僕が決してオリンピックを観ないのは?

ニューヨークから帰国し、地元の中学2年に編入した。

しばらく経ってからだったと思うが、「社会」の先生が授業で話したことに、僕は息を飲み、しばらく口がきけないほど衝撃を受けた。そしてそれは後々まで(おそらく今に至るまで)僕の心に言いようのない棘を刺し残した。

それは、中国戦線に従軍した元日本兵の告白だった。その話を聞いた時に僕の脳裏に焼きついたイメージは、いつまでも離れなかった。

その元兵士人はかつて中国戦線で、命令により、赤ちゃんを抱いた母親を銃剣で刺し殺した、という。僕は、赤ちゃんと共に刺し殺される母親の気持ちやその痛みを思って戦慄した。赤ちゃんはどうだったのだろうか? 元兵士は刺した瞬間にどんな感触を感じたのだろうか? 想像が止まらないのに、周囲の空間はぼんやりとして見えた。

それは、音楽の時間に短調(マイナー調)の旋律を聴かされるだけで泣いてしまう自分を恥じ、それを隠すことに必死だった少年が聞くには、あまりにも耐え難い話だった。

、、、教師の話は続いた。その元日本兵は、それ以来、たとえ戦闘になっても空に向かって空砲しか撃たなくなった。戦後何年たっても夜うなされる。小さな物音1つで今だに目が覚める。

それまで、アジアでそんなことが行われていたことなど何1つ知らなかった。僕は単純に、“オレは日本人だぞ”なんて偉そうに思っていた自分を恥ずかしく思った。

むしろ逆に、日本人というのは何と罪深いのだろうか、と思った。そして、日本人であることを申し訳なく思った。その後何年も何年も、アジア中を土下座して回りたい、とすら本気で思っていた。

そして、日本人であることの贖罪感や恥感覚は、いつまでも僕を捉えて離さなかった。それはとても苦しかった。その苦しみから逃れる方法は1つしかなかった。それは、自分が「日本人」であり、誰かを「○○人」であると観る、カテゴリー概念を一切捨て去ることだった。

だから今の僕には”自分は日本人である”という自意識はまるでない。また誰かを”あいつは何々人である”という目で見ることはない。中学2年で社会の教師に元日本兵の話を聞いて以来、そんなカテゴリーは自分にとっては一切消えた。

英語では一般的に、自分たちの国について”We(私たち)”という言葉を使う。だから、自分の国の大統領のことを”Our president(私たちの大統領)”と言う。でも僕は日本について話すとき、決して”We” や” Our”を使わない。使うのは決まって、”Japan”または”They(彼ら)”である。そして相手の人の国の政府のことを、あなたの政府(Your goverment )とは言わない。”何々政府”、と固有名詞でのみ呼ぶ。

10月にヨーロッパで ”BE FREE”(アースキャラバンのドキュメンタリー映画)の試写会をやった。この映画を観ると、現在のイスラエルがどれほど酷いことをパレスチナ人に対して行なっているか、その一端がわかる。その場には、ヨーロッパ各地からだけでなく、イスラエル人たちが3人いた。

僕は映画を観たイスラエル人が、僕のように罪悪感で苦しんだり、恥の感覚でいたたまれなくなったりして欲しくなかった。また他の人が、イスラエル政府がやっていることに対する怒りを、個々のイスラエル人に投影するようなこともして欲しくなかった。

人間は、愚かなワナにはまり易い。「人間の中には良い奴もいれば悪い奴もいる。」これは誰がどう考えたって自明なことで普遍的真理だ。それなのに人間は、「何々人は良くて何々人は悪い」というバカ丸出しの考えに陥ることがあるのだ。(「ユダヤ人を殺したドイツ人は恥を知れ!」とかね)

そこでまず僕は、自分がオリンピックにもサッカーにも興味を持てず、決して観ることがない。それは、「○○国人」というカテゴリーが、どうしても好きになれないからだ、と述べた。

そしてその理由として、中学2年の時に元日本兵の話を聞いて以来、自分がどのような想いで生きて来たかを話した。そして最後にこう語った。

「もう僕たちは、自分たちを国のカテゴリーで観るのはやめよう。自分がパスポートを持っている国がどこであろうと、そんなことはどうでも良い。

国と国の闘いがあるなんていうのは、幻想に過ぎない。人間と人間を分断させ、武器を売って人間同士を戦わせる1%の悪魔連中と、マスコミに騙されかねない99%の人間との闘いなんだ。

映画でよくわかるように、イスラエルとパレスチナの問題は宗教でも何でもない。これは何々人なんていう問題ではない。人間性と非人間性の問題なんだ。人間の側に立とう。自国の政府に対して、WE という言葉を使わず、THEYという言葉を使おう」、と。

 

 

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