が必要でしょう」と言って、まひろさんが160円を渡してくれた。

感謝してそれを受け取った僕は驚いた。

手のひらの中の小銭が温かったからだ。

お金をこんなに温かいと感じたことはなかった。

ああ、そうか、と僕は気がついた。

お金って、渡す人の気持ち次第で、エネルギーが変わるものだったんだ、、、。

これからは僕も、お金を払う時には、人に温かいお金を渡すようにしよう、と思った。

、、、一つ賢くなった気がした四国での話。

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