常に何も持っていない原風景に立っていれば人間はくじけない

たまに家で2、3泊することもあるけど、何だか最近はずっと動き回っているような気がする。(ていうか、実際そうなんだけど)例えば、東京からアースキャラバンの相談で身延山へ行き、京都の家で一泊してから長野の大鹿村に向かった。

長野の大鹿村に行ったのは、アースキャラバンのドキュメンタリー映画「BE FREE!」の上映会があり、その後のトークを頼まれたからだ。

その時、”なぜアースキャラバンを始めたのか?”という、「よくある質問」が出た。たいてい僕は、”いやー、成り行きでつい、、、”とか、”思いつきと安請け合いで生きているもんで、、、”とか答えたりする。

でも、さすがにこの答えにも飽きてきた(たとえ事実であっても)ので、ぐっと掘り下げてみることにした。思い付きにしても、安請け合いにしても、そうさせる働きが心の奥(無意識)にはあるはずだからである。

思い当たることと言えば、子供の頃に祖父さんから原爆の話を聞いたこと(祖父さんは広島大学卒業で、兄弟もそうだったらしい)かなー、と思った。でも、ニューヨークに住んでいた頃のことも原因しているような気がする。

さて、家庭内カーストが低くこづかいが少なかった僕がニューヨークで新聞配達を始めたのは、小学校6年ぐらいの頃だったと思う。

ニューヨークの緯度は北海道と同じぐらいで、冬は雪が凍るほど寒くなる。ただ当時の僕は、マフラーも手袋も持っていなかった。薄いジャンパー1つと、1枚のセーターだけで冬を過ごしていた僕にとって、ニューヨークはまさに極寒の地だった。

ある日、吹雪の中で配達していたら、配達先の家の人(中年のおじさん)が、手袋をしていない僕を見て驚き、思わず手袋を貸してくれたことがあった。翌日配達に回ったとき、”この手袋、おじさんがくれたのだったら良いんだけどなぁ、、、”と、半分期待しながらその家の前に立った。

しかし僕は、すぐにその期待を諦念に換えた。僕が返す手袋を受け取るために待っているおじさんの姿が窓ごしに見えたのだ。ただ、このときの僕は、少年らしくいさぎがよかったと思う。ドアを開けるなり手袋を脱いで、礼を言いながらおじさんに渡したのだ。

そして極寒の外気の中を、冷たい手でカートを引いて次の配達先に向かった。するとおじさんは、昨日よりもさらに驚いた。昨日僕が手袋をしていなかったのは、単に忘れたためだ、と思っていたらしい。(おじさんは一瞬考えたように見えたけど、僕にその手袋をくれることはなかった)

ところで、”低位カーストにいるインドの人は、なぜあんな扱いを受けても怒らないのか?”と言う人がいる。でも僕にはその理由がよくわかる。彼らは、”自分は上位カーストの人間からそのように扱われて当然だ”と思っているのだ。

そして僕の場合は、自分にはロクな防寒具が与えられなくて当然だ、と思っていた。(なので、そのこと自体、特に意識することもなかった)なぜなら、自分には十分な防寒具を着るだけの価値がない、と思っていたからだ。(なので、バイト代で購入する、という発想すら湧かなかったのだ)

その自己認識を、僕は太陽が西に沈むのと同じように、ただ当たり前の事実として受けとめていた。それを疑問に思うことも特に意識することもなかった。だから、それに対する怒りも悲しみもなかった。

そういえば幼稚園の頃、クリスマス・イブにこんなことがあった。姉が父から買ってもらったクリスマスお菓子セットと同じものを、祖母さんが僕に買ってくれようとした。しかし僕は、何度勧められても頑なに断った。

祖母さんはよほど訝かしかったらしい。一体なぜいらないのか?、と何度も聞いた。嫌いなのか? と聞かれても、そうではないけど、、、としか答えられなかった。もちろんその頃の僕に、断る理由をうまく言語化して説明するほどのボキャブラリーはなかった。

僕には、「自分には、そんなステキなものを買ってもらうほどの価値はない」というのは自明のことであった。だが、それを言語化して説明するには、幼稚園児には無理だったのだ。

インドの不可触賎民が、金持ち階級を見ても特に何も思わず、また自分の境遇に対して何とも思わないというのは、そのような心理なのである。

少年だった僕は、与えられた状況の中でいさぎよく生きていたのではないか、と思う。少年はいさぎ良さの中で生きている、そう僕は信じている。

そして、常に何も持っていない原風景に立っていれば人間はくじけない。

ー続くー

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