かつてイラクも、大量破壊兵器があるという冤罪で根こそぎやられ、その後、アメリカのウソだったことが発覚しました。(パウエルも最初から知っていたし、まさに確信犯です)

今回のシリア化学兵器事件も、その内、国連などの調査で暴露されるでしょうが、報道されるかは不明ですね。もし仮に暴露されてもイラクの時のように「後の祭り」。”遺憾です。でも、、、”で終わりでしょう。戦争犯罪として裁かれることはありません。

桜井ジャーナルによれば、” 2013年3月にもアレッポで化学兵器が使われたが、イスラエル左派のハーレツ紙は「状況から反政府軍が使った」と分析した。国連独立調査委員会のカーラ・デル・ポンテは「反政府軍が化学兵器を使用した疑いは濃厚だ」と発言した。” とのことです。

でっち上げの理由で2014年のイスラエルによるガザ攻撃も行われたし、旧日本軍もでっち上げの柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)で満州事変を起こしました。

正義のために広島・長崎に原爆を落としたアメリカ軍は、正義のために今日も、悪と闘っているというわけですが、本当は、国と国との闘いなんてないんです。1%の人間のために99%が自滅するか否かの闘いなのです。

この意味、わかる人は分かりますよね?

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<シリア>

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<広島>

 

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<ベツレヘムの街並み>

さて前回のプログで書いた「とっても個人的なことだけど、歴史的な出来事について」述べることにする。

それは今回、イエス様が生まれたパレスチナのベツレヘムで、仏教式の結婚式の司祭を勤めたことだ。

式を行ったのは、キリスト教の人権団体、「ホリーランド・トラスト」というところである。

実は、この件に関しては、いつもの自分からは想像もつかないほど強引だった。

別段、パレスチナのキリスト教の施設で仏教式の結婚式を行うに当たって強引だった、というわけではない。

この物語を創られるプロセス自体が、である。自分的には、ほとんど強制に近いようなものだった気すらするのである。

一体、この物語の真の始まりを、どの時点だと考えることが適切なのかは、わからない。

もしかしたら9年前なのかもわからないし、1昨年の11月なのかも知れない。

 

<物語その1>

とりあえずわかりやすい所から始めることにしよう。

「去年の夏、浄土宗僧侶の教師資格を得る修行に入るため、カナダ在住の日本人タオサンガ・メンバーが京都にやって来た」

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 <カナダの夕暮れ>

彼を迎えたのは、京都センターの面々だった。

そしてその中に、最近、念仏修行に来るようになったEさんがいた。

 

実は、彼女と僕との因縁は、どうやら9年前に遡(さかのぼ)るらしい。

、、、らしい、というのは僕が全く覚えていなかったからだ。

 

彼女によると、僕はその時、彼女が抱えていた霊的な諸問題を解決した、ということだった。

ちょっとここで、誤解のないように述べておきたいのだが、僕は普段、そんな拝み屋さんのような真似をしてはいない。

 

だから最初に聞いた時、それは人違いのではないか、と思った。

(後になってうっすらと記憶が戻って来た。それでも、彼女の帰り際に、”縁がありそうな人だから、道場にくれば良いのにな”と思った、というのを思い出した程度である)

とにかく彼の京都滞在中、仲間内でワイワイとやっていた。その内に、「何だかお互い好意を持っている」的な雰囲気が漂って来た。

それはおそらく、無意識的なものだったのかも知れない、と思う。

 僕としては、その好意が何とか現実的な形で実らないかなぁ、という思うばかりだった。

というのは、1昨年(だったかな)カナダでタオサンガ・ワークショップをやった際、願いを実現するワークというのをやった。

 

その時、彼がグループに語っていた、良いパートナーに出逢いたい、という願いを聞いていたからだ。

ところで僕は、人の願いを1度聞くと、なかなか忘れないという、良いんだか悪いんだかわからない癖がある。

 

実は、30年以上前に、友人の結婚パーティーに来ていた花嫁の友人が、「良い出会いを求めている私に誰か救いの手をください〜」なんて言っていることがあった。

 

僕は未だにそれを憶えていて、あの女性には良い人が見つかったんだろうか?

誰かいないかな、なんて考えることがあるのだ。

 

なので結構、さりげない心配りのようなものを、自分なりに必死にしていた。

それは例えば、僕のCDを欲しがっていた彼女に、彼から渡してもらったり、屋台のおでん屋に二人を呼んだり、道場でデメ野球をやった際、痛みが出てしまった彼女を指圧して、途中から彼に代わってもらい、自分はいつの間にか消えるようにしたり、などである。

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 <アミリタという僕の6枚目のCD>

 

やがて時は来て、彼はカナダに帰って行った。

どうやら、やがてお互い、ほのかにあった好意を伝えあったらしい。(という報告を彼から受けた)

しばらくして師走になり、気を揉んだ僕は彼に伝えた。

 

「カナダに彼女を呼ばないんですか?」

「えっ? いやそれは、、、来て頂けたらありがたいですけど、彼女も忙しそうだし、、、」(←やけに丁寧語だな、と僕的には不満)

 

「何言ってんですか! 呼んだら絶対来ますよ!

このクリスマスに呼ばなきゃダメですよ!。」と、僕はいつになく強引だった。

 

数日後、「で、どうでした?」と聞いたら「来てくれるそうです」との返事。

「ああ、良かったじゃないですかぁ!」

 

さらに数日後、

「で、どこに泊めるんですか?」

「アレックスにセンターに泊めて良いかを聞いたら「イイよ」っていってくれたんで、センターです」

 

実は、僕が強引になったのは、さらにここからである。

「何言っているんですか! ダメすよ。なに言っているんですか。そんなのダメダメ。ちゃんとロマンチックなところを予約しなくちゃ!」

 

数日後、「ナイヤガラのホテルを予約しました」と聞いた。

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僕の強引さはさらにエスカレートした。

「イイですか? 絶対に次のことをやってください。まず、空港には、必ず花束を持って迎えに行くこと。そして、空港で花束を渡して、その場で結婚を申し込むんですよ」

 

「えーっ!? 結婚ですかあ!? いや、だって僕、彼女の手すら握っていないんですよ、、、」

 

いやいや、となぜか僕はひるまなかった。

「それがイイんです。人生はサプライズです。だから空港で驚かすのが良いんです。サプライズ・アタックです」と、わけのわからない強引な論理を展開したのである。

 

理論的には、驚かすと相手はびっくりして頭が空白になり、わけが分からないままその気になるだろう、という考えである。

カップルになりたかったら、遊園地のジェットコースターに乗ったりお化け屋敷に入ると良い、と言われている。

それは、びっくりすると思考が停止するからである。恋愛に思考など余計なだけだ。

 

今から考えると、何であんな強引なことができたんだろう? 

、、、、そう思うから不思議である。

 

霊的云々の件といい、この強引さといい、わけのわからないカップル理論の展開といい、

いつもなら、さりげない行動しかしないのに、今回は、全くイレギュラーなことの連続である。

 

その後、「報告することがあります」というメールをもらった僕は、

その一言で意味を諒解し、「おめでとうございます」と、一言だけ返信した。

 

もっとも、僕が相当強く言った「 空港に必ず花束を持って行くように!」等を、彼がちゃんとしたかどうかの真偽は不明である。

もし、してなかったら許さんぞ! と言いたいところだけど(←大きなお世話)、まあ良いや♩^ ^とにかく成立したんだから。

 

<物語その2>

前回のブログで述べたように、アースキャラバン中東の準備と、パレスチナの飲料水浄化プロジェクトの調査、そしてイスラエル・タオサンガ再建ワークショップのために、3月18日から、イスラエル/パレスチナに向かった。

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その際、水調査など、様々な因縁からその2人も同行することになった。

そして僕の強引さが本領発揮したのは、ここでの出来事だったのだ。

 

まず前回のブログで書いた、「ホリーランド」というキリスト教系人権団体(ベツレヘム/パレスチナ)のサミーに、「仏教式の結婚式をやりたいんだけど、施設貸してくれませんか? でも難しいようだったら、他を探すから気にしないで」とメールした。

キリスト教徒だし、あるいは無理かも知れないな、と思ってはいたのだ。(←この辺は冷静)ところが彼の返事に僕は驚いた。

「聞いた瞬間、僕の顔に笑みが広がりました。僕らの施設で仏式の結婚式をやってくれるなんて、とても名誉なことです」というものだったからだ。

 

これで場所は決まった。

本人たちに伝えたら、Eさんの方は絶句状態。

 

というのは、そもそも結婚なんて、まるで自分の人生計画の中にはなかった彼女だったからである。もしかしたら、誰かと付き合うこと自体、考えていなかったのかも知れない。

 

というのは去年の1月、彼女曰く9年ぶりに僕と再会した際、”日本にいても何も夢はないし、いつか将来、かつてボランティアをしていたアフリカに戻って人生を終える”というような感じの話をしていたからである。

 

そのとき僕は、”アースキャラバン(というかタオサンガ)に関わっていたら、人生変わりますよー”なんて陽気に言っていたのである。(人にそう言うことが時おりあるが、僕にそう言われてタオサンガに来る人は、極めてまれである)

 

Eさんとしては、”まさか、こんなことが自分の人生で起こるなんて、、、!。これは自分なのか? いや、うそ、うそだ。うそだあ! うぅ、どうしよう、どうしよう〜”状態である。

 

内心まるで尻尾に花火をつけられた犬のように、うろたえまくっている。

しかし、人生はドラマティックであるほど良い。

 

サミーは了承し、場所は決まった。よって、この選択からは逃げられない。(←オレは、どこまで強引なんだ)



あとは参列者を呼ぶことにした。「仏式結婚をホリーランドでやります。良かったらご参列くださいね。」と現地の知り合いにメールを出したのである。

 

まずパレスチナ側からは、昨年、アースキャラバン中東でお世話になったスライマー女史。

 

彼女は、難民キャンプでの障害のある子供たちや孤児院を案内してくれた。

さらに、子供をイスラエル軍に連れて行かれて返してもらえない、パレスチナのお母さんたちとの交流などをセッティングしてくれたのだ。

 

その上、無償でみんなをベツレヘム観光に連れて行ってくれた。

”それは、ぜひとも祝福に行きたい”との返事。

 

そしてマージン教授。世界各地で講演している人である。

彼からも、「仏式結婚にお招きいただき、名誉に思います」との返事。

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その他、ホリーランドの面々。皆さん、反応は良い。皆さん、優しい、、。

Eさんが、どれほど恥ずかしくてパニックっても、ますます逃げられない状況である。

わはははは。(←と、黄金バットのような笑い)

 

次にイスラエル側からは、MさんとAさんを呼んだ。

二人とも驚いたのなんのって!

 

何せこんなことになるなど、まるで気配がなかったEさんである。

Aさんなどは、気絶した自分の写真を送って来たほどである。(爆笑!)

 

僕は、” Anything could happen in Tao Sangha (どんなことでも起こり得るのだタオサンガだよ〜ん)” と書いて返信。



実は、イスラエル人がA地区であるベツレヘムに入るのは違法で、捕まったら約50万円もの罰金を取られる。(だから写真もなく、彼らを匿名にした)

 

<注※>

これはおそらく、両者が交流して仲良くならないための措置だろう。

例えば、第一次世界大戦でもフランス人とドイツ人の兵士たちが部隊レベルで仲良くなったことがあった。

家族に「戦争が終わったらお互い遊びに行く」なんて書いていたので、やがて司令部にばれた。

仲良くなるきっかけは、両軍部隊で共同ミサを行ったためであった。そしてこれを行った従軍牧師は解任され、部隊は遠くの戦線に追いやられた。

いくら役所の決まりごとだと言っても、このような非人間的なことを支持すると、人間性が腐るぞ。

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<実話は後に映画化された>

さて、MさんとAさん二人とも、もちろん参列した。さらに当日、パレスチナ人の人権にいのちをかけているようなイスラエル平和団体のリーダーであるGさんも、友達を連れてやって来てくれた。

2人ともイスラエルの世間からは白眼視されている。それは彼らが、朝鮮半島を支配していた日帝時代、朝鮮独立に手を貸す日本人のようなものだからだ。

しかし、どちらが人間として高貴かは一目瞭然だろう。

さらに写真家ハイサムも、遠くビリン村からやって来てくれた。ハイサムは、イタリアで大きな写真賞を取っている人である。

彼は、イスラエルが不法にパレスチナ人から奪った土地返還の要求デモなどの活動をしている。

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<ハイサムは、めちゃくちゃ人が良い>

 

気恥ずかしさにうろたえ、ほぼパニック状態にあるEさんを尻目に、こうして僕は、仏式結婚をパレスチナで行う企画を強引に進めて行った。

 

だが、妙なことにふと気づいた。

これではまるで自分が、両親を失くした姪か、いとこのために奔走する、親代わりになった親戚のような振る舞いではないかぁ、、、。

 

通常はあり得ないような、ドラマティックなことをやっているつもりで、実は一番自分に不向きな、極めて”世間的な親戚”のような役割を、いつの間にか僕はやっていたのだ。

 

今度は、”「長い間、お世話になりました」(と、まるで父親代わりのように)なんて言われちゃったらどうしよう、うぅ”と、自分がうろたえる番だった。

 

とまあ、そんな自虐的逆パンチの反撃もあったが、不測の事態にうろたえパニックっているEさんに対して、僕はつい自分の趣味に走った。

 

それは、”Eさん、結婚式にNHK呼びましょうよー”とかなんとか言って、冷やかして、からかいまくったことである。

 

僕に今回のことにまつわる何か(”結婚”とかその手の言葉)を言われる度に、両眉毛が「ハの字」状態になったり、顔が引きつったり、パニック反応を起こしてうずくまったりしているEさんを見ては、僕は楽しく笑っていた。

 

”当日まで、ずっとその顔の写真を撮って行って、あとで、写真のペラペラ漫画を作りましょうよ! きっと面白いすよ。”などと言って、さらに笑っていたのだ。(←こうして書くと、まるでいじめっ子である) 

 

それにしても、手元にi-phoneがなく、写真を撮れないのが、残念至極だったなー。

いつもならこういう時、僕を止めにかかる、まゆさんという女性がいるが、

今回に限っていない!

 

したがって僕は、やり放題であった。わっははは!(←あっワリいぞ、お前)

 

このため当然、テルアビブについてからも続行した。

そしたらアビも参加し、一緒になって色々言い出したのだ。

そこで僕は、TEC(Eさん、からかいクラブ=Teasing E-san Clubの略)を結成した。

 

これが面白かったのは、ベツレヘムに行ってサミーと会ったら、彼もクラブに参加したことである。

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<右がサミー。広島原爆の火を届けたところ>

 

サミーは僕よりすごい。「いやーEさん、結婚式は大きなステージでやって、CNNとかBBCとかの世界メディア呼びましょうよ」である。日本NHK負けたぞ、、、。

それにしても、ホリーランドの主宰であり、世界的有名人のサミーが、あんなにノリが良いとは知らなかった。

それに、彼が仏教に惚れ込んでいることも、今回じっくり話し合うことで、初めてわかった。


<物語その3>

とうとう当日になった。いよいよ結婚式である。

本人はパニックを通り越して、すでに表情がなくなり、”ここはどこ? わたしは誰?”状態である。

(これがまた、見ているとますます楽しいのだが、一方ではまるで親戚がやるような自分の行動に、我ながら面食らってもいた)

 

パレスチナ人のサミーとイスラエル人のMさんの2人には、それぞれの付添人の役をやってもらった。

仏式結婚式だから、イスラエル人、パレスチナ人、日本人みんなで念仏を唱えるのだ。

平和の象徴として、ますますドラマティックではないか。ふふふ。

 

では、ここで当日の写真を公開することにしよう。

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祭壇を準備中

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<準備は整った>

 

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<式の開始に木魚を鳴らして宣布>

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 <15名の列席者は、皆、粉のお香をする作法をしてから入堂。>

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 <仏式なのでお華を授けているところ>

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 <この辺は結構、厳粛ムード>

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 <やっと少し顔を上げたぞ>

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<こうして式は終わった>

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<サミーのスピーチが素晴らしかった>

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 <サミーの話を聞き終わって>

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< その後は、ビートルズなどをみんなで歌う>

要するに僕は、結婚式の戒師兼、司会兼、友人代表で音楽する人兼、にわか親戚のおじさんという

わけのわからない、極めてマヌケな役回りなのである。

 

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 みんなで歌っているから、ようやくリラックスして来たのかな?

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 <その後は、乾杯! ランチだけどビールやワインなどを飲みながら。日本から持参の酒も出た>

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ところで、人生をどこまでもドラマティックにするのがタオサンガである。

先ほど僕は、「アースキャラバン(というかタオサンガ)に関わっていたら、人生変わりますよー、なんて陽気に言っていた」と書いた。

 

だって、”幸せになることを願われる所がタオサンガ”だからだ。

だけど人間は、なかなか幸せを選択できない。

 

なぜなら、幸せとエゴは反比例するからだ。

幸せを選択することは、エゴを乗り越えることとイコールなのだ。

 

臨床心理カウンセリングなどで、「自分の嫌な性格を変えるぐらいなら、精神症状が治らなくてもイイ」ということになり、治療を中断することは、ままあることだ。

 

これと同じように、人はタオサンガでも、今までの自分を取るか、より良き未来に生きる自分を取るか、という厳しい選択を迫られることになる。

 

カウンセリングのクライエントと同じように、「自分のエゴに直面して乗り越えるぐらいなら、不幸のままでイイ」と言う人は多い。

 

人がタオサンガの修行を放棄するとしたら、このためである。

今回、物語3まで行くことができたのは、ご本人たちが、それまでの自分を頑固に死守せず、素直に行動できたからだと思う。

 

幸せの願いに対する反応としての「即座の素直な行動」。

法華経ではこれを「質直柔軟」というが、これこそは幸福の種だ。

 

物語その1の時点で、ためらいや素直な行動がなかったら、1の成立もなく、物語その3まではとても行かなかっただろう。

ましてや「仏式結婚をイエス様の生まれたベツレヘムで行う」というドラマは、決して起きなかった。

 

えい子さんと謙知さんの幸せを祈ります。

このブログを読んでくれた人も、同じような気持ちになってくれたら(随喜)、とても嬉しいです。見ず知らずのハイサムの友人たち250人以上も、良いね!と随喜してくれました。

 

キリスト教施設での仏式結婚を快く承諾してくれたサミーに、ホリーランドの面々。

彼らはサプライズでウエディング・ケーキまで用意してくれた。

式後のサミーのスピーチも素晴らしかった。

 

イスラエルの法律を乗り超えてまでお祝いに参列してくれた4人。

マージン教授などは、「妻とあらためて第二の結婚式を、この仏式結婚でしたい!」と言い出し、みんなから拍手喝采を浴びた。

 

皆さんのおかげで、本人的には人生であり得ないはずだったことを、見事えいこさんに「強制(^ ^)」できました。

 

そしておそらく歴史的には初めてだったことであろう、「仏式結婚 at ベツレヘム」を無事に終えることができました。皆さん、本当にありがとう。

 

それから彼女をよくご存知のアースキャラバンやタオサンガの方々には、事後報告になり大変申し訳なく思っています。

 

何せ、ただでさえ本人は気恥ずかしさで顔面蒼白であり、前もって公表すると気絶する可能性があったのです。

気絶している人を飛行機に乗せるのも大変だし、逃げると追っかけるのも面倒なので、まずは実現することを最優先にしました。

 

このブログをもって、お詫びがてら報告させていただきます。

 

<最後に公案を>

さて、物語その4以降はどうなるのだろう?

もしかしたらそれは、本人らが「自分を優先させるか、仏法僧の三宝を優先させるか」の選択によるのかも知れない。

 

どこまで行っても常に選択を迫られるのが人生なのだ。

 

しかし、僕が強引だったのは、物語その3まで。

後のことは、「当局は一切関知しない」(←これ、数年前に映画化された昔のアメリカのテレビドラマ、“ミッション・インポッシブル”のセリフね)

 

本当の物語が始まるのはこれからである。楽なことよりも、むしろ大変なことの方が多いはずだ。そう覚悟しているぐらいの方が良い。

できれば、どこまでもドラマティックに、周りが楽しめる未来を創って頂けると、観客としてはありがたいのだけれど。

 

*Most of Photos  are  taken by  Haitham  (記事のほとんどの写真は、ハイサムの撮影によるもの)

<おまけ>空港に送りに来てくれたマガリ(左)、アビ(右)と

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失くした財布が出てくる国が世界に2つある、と言われている。

それは日本と、パレスチナだ。

 実際、昨年のアースキャラバン中東で、パレスチナのタクシーの中に携帯を忘れた日本人参加者がいらした。ナンと、ホテルに届けてくれた。

 そういえば僕自身がそうだった。

東エルサレム(パレスチナ側)でチャーターしたバスの中で忘れものしたことに気づき、

運転手に電話をかけて、届けてもらったのだ。

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パレスチナの子ども photo by Haitham

 さて3月18日、中東に向けて出発した。

目的はいくつもあった。

 

メインはアースキャラバン中東の準備だった。

 それは例えば、ベツレヘム・フェスティバルを主催する、ホリーランド・トラストとミーティングすること。

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ホリーランドのリーダー。サミー

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エリアス サブ・リーダー

 

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ベツレヘムフェスのステージ担当。サイード

 

 イスラエル側の本物の平和活動家と会って、アースキャラバン中東のプログラムについて協議すること。

 パレスチナの水問題について調査することもあった。

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イスラエル・タオサンガ代表 マガリ

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 同じくイスラエル・タオサンガのアヴィ(最近、ガザビーとも言う)

 

またこのため、ガザに入る可能性について、現地弁護士に相談することもあった。

再建途上のイスラエル・タオサンガのためにワークショップを行うこともあった。

 

さらに、とっても個人的なことなんだけど、歴史上初めてのことを行う不思議なミッションもあった。(これについては次のブログで書くことにする)

 

出発の前夜は、1時間で終わるはずだった準備が、朝4時までかかった。

このため、ロクに寝ないまま飛行機に乗り、ベングリオン空港に到着した。

 、、、とかけば、なんということもない感じを受けるかも知れない。

 

しかし実際は、ロクに寝ないまま京都の別時念仏会に出て、ワークのリードを14時ぐらいまで勤めた後、京都駅に向かった。

 

そして東京までは新幹線2時間半、成田まではバス1時間。

さらに成田ーイスタンブールーテルアビブという行程である。総計で24時間以上かかったのではないか、と思う。(こういう計算するのは疲れるので、しないけど)

 

 僕は、途中のイスタンブールで、またドジを踏んだ。

なんと飛行機の中に携帯を忘れたのである。

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 原因は隣のトルコ人のおっさんが早く出たそうにしていたのに気を使って、

ロクにチェックをしないまま席を出てしまったことである。(←人のせいにすんなよ)

ああ無情!


実は去年の夏も同じようなことがあった。

テルアビブから戻って来た際、やはりイスタンブールで、パスポートお金など全部が入ったポシェットを、飛行機の中に忘れたのだ!(我ながら、あまり学習しとらんな、、、)

 その時は、出口の所で騒いだら(これって、インドを旅するバックパッカーの振る舞いである)、随分経ってから職員が持って来てくれ、なんとか事なきを得た。

 さて話を戻すが、ここで僕は、空港内を散々走り回る。だが、なぜか今回に限って、親身になってくれる「救いの天使」に出会わない。

というのは、今まで僕は、困った時には必ず、救いの手を差し伸べてくれる天使のような人と出会うことで、生き延びて来たからである。

(僕のような、はちゃめちゃな生き方でも、なんとか生きて来れたのは、これらの人々のお陰である)

案内所に行って聞いても、まるで役所の部署をたらい回しにされるように、あっちこっち曳き回されるだけで、一向に遺失物係に行きあたらない。

途中、やはりどこに行ったら外に出られるかわからなくて困っているインド人と会い、その人がどう行ったら良いかなどを空港職員に一緒に尋ねたりしていた。(←自分が困っているのに何やってんだよ!)

だが、自分が行くべきところは教えてもらえなかったのだ。ああ無情!

結局、空港のカフェに戻り、macのパソコンを開け、i-phoneを探す方法を焦って調べる。

なぜか、こういう時に限って空港の無料wifiが、なかなか繋がらない!

 さんざん焦った挙句、止むを得ず、1分十数円もするskypeのwifiに繋げる。

 

まずは、iphoneに遠隔操作でロックをかけようとしたのだ。

 しかし、それをするには電話番号を入れなければいけない。(発見した人が電話できるように、である)

 

そこで、パレスチナの水調査のため、今回同行することになった、Eさんがカフェに携帯を置いて行ってくれたことに気づいた。

 彼女は、親切にも、「私が遺失物係の所を探して来る」と行ってくれたのだ。(僕には、遺失物係の場所さえ見つけられなかった)

 

しかし、彼女のi-phoneはパスコードがかかっており、もちろん僕はその番号を知らない。

そこでハッカーになったつもりで、番号を想像することにした。

 ”Eさんのシンプルな性格を考えると、おそらくこれだろう”と見当をつけた。

そしてその番号を入れて見ると、果たして開いた!のである。

(この時は、この才能よりも、モノを失くさない才能の方が欲しかったけど)

 

こうして電話番号を手に入れ、我がi-phoneの場所を見ると、空港内のバーガーキングの近くにある。

 しかしそれがどこなのかはわからない。遺失物係のところなのだろうか?

 

実はこれ、完全には正確なものではないのだ。

(タイで携帯が見つからなくなり、ホテルのプールの近くにあると出ているので探したけど、結局は部屋の中にあった)

 

とりあえず、ロックをかける。

 Eさんは、パスポートを持たずに外に出てしまい、本当だったら戻れないはずだが、なんとか戻って来れた。もちろん、遺失物係の場所はわからない。

どうやら今回の救いの天使は、パスポートも持っていないEさんをすんなり戻してくれた、その空港職員1人だけだったようだ。

 それをもって僥倖としよう、と僕は、i-phoneを中東に持って行くことを潔く(←どこが?)諦めた。

そしてイスラエルのメンバーに、「もうテルアビブ空港行きのフライト時間だから搭乗するけど、トルコの空港に電話して聞いておいてもらえない?」とメールだけ入れて、ゲートに向かった。

到着したのは現地の昼。イスラエル・タオサンガのタマールが迎えに来てくれていた。

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タマール

 

夕方からタオサンガ・イスラエルのメンバーのために念仏メソッドのワーク指導を行った。

 そういえば、出発する前も京都センターで同じようなことをやっていたな。

 

こんな時は、どこへ行っても同じようなことをやっているような気がする。

 そして、旅といってもべっこう飴のようなもんだな、と思うことがある。

 

違いは、空港を走り回るかどうかに過ぎないのだ。

ところで機内におき忘れた携帯だが、帰りのイスタンブールの空港で、猛スピードで走って無事に返って来た

めでたし、めでたし、ありがたし、である。

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少し長いあとがき

 

“千年先でも役に立つ念仏修行の体系をまとめよう”というのが、この「タオサンガ修行大全」を編み始めた動機だった、と今では思う。

 

それは約一千年前、源信が著した「往生要集」の序文、“修行する人々のために書いた。自分の名誉や利得のためではない”などが、いつまでも心に残っていたことも影響していると思う。

それらの言葉は、まるで源信から直接聴いてかのように、心の中にいつまでも反響していたのだ。

 

大全を編む内に、気づいたことがあった。

それは、「人々がお互いの幸せに責任を持つようにならない限り、世界は変わらない」(ヘレンケラー)

という言葉を読んだ時のことだった。

 

長い間自分が抱えて来た気持ちを代弁してくれたかのようなその言葉は、

まるで、記憶喪失から目覚めさせたような衝撃を私に与えたのだった。

 

なぜならこのとき私は認識したのだ。

20代で挫折し、一時は諦めたサンガ・コミュニティをクリエイトするという夢を、

一体なぜ、僧侶になってまで10年後に再び復活させたのかを?

 

なぜなら私もまた理解していたのだ。

この世界の不幸は、他者の苦しみに対して無関心な人と、他者の幸せに責任を持たない人が作っていることを。

ヘレンケラーの言葉の意味は、そういうことだった。

そして、そのような世界に住むことは、私にとって苦しみだったのだ。

 

例えば、子供たちの苦しみは、彼らに温かい関心を抱かず、その幸せに責任を持たない親がいるからだ。

温かい関心を必要なだけ十分に払う大人が周囲にいれば、子供たちは苦しまない。

本来ならば、子供時代こそは、豊かで人生を肯定的に捉える思い出に満ちたものであるべきなのに。

 

それは大人にしても同じだ。

ヘレンケラーの言葉のごとく「互いの幸せに責任を持つ」人間関係がない限り、人間は不幸なままなだ。

では、この世の一般的人間関係は、一体どうなのだ?

 

「相手の幸せに責任を持つ」人とは、他者に対して肯定的関心を持っている人だ。

今、目の前にいる人に十分な気遣いを与える人だ。

 

それは常に共感的想像をもって、相手の気持ちに寄り添う人のことだ。

相手の問題を”我がこと”とする人だ。

相手に先意承問(相手の気持ちをわかって問いかけること)する人だ。

 

それは自己愛にまみれ、自分の話ばかりし続ける人ではない。

自分に関心がある話題しか入って来ないような人でもない。

自己関心というエゴの牢獄に入り込んで、押し黙る人でもない。

 

そんな人間関係ならば、誰だっていらないはずだ。

一体、そんなものを必要としている人がいるのか? と心の底から思う。

 

では一体、相手の幸せに責任を持つ人間関係はどこにあるのだ?

どこにもない、、、。

ならば、まず自分がそうあるしかないのだ。

 

相手の問題を“我がこと”とすること。

相手の良き未来に関心を持ち、“我がこと”として決定(けつじょう)すること。

 

他者への肯定的関心をもって、相手に問いかけること。

相手の気持ちに共感して、良き未来という果実を共に喜び合うこと。

 

自分がそのように生きていれば、いつしかそういう人たちに会える。

私はそう信じて生きて来た。

 

漫画「火の鳥」(手塚治虫)の主人公が、冷凍睡眠から目覚める人を待ち、

毎日100年以上通い続けたように、私はいつまでも待ち続けた。

 

今にしてみるとまったく不思議なアレンジメントとしか言いようがないが、

タオ指圧の技は、先のような心や生き方でなければできないものだった。

 

私はヘレンケラーの言葉に代弁されていた自分の真意にはまったく気づかず、

30年以上前、1冊目の「タオ、気のからだを癒す」(法蔵館)で、次のように述べていた。

 

「人がもし孤独や憂鬱に悩むとすれば、それは関心を自己に向けすぎた結果であろう。

 だから西洋の心理学者アドラーなどは、憂鬱病の患者に向かって以下のように述べたのある。

 

“私の指示通りにすれば、この病気は二週間で治ります。

すなわち、どうすれば他人を喜ばせることができるかを考えればよろしい。

他人のことに関心を持たない人間は、苦難の人生を歩まなければならず、他人に対しても大きな迷惑をかけます。人間のあらゆる失敗は、そのような人たちの間から生まれるのです”、と。」

 

また、「問診に必要なのは、相手の人生がより良きものになるにはどうしたら良いか、を自らに問いかける気持ちである。相手に対して愛情に基づいた関心を抱かない者が、治療関係を成立させることはできない。」

 

さらに、「自己関心から他者への肯定的関心へと己れの心をふりむけていくことは、広く人間が持つべき心だと思う。

 

 なぜなら多くの人間は、幸福を望みながら一向に自己関心を捨てない。

 それは、幸福を望みながら不幸の種をまいているようなものである。

 

 幸福になりたければ、何よりもまず、生きとし生けるものの幸福を願うことを始めなければならない。

 その願いの奥には、無我と永遠不滅の真実の自己、すなわち仏性が輝いているのである」

 

 私がタオ指圧を教え始めてから、これを学ぶ人に利他を祈る念仏をお勧めして来た理由は、ここにあった。

 

 そして、4冊目の「気の幸福力」(法蔵館)に至っては、「国境を超え、互いの幸福に責任を持つコミュニティが生まれたら世界は変わる」とも書いていた。

 

 こうして私は、再びサンガを創るという夢を復活させたのだ。とはいえ、その道は決して平坦なものではなかった。心ない行為や言動に傷つくことも、一度や二度ではなかったし、人に失望することも再三ある。まるで砂漠に種を植え、水を撒き続けるような忍辱の連続、と言っても過言ではなかった。

 

 そんな困難なことに長い歳月を費やして来たのは、人々がお互いの幸福に責任を持たない限り、世の中は変わらず、また、この世界から不幸がなくなることはないことを知っているが故だった。

 

 それに、何しろ私がタオ指圧を教えて来たのも、念仏弘通に献身して来たのも、この世から不幸をなくしたいが故であった。

 

 そもそもコミュニケーションのあり方には、人が他者に対する扱いが現れている。

 だから今も尚、祈るような気持ちで思う。

 これを読んでいるあなたは、果たして人々のために、喜んでサンガのコミュニケーションを日常的にしてくれるのだろうか?、と、、、。何百年間も毎日通い続けた「火の鳥」の主人公のような気持ちで思う。 

 

 これはタオ指圧ができるか否か、に関わることだ。でも、それ以上に私が気になるのは、コミュニケーションには、あなたが、自他を幸福にする生き方をしているかどうか、が現れているのだ。

 

 果たして、この世界は変わり得るのだろうか?

 この世界が変わり得るか否か、この世から不幸がなくなるか否かは、日常の人間関係におけるコミュニケーションがどう変わるかにかかっている。

 本書で、コミュニケーションについての記述が多くあり、これをタオサンガの根本理念としているのは、このために他ならない。

 

 誰だってこう思うに違いない。

 いくら口で念仏を唱えていても、日常的な愛の実践がなければ、そこにどれほどの意味があるだろう、と?

 相手の気持ちに無関心な態度で、相手の幸福に責任を持つ生き方でないならば、それは空念仏と言われても仕方あるまい、と。

 

 千年先にも役に立つ念仏修行体系をまとめることを願って、ここ数年に亘ってこの修行大全を編んで来た。しかし、本当に千年後まで人々に伝えて頂きたいのは、知識でもメソッドでもない。だから、ここにパウロの言葉を添えたいと思う。

 

「 そこで私はあなた方に最高の道を教えよう。

 

たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私にとっては騒がしいドラ、やかましいシンバルと変わらない。

 

たとえ、預言者の賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、

たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、

愛がなければ無に等しい。

 

たとえ全財産を貧しい人に尽くそうとも、自らを誇ろうとわが身を死に渡そうとも、

愛がなければ、私には何の益もない。

 

愛は忍耐強い、愛は情け深い、そして妬まない。

愛は自慢せず、自らを高い者とはしない。

 

礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。

不義を喜ばず、真実を喜ぶ。

 

愛はすべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。

 

預言は廃れ、異言は止み、知識は廃れよう。

しかし、愛は決して滅びることがない。」

(コリント人への手紙)

 

私をしてタオサンガを創らせたのは、

「お互いの幸せに責任を持つコミュニティ」があって欲しい、という切なる願いだった。

そしてヘレンケラーの言葉が、その想いに気づかせてくれた。パウロの言葉が、その気づきを後押ししてくれた。

 

 彼らがタオサンガで共に念仏していたならば、共にサンガをクリエイトする仲間だったならば、きっとこんな風に言ったに違いない。

 

「カルマから解放されたければ、そして智慧が欲しければ、三宝受持しなさい。

 幸せになりたければ、そして大愛を求めるならば、三宝憶念しなさい。

 喜びに満ちたければ、そして潜在能力を発揮したければ、三宝讃嘆しなさい。

 願いを成就したければ、自己実現したければ、三宝決定しなさい。

 

 しかし念仏修行するならば、まずその前に、常に他者を“我がこと”として、相手に肯定的関心を持ちなさい。

 常に共感的想像をしなさい。

 他者を楽しませなさい。喜ばせなさい。

 常に相手が、”自分は愛された”と感じることのできる、気遣いある言葉を述べなさい。

 、、、愛ある行動をしなさい。」、と。



                    ー完ー

 

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四発心の詩

<1>受持

 

 受持とは、他者の悩み苦しみや、人との交流の場を、「わがこと」として引き受ける菩薩心。

 ここから「自他を超えた世界(フィールド)が自己の実相」という無分別智が生まれる。

 

経絡をわが内に観て行う治療も、 コミュニケーションの場を受持(わがこと)する働きも、全てはこの菩薩心に支えられている。

受持しなければ、人はカルマに縛られ、輪廻流浪の旅を続ける。

三宝受持の人生を歩めば、カルマは如来に摂取(受持)され、光となる。

 

   <2>憶念

 

他者の悲しみに共感できる人は、自らの悲しみに向き合い、

自分のためは涙を流さずとも、人のために涙を流す。

   

如来の大愛はそんな人に訪れる。

他者の幸せを祈り、救いを祈る人は、如来の大愛を胚胎し、

大愛に溶かされた心身は、法爾自然に仏を憶念(愛念)する。

 

如来思慕の憶念は、他者の幸せを願う心から生まれ、人は幸せになる。

 

<3>讃嘆

 

存在の根源は歓喜であり、一切が互いの歓びを喜び合う。これが宇宙の実相である。

讃嘆は歓喜の因であり、宇宙一切を創造する。

  

讃嘆と歓喜とは相即相入し合い、あらゆる生命はここから生まれる。

宇宙の尽きることのない創造と無限向上は、讃嘆と歓喜が相即相入する姿であり、

宇宙の無限の潜在力が世界に発現する。

 

他者の潜在力/可能性のみを観る人は、子供のように無邪気に他者を讃嘆する。

曇りのない目で他者を観て讃嘆する人は、如来を讃嘆している。

  

宇宙根源の「歓喜」と自己内在の歓喜が入我我入し、世界に歓喜をもたらす。

 

 <4>決定

 

どのような未来であろうと、それは決定(けつじょう)から生まれる。

だから”決定しない”という「決定」だけはしないようにしよう。

  

”決定しない”という「決定」は、最悪の未来を決定するのと同じ作用を人にもたらすから。

未来のすべては決定次第。カルマに負けたら 未来はない。過去を繰り返すことになる。

気がつくたびに、何度でも何度でも三宝決定しよう。

呼吸するように三宝決定しよう。一瞬一瞬、決定して生きよう。

 

あなたの三宝への決定は、「菩薩十二戒」の実践として顕れ、         

あなたに、最高の未来を決定しているのと同じ作用をもたらす。

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いろいろな坊さんが人生相談のような質問に答える「ハスノハ」というサイトがある。

実は僕もこれに登録していて、忙しいのについ夜中に回答していたする。(その割にはウケなくて、落ち込んだりするのに)

そこのサイトの自己紹介に「筋金入りの元家出少年です。ティーンエイジャーの頃は、徹底的に自己破壊的な行動を繰り返し、高校も2つ中退しています。

現在は、なぜか浄土宗和田寺の住職ですが、和田寺にはガスも水道も電気もありません。」なんて書いた。

悩んでいる人には、これぐらいが親しみを感じてもらえるかな?と思ったのである。

その数日後、知らない人からアースキャラバン関連で電話がかかって来た。

するとその人に、「どこかのサイトで見たんですけど、あなた昔、不良だったんですって?」と言われてしまった。

(ヤンキーじゃないんだけどな、、、)と思ったけど、どう答えていいのかわからず、「ええ、まあ、、、」とお茶を濁した僕だった。

電話を切ったあと、自分のことでアースキャラバンや和田寺の評判が悪くなったら、それもナンだな、なんて妙なことを思ったので、下記のように変えてみた。

僕はウイキペディアでは以下のように紹介されています。


「日本、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、オセアニア、中東、タイ、バングラデシュで活動す る指圧師、作家、音楽家。

タオサンガ・インターナショナル代表。京都浄土宗和田寺の僧侶。タオ療法、タオ指圧、気心道の創始者。著書は数カ国語に翻訳され 世界各地で出版されている。」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E8%97%A4%E5%96%A8 %E5%8F%8A

でもやっぱり、エライ人だとか思われるのは困る。

それで、下記を付け足した。

「が実は、元家出少年です。ティーンエイジャーの頃は、徹底的に自己破壊的な行動を繰り返し、高校も2つ中退しています。

現在は、浄土宗和田寺の住職で、一般の人が気軽に修行できる場として、京都と東京に道場を作りました。(道場はその他、世界各地にもあります)

なので、修行したい人、人のために涙する人、楽しいことが好きな人はぜひ来てください。あなたを歓迎します。」

どっちの雰囲気がより近いのか、と聞かれたら、それはもちろん付け足した方である。

フーテンと呼ばれるのはともかく(実際16歳の頃、「青少年」というのが僕のあだ名で、阿佐ヶ谷最後のフーテンと呼ばれた)、元ヤンキーと思われるのはシャクだぞ。

ああなんか、すっごくどうでもイイことを書いてしまった、、、。

いっそ、「まだ不良ですけど」って答えりゃ良かった。

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 和田寺の石仏

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<1>

30年以上もの間、ずーっと懸案事項だった問題がようやく解決したのが、今日だった。

一体何の話だ? と思われることだろう。

僕のスピリチュアル・ヒストリーの話である。(人によっては、なんだそんなことか、と思われるかも知れないけど)

 <2>

僕は、19才の頃に念仏修行を始めた。そしてそれから数年の間に、様々な体験をした。

それは、念仏三昧による霊的な浄化作用(諸霊救済の体験)だったり、阿弥陀如来の実在に触れて身心脱落するという、圧倒的な宗教的体験だったりもした。

 

その後はその裏付けとなるものを求めて、弁栄上人の説かれた教学や経典を読んだりしていた。

しかし自分の霊的体験にどのような仏教的整合性を持たせて、その後の修行を進めて良いのか、皆目見当もつかなかった、、、。

だから、その後の修行が進まず、ずっと足踏み状態が続いているような気がしていた。

 

仏教的整合性がなければ、霊的浄化作用などのメソッドはできない。それは自分の心身にとって、かなりの死活問題だった。

このため、これにどう仏教的な整合性を持たせて自分を納得させるが大きな課題だった。

僕は、自分より先に進んだ人にぜひとも教えて欲しい、自分を導いて欲しいと切実に思った。が、あいにくそういう人は見つからなかった。

 

<3>

19歳で念仏に出会ったとき、自分の心身の絶不調が霊的世界の影響だった、ということがわかった。子供の頃からずーっと背負って来た重苦しいものが、すっかり晴れわたったのだ。

 それは、そこの道場で聞いた、現象世界が霊的世界の様々な影響を受けているという説明で理解できた。また自分でも実際にそう感じた。

 僕の場合は、霊的なものが心身の調不調とかなり密接に結びついているようだった。もっとも、誰しも気づかないだけで、実際にはそうなのかも知れないのだけど。

 そこの道場での経験から、どのようにしたら救われない諸霊が救済されたり、魔が消えたりするのかは、ある程度分かるようになってはいた。

 そして、自分の所に来ていた救われない霊が天上界に救われると、心身が本当に楽になった。

 

やがて指圧臨床でも、患者さんには何も言わずに、密かにそういう治療をすることなどしていた。

 スエーデンボルグも言っていたけど、実際、霊的なことが原因で起こっている健康の問題は多い。(経絡指圧の創始者、増永静人先生もそう言っていた)

 救われない諸霊は存在し、それらが自分の「気のからだ」や「霊のからだ」<注:参照>にくっつけば、心身の不調が起こる。

重苦しくなったり、頭が痛くなったり、脳みそが痒い感じがしたり、イライラしたりするのだ。

<注>:人間には、肉体以外にも目に見えないそういう四種の体がある。そしてこれらは、タオサンガのワークショップで誰でも体感してもらえます。興味がおありの方は、拙著「気の幸福力」(法蔵館)をご覧下さい。

 

僕は子供の頃から、先に述べたような症状に苦しめられて来た。

 それらが、たった3か月間、毎日のように道場に通い、一回2時間の念仏行に参加することで、すっかり晴れわたった。

 しかし、やがてまた諸霊が救いを求めて自分に頼って来るようになる。すると再び重苦しくなったりした。

それで自分なりに、霊的救済の方法を学んで行ったのだった。

 一度、心身が晴れ渡った快適さを知ってしまったらもう後には戻れない。霊的メソッドは、自分が日々気分良く過ごすためになくてはならないものになって行った。

 

ただし霊的メソッドには、”こうしたらこうなる的”なマニュアルがなかった。

マニュアルがなければ、他の人にシェアできない。

 繰り返すが、僕が19才から数年間修行していた道場は、そういう霊的なことを専門でやっている所だった。

僕はそこで、それらの霊的メソッド(マニュアルはないけど)を学んだのである。(ああ、ついにカミングアウトしてしまった!、という気分で、今これを書いている)

 

<4>

ただし、これには問題があった。

まず、”霊だ何だ”とやっているのは、実は悟りの世界とは無縁な話なのだ。

 もしかしたらあなたは、これを聞いて「えーっ!?」と思ったかも知れない。

 だって一般の人は、葬式で坊さんは霊を成仏(浄土往生)させている、と思っているだろうからだ。

だから通常、「霊と悟りは無関係」と聞いたら、「???」となるだろう。

 この辺は、仏教の中に深ーく入っている人でないと、分かりにくい話だろうと思う。

でも実際、霊と悟りは無関係だし、これは実に厄介なテーマなのである。

 

そもそも原始仏教のお釈迦様は、霊の救済などまるで説いていない。

それどころか、否定されているぐらいである。

これらのテーマについて誰かが質問しても、まず答えない。(これを無記という)

大乗仏教になってからも、基本的にはそうだ。(「天台小止観」には、魔の対処法が若干書いてあるけど)

 何せ悟りというのは、「無分別智」すなわち自他を分けない智慧から生まれる。

自己と世界(宇宙)とが一体であることが基本だ。

 だから禅であろうと念仏であろうと密教であろうと、宇宙大霊の仏(あるいは空)と一体となるのが目的である。

本来は、修行中に個別の霊などに目を向けていてはいけないのである。

 それに、大円境鏡智の哲学から言っても、世界はすべて自己の想念の投影だ。

量子力学的にもそうだ。霊だのなんだの言っても、所詮は自己投影の産物として、放下しなくてはならないのである。

 

<5>

ところが、だ。

これまで繰り返し述べたように、僕が修行していた道場は、霊の救済などが専門だった。

 そして、約2時間の修行が終わったあとは、心身が本当にすっきりと楽になった。

めちゃくちゃ楽で、気分が良くなるのだ。

 だから19才だった僕も、“宗教なんてイヤだし、やめようやめよう”と思いながら、念仏にハマって行ってしまったのである。(まるでドラッグのように)

 やがて僕は、そこでの修行の結果、阿弥陀如来の実在を日常で体験するようになった。

 しかし霊の救済だけに専念していてはだめだ、と思わされた。

いかに心身が楽になるとは言え、いかに大きな宗教体験を得たとはいえ、それだけでは、真実の悟りに至る道を他と分かち合えるようにはならない、、、。

 霊的メソッドは悟りの道筋ではないし、何よりどうしても仏教との整合性が取れない。

悩んだ挙句、僕は一旦、その霊的修行の方法を捨てた。

 そして伝統的な仏教や、大乗仏教の最高峰とも言える弁栄上人の教えを学び、それらにしたがって修行し直そうとしたのである。

 

 しかし、だ。

教えに従って修行し直しても、また様々な修行法を試しても、さらなる悟りの世界には進めなかった。(修行が足りない、と言われたらそれまでなんだけど)

 さらに、悟り的体感を他にシェアする方法も得られなかった。

 そして霊的なことには一切目を向けないようにしようとしながら、僕は時折、霊的なものにやられ、心身に不調を来たした。

 そしてそのつど、諸霊救済や魔の光化などの霊的メソッドに頼らざるを得なかった。

 「ああ、”もうやらないようにしよう!”と思っていたのになぁ、、、。でも、霊的世界は現象界に影響しているんだから、どうしても無理だよなあ、、、」というのが、結局は本音であった。

 そして、指圧臨床の患者さんで、”どうしてもこの人には霊的なメソッドを行う必要があるな”と感じた場合は、そっと黙って陰でやって差し上げることもあった。(まるで星飛馬のお姉さんが、柱の影からそっと見ているみたいな話だな、、、)

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<柱の影から見守る星飛馬の姉、明子「巨人の星」川崎のぼる>

また時には、特別に諸霊救済の念仏や読経をして差し上げることもあった。(それは、何年かに一遍ぐらいのものだった。僕としては、なるべくそっちの世界には行かないようにしていたのだ)

 仏教の哲理や悟りへの道 vs 諸霊救済や魔の光化。

この両者の折り合いをどうつけたら良いのか? これは僕にとって、人生最大の課題といっても過言ではなかった。

 霊的なメソッドにしたがえば、心身がふあーっと楽になるのはわかっている。

しかしそれは、悟りの道でないのではないか?

 だからやっちゃいけない、、、。

いやしかし、霊的なことは心身に大きく影響する。

それをしないままでは、時折、霊的なものに影響を受けてやられちまう、、、

いや、しかし、、、。

 この問答は、20代半ば以降からずーっと僕の無意識を支配していたのである。

 

<6>

それが苦節OX年、やっと解決することができた。

諸霊救済や魔の光化を行いながら、真実の悟りへの道筋である門が生まれたのだ。

修行法をマニュアルとして体系化することができたのである。

それは実際には、レンガを1つ1つ積み上げて、でき上がるのかどうかもわからないビルを暗中模索のまま建てて行くような作業であった。

同時に、「まさか」と思うようなコペルニクス的転回があった。

 その体系が、「誰もが悟りを体感できるメソッド」として確立したのだ。

これができたとき、”僕は、これを創るために生まれて来たのかも知れない。もうこれで死んでも悔いないな”と思ったぐらいである。

<7>

 これらはワークショップのプログラムとして成立させる予定だ。

もし人々がこのワークを通じてエゴを乗り越え、信仰と修行を内的に確立することができたなら、人生において智慧を増進し、幸福力を高め、潜在力を開発し、願いを成就することができるようになるだろう。

 人生の平和、幸福、歓喜、自由が得られるのだ。

さらに、経絡の診断や治療だって軽々とできるだろうし、霊的なメソッドも身に付けるも違いない。

 この修行法を体系づけることができたとき、僕はまるで、長年の苦労の末についに金鉱を掘り当てた「山師」のような気持ちであった。(やったぜ! みたいな感じ)


だって、このメソッドによって、誰もが悟り体感を得られる時代がやって来たのである。

こんな嬉しいことはないじゃないか。

 

ただ、ちょっと思う。

”こんな時代に、エゴを捨て、純粋に悟りを求める人なんかいるんだろうか?”

”三宝を受持し(我がこととして引き受け)、憶念し(愛し)、讃嘆し(喜び讃え)、決定する(自分よりも法を尊ぶ)人なんかいるだろうか?”って。

 いや必ず、これから僕の目の前に、そんな人たちがたくさん現れるに違いない。(キッパリ!)

 早く会いたいなあ。

、、、一日千秋の想いで僕は待っている。

 たとえ100年でも200年でも。

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音楽の練習再開した日、キティレコードが造った伊豆スタジオでレコーディングした一人として、なぜか自分の名前も掲載されているのを発見した。http://izu-studio.com/about/ 

このシンク ロニシティに、“お前、ミュージシャンなんだぞ、忘れんなよ”って言われた気がした。(写真は、6枚目のアルバムのレコーディングの時のもの)

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涙が出るほど、嬉しいことがあった。

 先日のブログを読まれた方から、新しい村をいくつも支援できるほど大口の里親支援のお申し出があったのだ。

 

新しく里親になって下さるという方から、連絡があったことを担当のあみさんから聞き、ありがたいな、嬉しいな、と思ってお礼のメールを出そうと思っていた。

 しかしその翌日、額を聞いてビックリ。小心者の僕は、そのままフリーズしてしまい、

”いやしかし、これは何かの間違いかも知れない”などと思って一人ドキドキしていた。

 

しかし、どうやらほんとらしい。。。。・

かと言って、このままフリーズしているわけにもいかない。

 

寄付文化のあまりない日本では、利他的な活動をしていて、かつ社会的に成功している(であろう)人って、実は、いそうでなかなかいないものである。

(よく考えると不思議なんだけど、それとも僕があまり出会っていなかっただけなのかも知れないが)

 

というわけで、あまり滅多には、お目にかかれないタイプの人だけに、どうメールを書いたらいいのだろう? と考えあぐんでしまった。

 アメリカ大統領に会ったって、そんな緊張しないぜ。(会ったことないけど)

余談だけど、そういえば一昨年、広島のテレビ局から、”番組のために、オバマ大統領に一言メッセージを語って欲しい”と言うご要望があった。(都合が合わなかったので、お断りしたけど)

 

結局、ありがたい気持ちをそのまま書いて送ったが、

そのとき、僕の目には涙がにじんでいた、、、。

 

<追記> 僕らがつながるのは、ラカイン村のこんな子供たちである。


2015-12-27 14.24.072015-12-27 14.23.25


2016-12-30 11.54.51

2016-12-30 12.02.01

2016-12-29 14.26.13

 

下は一年前の写真。彼は、高校生だったが、片親で極端に貧しく、いじけて不登校になっていた。

それで僕は、「絶対、里親見つけるからさー」と言って励ました。

そして後で、ラジョーさんに「お年玉あげて励ましてあげて下さい」と言って500タカを渡した。

(日本円で600円〜700円ぐらい?だったかな)

2015-12-29 13.42.25

 

そして彼にも里親が見つかり、再会した時はこのようになっていた。無事、高校にも復帰していた。(←高校中退の僕が言うのもナンだが ^ ^)

2016-12-29 12.28.23

 

人は変わることができるんだよなー。

ほんの少しの後押しと、寄り添いがあれば、、、、。

と今、この写真を見ながら思った。

里親になってくださる方々に、僕らは支えられている。

 

 

 

 

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これまで何回、この橋を渡ったことだろう?

木製の不安定な橋の上を、理由もなく全力疾走する三輪ミゼットに揺られながら、僕はふと思った。

向かっている先は、バングラデシュ北部にあるクルスクル。

少数民族・仏教徒ラカイン人が暮らす村だ。

ここには、永らく閉校になっていた小学校があった。

それは子供達がラカイン民族独自の言語を学んだり、教育レベルを向上するための学校だった。

廃校していたのは、何年か前にワールドビジョンという世界的な団体が、それまで行っていた支援をストップしていたためだった。

P1050897

<クルスクル村>

あれは8、9年前だっただろうか、、、。

はじめて訪れた僕らが、長らく閉鎖されていた学校のドアを開けたのは?

建物の無残な内部がさらけ出され、朽ちた机の上にはゴミが溜まり、ホコリが舞っていた。粗末な教室の中には諦めの空気が漂っていた。

僕らは村のリーダーや坊さんと、学校の再開について相談した。

先生たちを4人ほど探してもらい、人数分の新しい机と椅子を用意した。

そして先生たちには毎月の給料を保証し、閉鎖されていた学校を再開した。看板も新しく掲げた。

別段、「少数民族として暮らす仏教徒の人々に希望を与えよう」とか、「子供達の夢を叶えてあげよう」など、

そんなこっぱずかしく、赤面するような高邁な理想があったわけではない。

始めたのは、単に「そういうのをやるのって、面白そうじゃん」というノリだった。(だいたいが、何やるにもそうだけど、、、)

ただし、このダンスは一度踊り始めたら途中下車はない。

途中でストップして村人を失望させ、再び諦めの空気を村に創るわけにはいかないからな。

でも、日本の人たちで収入の一部を出し合えば、その日本円は、バングラデシュで何倍もの価値をもって使われることになる。

為替のマジックと言ってはそれまでだが、みんなの力で学校を運営できるのだ。

こんな素敵なことはないのではないか? (とここは真面目に思う)

2015-12-27 13.34.12-1

<算数の先生と子供たち>

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<どういう訳だか、子供たち1人ずつに文房具を渡すというシチュエーションに、、、。

うぅ、かなり苦手な役割である。>

2)

そして毎年毎年、バングラデシュにやって来ては、この橋を渡る。

学校の状況を見る。要望を聞く。そして改善を続けて行く。

さらに新たな別の村の学校を開けていくべく、村から村へと巡る。

今年は四校目を開校させるべく動いていた。

村に行って僕たちが集中して会うのは、村のリーダーや先生たち(または先生候補)だけではない。

子供達にインタビューする。

親のない子や、片親の子、また親があっても病気、

あるいは極端に貧しく(基本的にはみんな貧しいのだが、「輪を掛けて」という意味)、

支援を必要とする子たちに、である。

その子たちの希望や将来の夢などを聞き取っていく。

 日本の里親になってくれる人を探すためだ。

孤児などは、誕生日を聞いても知らないことも珍しくない。それは聞いていて胸の痛むことだった。

”里親を探す”といっても、別段引き取ってもらうわけではない。

1〜3人で合わせて月に3000円ほど支援してもらい、それで小学校の教員たちの給料の一部を払う。

さらに、その学校に通う子供達のノートや鉛筆などを支給する費用にもなるのだ。つまり里親たちで村の教育を支えるのである。

ようするに里親たちに援助してもらうのは、居酒屋に行く程度、またはそれ以下の費用で済む。

また里親は、三カ月に一回、里子からの手紙を受け取ることになっている。

日本から僕らが行く時には、里親からの手紙を預かって行く。

そして、現地メンバーである、ラカイン人のラジョーさんに、僕らが読みあげる手紙を通訳してもらう。

3)

さて今回も、里親からの手紙を持って村を巡った。

僕は、読み上げてもらう手紙の通訳を聞いている時の、里子の顔が見るのが好きだ。

とっても嬉しそうな顔をするからだ。

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<里親からの手紙に、赤ちゃんのいる家族写真が入っていた。里子の彼は、

「この子は、僕の日本の妹っていうことだよね」と言った>

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読み聞かせてもらった後、彼らは読めない日本語の手紙を大事そうに、持って帰る。

こういう時、“慈しみ”と言う言葉が、その空間に漂っているような気がして、

僕はその空気の粒子に見とれているような気がする。

それは、”誰が誰を慈しむ”と言うのではなく、関係性そのものに漂う空気である。

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<里親からの手紙を聞かせてもらっているところ>

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<真剣なまなざしで聴いている>

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<そして、恥ずかしそうに、嬉しそうに、大事そうに手紙を持っていく>

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<こんな顔も>

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<こんな顔もある>

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<どの子も嬉しそうである>

こんな笑顔が原動力になっているのかは不明だが、さらに学校を増やそうとして動いている。だが、いかんせん里親の数がまだまだ足りない。

だから、予算はオーバーしている。でもこの地域に、通常、国際団体の支援は届かない。(ごく稀にあっても、一定期間後にはストップしてしまう)

僕らNPOアースキャラバンがやらなければ、全部で17あるラカイン村に、彼ら独自の小学校が開校することはないのだ。

それで毎年、新しい村の調査をし続ける。

そして孤児などに会って「必ず里親を見つけるからね」と約束する。

手紙を読んでもらっている時の嬉しそうな顔が見たくなるから。

        *********

いずれは、村々の学校を回る里親ツアーのようなものや国際ワークキャンプを企画したい。

もっといろんな人に、この里親プロジェクトのことを知らせたい。

そして、このゾクゾクするような面白さを、

ぜひ皆さんに味わってもらいたい。

、、、と、本気でそう思う。

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<驚くかもしれないけど、これが学校(ザフカリ村)。ここはまだようやく1年目。

NPOアースキャラバン・ラカイン子供センター ”ザフカリ校”の看板はこれから設置の予定>

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<こちらは、3年かけて話し合い、これからようやく開校にこぎつける新たな村のリーダー>

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<驚くけど、ここを整理して学校にすることになった>

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<ザフカリ村の優しそうな村長さんが、父親が病気で困窮している家庭の女の子に会わせてくれた>

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<”じゃあ、あなたにも里親探しましょうね。”というと嬉しそうな顔で笑った>

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<この子にもそう伝えると”えっ?”と言って驚く>

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<”じゃあ、ちゃんと写真撮ろうね”と言ってポーズ。”きっと誰かに里親になってもらえると祈りながらシャッターを切る>

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<「2017年の開校目指して頑張りましょう」と村長に言って、僕らは移動する>

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