パレスチナで今、一番ホットな村に向かう

1)

今年のアースキャラバン中東に、どうしても組み込みたいプログラムがあった。それは、イスラエル兵を平手打ちにして刑務所送りにされた17歳のレジスタンス少女、アヘド・タミミのナビサレ村で活動することだった。

僕がこのナビサレ村と繋がったのは、アースキャラバンが始まる一年前の2014年だから4年ほど前のことだった。ジャナちゃんという世界一幼いジャーナリスト(その頃は、ナンとまだ7歳かそこらだったと思う)の叔父さんとやり取りしていたのだ。

その2年後に、アースキャラバンのドキュメンタリー映画を撮った鈴木監督(^ ^)が彼女をインタビューするのをセッティングした。

<ジャナちゃん>

昨年、今年のアースキャラバンの相談のため、アリスや鈴木監督などと一緒にナビサレ村に出かけ行った。で、その時に知ったのだが、叔父さんも叔母さんも含めてタミミ家は、皆、非暴力抵抗運動の一族だった。

そうこうするうちに秋になると、自宅に侵入しようとした(他のティーンエイジャーを撃つため)イスラエル兵をアヘドが平手打ちにして、イスラエル 軍に逮捕され、以後もずっと拘留されていた。

平手打ちをした程度のことで16歳の少女を刑務所に入れる。”これはあまりにも酷い!”と、この出来事は世界的なニュースになった。(しかし実際には、350人ぐらいの子供たちが、石を投げたとかの理由で刑務所で拘束れている。)

<ピンタで裁判にかけられているのは茶番である>

2)

こうしてアヘドは「レジスタンス少女」として、パレスチナ抵抗運動の象徴となって行った。だが、イスラエル軍の刑務所ではどんなことがされているのか、わからない。

拷問にあった、という話を、かつてティーンエイジャーの頃に刑務所に入れられていた、という人から直接聞いたことがある。また、石を拾っただけで、あるいは特に理由なく入れられている子もいる。

子供が何年も刑務所に拘束され、帰って来た時には口が聞けなくなっていた、という話も聞いた。だからアヘドのことは、ずっと気になっていた。あまり気になったので、彼女の曲を創ったほどであった。

曲ができたあと、歌詞をどうしようか、と考えていた。そうしたら、イスラエル左派系の新聞に、アヘド・タミミを讃える詩が掲載されていた。作者は、イスラエルでは有名な詩人でミュージシャンらしい。

僕はその詩を曲に合わせてみた。数日間、悪戦苦闘したが、最終的にはピッタリと歌詞としてマッチした。僕はイスラエル・メンバーのアヴィに、”作者に連絡して、曲つける許可もらってよ”と頼んだ。

しかし、だ、、、。数日後、僕はがっかりした。詩の中に、「アヘドとジャンヌ・ダルク、またアンネ・フランク(アンネの日記の)は同じだ」という下りがあるのだが、イスラエルのマスコミにそれを批判され、作者は謝罪した、というのだ。

イスラエルのテレビや政府は、武器を持ったイスラエル 兵をピンタしたアヘドを”テロリスト”と呼んでいる。だから、”あんなパレスチナ人のテロリストとアンネ・フランクを同じにするな! ”というわけだ。

それに対して詩人のヨナタンは、”アンネ・フランクとアヘドを同列と表現してすみません”と謝罪した。これは、アーチストとしては精神的に自殺したようなもんである、、、。

僕はアビに、”あんな謝罪しやがって、これで奴のアーチストの魂は死んだようなもんだぜ”と毒づいた。するとアヴィは、”でもコンサートでは、「クソのようなマスゴミに向けて言っただけだ」と言っていたらしい。それに、未だに全文をSNSで投稿しているから、、、”という。僕は、ならまあいいか、と思い、計画を続行することにした。

なぜ長々とこんな話を書いたかと言うと、ナビサレ村に行ったら、アヘドのお父さんと会って、”この詩に曲つけて発表したいので、作者に電話して頼んでもらえませんか?” と言うつもりだったのだ。

誤解のないように述べておくが、僕が特に図々しいと言う訳ではない。仮録音した曲をサミーに送ってみたら、”なんて美しい曲だ! アヘドのお父さんに送るけどいいかい?” と返事が来たので、本人はすでに聴いているはずだったからだ。

さて、ナビサレ村は今、一番ホットな抵抗運動の村だ。なので、時おりイスラエル軍に封鎖されて出入りが不自由になることがある。そう聞いていたので、多少心配しながら向かった。

この日は、もっともホットな村でデモが行われる、特にホットな金曜日である。さて、一体どんな展開になるのか?

<続く>

 

 

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