永遠においでおいでのデーモンである(太宰治)

<写真はエルサレムでのLIVE>

“永遠においでおいでのデーモンである”という言葉が、太宰治の「晩年」という作品の中にある。この気持ち、すごく良くわかる。

ようするに、太宰としては死ぬつもりでいたのに、止むに止まれない衝動で作品を創ってしまった。それでも、作品を創りたいという衝動は止まらない。

いつまで経っても、狂おしいほどの衝動が込み上げて来る。それでまた、次の作品を創ってしまう。まるで悪魔が、おいでおいでと手招きしているかのように、自分はその衝動にあらがえない。

しかし、満足することは永遠にない。創作への衝動に苦しむが、かと言って作品を創って満足する、ということもない、、、。

時おり僕は、“自分に音楽への衝動がなかったら、もっと楽に生きられるのだろうか?”と、考えることがある。前は、メジャーからCDを出したら満足するのかと思った。それで6枚出した。その後は、ライブやるようになったら満足するのかと思った。

今は、”すべてが光になった世界を体験したあの18歳の時のような、最高の音楽空間をいつでも創れるようになったら満足するのではないか?”と思う。

”毎日のようにそんなライブができるようになったら満足するのではないか?” そんなことも夢想し、その希望にすがっている。

もしかしたら、太宰のように“永遠のおいでおいでのデーモン”なのかも知れない、、、。

自分のことをアーティストだなんて、とても恥ずかしくて言えないけれど、”悪魔に呼ばれながら、紙一重で神を表現するのが、きっと真のアーティストなのだと思う”。

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